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三島由紀夫の噂

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 23:23:33
要望が多数あったので立てました。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 23:39:38
どっからよw

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 00:07:34
KGBのほうから・・・

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:30:17
故人だけどなにを語るんだ?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:54:39
http://imepita.jp/20071026/797920

http://imepita.jp/20071125/081620


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 17:48:45
斬る

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 13:00:37
自害の際のクビチョンパ写真集があるらしい。警察官が先生の首をビニール袋に入れて回収した。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:32:17
ご子息はイケメンよ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 00:38:52
息子がいるの?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 02:04:44
娘二人だけサッ!!!
膣性交に無関心なので、義務として交接しただけだゼッ!!!

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 03:04:28
菊の御紋専門ですな。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 11:32:27
>>9
息子さん今、45歳ですよ
その上のお姉さんは48歳です


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 12:30:01
息子は性転換する前は娘だったらしいぞ!

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 17:20:06
>>13
ひとつも面白くない

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 17:30:00
『剣と寒紅』読んだけど、読まなきゃよかったーって後悔した。
亡くなった人の秘め事を公にするのはちとずるい気がした。
でも興味があったから読んだんだけどさ。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 21:49:56
>>7
首じゃなくて腹切ったんだけど

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 22:32:32
>>16おまえ知らないのか?勉強しろ!

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 22:52:51
【切腹自殺】●●三島由紀夫●●【肉体改造】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1152942731/

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 06:56:06
>>7
フライデー創刊号で生首写真出てたよ。
首なし胴体写真も。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 13:10:04
三島由紀夫の恋人(女性)だった人を発見
すでに老女ですけれど
凛としていました
どんな交渉があったのか
興味あるのですが
話して下さいよ
随分と昔のことですよ


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 13:55:22
三島が女に恋なんぞする訳が無い!!!

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:42:10
>>20
結婚前に4年付き合っていた、10歳くらい年下の人のことかな

本当はその女性と結婚するつもりだったと、三島由紀夫の友人の著書で読んだことあるよ


23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:46:01
>>15
あれはへたな脚色してあって嘘っぽかった


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:59:09
女性ともいろいろあったし、友人が25歳くらいで童貞という相談をうけて、
「ずいぶん物持ちのいい男だ」と馬鹿にしてたよね。
童貞の正しい捨て方を伝授したそうです。


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 15:15:35
美輪明宏に聞いた方が早い

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:03:33
東大法学部卒で大蔵省に入って、小説化になったのにコンプレックスがあるなんて

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 00:11:52
三島由紀夫が渡米したとき、ジェームス・ディーンの通っていたバーに行ったらしいが、それを知った小森和子に
「ゆ、ゆきおちゃま、そのジミーが座っていた椅子に座ったズボンを私にちょうだい」としつこくねだられ驚いたらしい

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 22:47:21
さすが由紀夫ちゃんだ・・

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 10:47:38
ジェームス・ディーンに関係なく三島由紀夫が穿いてただけでそのズボンは価値がある

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:05:16
実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的思想を問題視する声があがり、川端へ移行しただけ。
審査員が川端へ打診したところ、川端は三島を擁護せずにそれを承諾し、三島へも、今回は私がいただかせてもらいます、と言った。
後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:07:05
三島由紀夫の自刃直後、川端康成はいち早く現場に駆けた。
そして、警察の現場検証の際、中に入ることを許された川端は三島の壮絶な最期の姿を見てしまう。
あとから駆けつけた石原慎太郎は中に入らなかったが、川端が中にいることを警察から聞いた。
その後ノイローゼになっていった川端は
「ああ、ほら、そこに三島君がいる」と奇妙な言動をするようになる。
石原は、川端が三島の断たれた首を見たときの衝撃の深さを知った。


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:07:58
三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端康成はふらっと自宅を出て逗子の別荘のへ向かう。
そして、仕事場として使っていた逗子市の逗子マリーナマンション417号室で、ガス管をくわえて自殺しているところを発見される。遺書はなかった。


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:09:38
ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。
小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチャクチャにしてしまふやうに思はれるのです。
生きてゐる自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。
それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り(原文のまま)にさせていただいてをります。

三島由紀夫
川端康成への書簡から


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 08:30:42
川端氏もそんなトラウマを持ってたなんて・・・
小説家ってやっぱり変わり者で天才じゃないとなれないんだな

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 00:46:47
川端康成もなにか遺書を遺せばよかったのにね

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:32:57
決起当日、市ヶ谷へ向かう5人を乗せた白いコロナが第二京浜から中原街道を行き、首都高速に入ったあたりで、
助手席の三島が言った。
「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが、おれたちは意外に明るいなあ」そしてそれを歌いだし、四人が和した。

古賀は「われわれに辛い気持ちを起こさせないためだ」と感じた。

(古賀被告の検察官調書より)


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:34:33
市ヶ谷総監室のバルコニーの演説から帰ってきた三島由紀夫の最後の呟きの言葉
「二十分間くらい話したんだな。あれでは聞こえなかったな。」
それから、益田総監に向かって
「恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。」

(二人の切腹のところは省きます)

益田総監の言葉
「きみたち、おまいりしなさい。」
そして総監は小賀に手を解かれた後に
「私にも冥福を祈らせてくれ。」
と言い、首の前に正座し瞑目合掌した。
知らず識らずに総監の目に涙が溢れてきた。
そして、黙って泣く三人にも
「もっと思い切り泣け。」
と総監は言った。

(現場にいた益田総監、古賀の公判廷での証言から)


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:50:33
そして、後の三島裁判での益田総監の証言から

「被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
…中略…
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。」


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:51:19
三島由紀夫の死後に、幹部が自衛隊員に極秘で行ったアンケートでは、大部分の隊員は三島の考えに共鳴したという事実がある。
事件の翌日には、総監室前に菊の花束が隊員たちにより手向けられた。


40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 14:41:01
へ〜

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 22:58:19
でも、日本初のノーベル文学賞は川端でよかったね。

川端は日本文学の幹線だけど、三島は途中からずれた。
まさか時代遅れの売国奴小説家大江がとるとは、ぶったまげた。
(次は大江君だと三島は言ったという噂もあるが)


42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 12:04:21
>>41
大江は三島由紀夫が予言したから箔がついてノーベル賞とれたんだよ。

ノーベル賞はもらったくせに、日本の天皇陛下からの賞を拒否した大江の売国、衰退ぶりを三島由紀夫は草場の影から嘆いているだろう。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 12:49:33
さあ鯨戦争に備え憲法9条改正だ。

【捕鯨問題】さあ、新政権・労働党は“公約”海軍出動の決断を下すべき時がきた…豪シドニー・モーニング紙
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196694211/

もともとは欧米がさんざん鯨を殺し、脂だけ取り、肉は海に捨て乱獲した結果、鯨が減ったのを日本のせいにし日本の食文化まで滅ぼしたずるい欧米人。
日本は昔から鯨の肉を食べ、他のあらゆる部位もすべて無駄にせず利用し、感謝しながら鯨を大切に捕ってきたのである。
そして今、鯨が増えても日本に圧力をかけ鯨を捕らせないのは、鯨の餌であるサバやアジを減らし、日本の食糧自給率を低下させる米国の日本に対する政治的な意図が裏にあるからである。


44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 16:13:43
ちょっと!「三島〜ぶち込むわよ!」スレにコピP連投してる方、此処でもやってるわ!(笑)

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 02:36:51
こないだ山中湖にある三島由紀夫博物館行ってきたよ。
入館料300円?ぐらいで安くお得です。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 21:45:08
安いね

観光がてらに行こうかな

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 08:52:22
>>26
異常に毛深い。
これ当人にはきついもんがあるんだぜ。
あまり語られないけど。
しかも貧弱。
おまけに、並外れたチビなのに、顔の長さはG・馬場並み。ほぼ三頭身。
これで生きていけっていうのは相当酷だろ。
超のつく運動オンチが何で俄然体鍛え出したかって言うと、切腹するための技量を身につける前に、毛だらけの体も筋骨隆々になれば、見栄えがいいものになるだろうという願望からだ。
夏のクソ暑い時に、心おきなく半袖を着てみたかったんだ。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 12:13:01
>>47
くだらないジジイの中傷みっともねえぞ

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 17:47:44
そうそう、確か丸山明宏とダンスした時に「あら三島さん、パッドだらけなのねw」って言われて、
ショックでボディビル始めたんじゃなかったっけ。
そんで『身体を鍛えると精神も云々』と宣うセンセイに、安部譲二が「モテたいだけじゃねぇか!」
って言ったら黙っちゃった、とか読んだことがある。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 19:29:07
へ〜
コンプをバネに立派な体にできたんだ
たいしたもんだ

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 22:38:55
石原新太郎が三島に会ったときに「思ってたよりずいぶん小さいんですねぇ」
って言ったらしいが、それも本人には相当ショックだったのかも。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:49:56
慎太郎より
背の低いコンプレックスいっぱいの三島由紀夫のほうが好き。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:54:45
>>51
そのときから慎太郎は無礼者だったんだな

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:04:24
おまいらオモシレエ!!

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:09:27
自殺する直前に美輪明宏が三島を見て
「後ろに二二六事件の犯人が憑いてるわね」って言って三島は青ざめたらしい。

それから自殺するまで美輪は三島を助けようと連絡とろうとするが
繋がらずにあの事件に至った。
のちに美輪は「二二六事件の悪霊が妨害して三島に連絡できないようにされた」と語った。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 11:29:33
ずいぶん美輪の都合のいい言い訳ね

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 22:47:39
悪霊と決めつけちゃうとこが浅学なババアだ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 13:49:27
白痴とかはいえないからな

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 16:39:51
SMAPの中居くんに
貴方の前世はピカソとか言っちゃう美輪
中居が生まれた時、まだピカソは生きてたのに(笑)

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 00:21:30
三島由紀夫って英語の発音がイギリス訛りなんだよね

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 01:19:47
いや、日本なまりだろw

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 09:23:03
三島由紀夫は英語よりドイツ語が得意

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 10:47:13
ヒトラーについて語る三島由紀夫

ところでね、彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど彼が本当は何者だったのか誰も知っちゃいない。
ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュビッツの虐殺者、悪魔...。これがいままでのヒトラーだけど、本当はそれどころじゃない。彼の本当の恐ろしさは別のところにある。
それは彼がある途方もない秘密を知っていたことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を見通す目を持っていて、それを通じてその途方もない未来の秘密に到達しちゃった。


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 11:01:44
だから五島君、もし君が10年後でも20年後でも、ヒトラーをやる機会があったら、そこのところをよく掘り下げてみることだ。もし君にいくらかでも追求能力があればとんでもないことが見つかるぜ。
本当の人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来...。
なにしろ「我が闘争」の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことをずばり見通して書いているくらいだから。まだ30代かそこらで、やつはそれは鋭い洞察力を持っていたことになる。


65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 22:54:05
ドイツ語もしゃべれたなんて知らなかった

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 23:48:57
>>65
ドナルド・キーンがドイツで講演したときに、おじいさんが立ち上がって
「私は平岡公威くん(三島の本名)の先生だった(ドイツ語の)、平岡くんが一番だった」とキーンに言ったそうだ。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 23:53:04
三島氏は実はまだ生きている

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 16:28:53
三島由紀夫は復活するんでしょ?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:21:23
ロシア革命が実は莫大な量のニューヨーク・ウォール街ユダヤ国際金融資本の援助を受けたユダヤ人共産革命家による、ロシア人民皆殺し、ロシア民族根絶やし運動だったのは、
日本の四天王延孝陸軍中将や久保田栄吉(ロシア革命の惨状を現場で見た人物)など一部先覚者はすでに大正から昭和前期に指摘し暴露している
米英の世界戦略を危惧していた三島由紀夫もおそらく知っていた


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 18:06:32
さすが世界の三島由紀夫

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 16:22:54
日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてゐなければならなかった。
もっともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかったのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。

三島由紀夫
遺言状
「楯の会会員たりし諸君へ」から


72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 20:54:25
人間が幸せだったら、別に日本が滅んだっていいよ。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 22:08:05
>>72
そんな寝ぼけたこと言ってられるのも日本という国に住んでいられるおかげ


74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 23:27:16
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン


75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 00:39:37
日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。
これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。

モルデカイ・モーゼ
「日本人に謝りたい」より

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 06:12:55
>>71
で、縦の会の人はその後何かしたの?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 08:18:11
何かする必要ないじゃん
日本人として日々、誠実に生きて、社会に貢献すれば

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:02:11
>>73
なんか、石原もそうだけど、日本、日本って宗教か、ママのオッパイに
すがりついているみてるだ。日本は国にこだわりすぎなんだよ。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:16:59
どっちゃにせよ。少子化は、日本の国が内部崩壊しはじめていることを意味する。


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:44:38
もう徴兵制度を復活するしかないな

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:54:27
そんなことしたらもっと子供減ると思う。
国に未来が見えないのに、未来の実体たる子供を作っても意味がないからな。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 14:38:37
戦争になると出産数は増えるけどね

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 14:47:19
>>78
他の国の人間のが愛国者が多い
アメリカは世界をアメリカにしようとしているだろ
他の世界の民族の自己主張に比べたら今の日本は愛国心がなさすぎ
日本人に愛国心は悪だと、洗脳教育したのは誰か考えてみる必要がある

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 16:26:36
>>83
誰よ?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 18:32:52
日本人も国は愛しているよ。でも、国家としてのカッコつき「日本」は
日本人でもキライな人がたくさんいるってことじゃないかな。なんか
「日本」というものと日本がずれていて、胸が張れないんだな。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 18:35:43
>>84
日本人に誰かが「愛国心は悪だ」なんて教えたんじゃなくて、
ただ、「日本」の統治システムが、不透明で隠蔽されたことばかりなので、
どこか胡散臭くて、騙されているようで多くの国民は無条件に「賛成」ってすぐ手が
あげられない状態なんだと思う。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 22:14:24
>>86
そんなもんどこの国でも不透明だろ


88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 22:20:36
日本は朝鮮マフィアとユダヤ資本に統治されています

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:01:08
先進国はもっと国民が国家をコントロール下においてるという認識が強いよ。


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:02:09
税金の使われ方とか取られ方とか無茶苦茶、気にするからな。外国人は。
税金を会社が天引きするなんてやってるの日本だけ。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:05:06
国民と国家って別のものじゃないだろwww

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:10:06
税金のグチは他板でやれや


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 22:39:31
なんで政治の話してんだw

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 01:13:21
>>36->>39
三島由紀夫に同調して辞職した自衛隊の高級官僚もいるぞ


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 01:15:15
>>36-39


96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 11:27:12
昭和2年
芥川龍之介
「ぼんやりとした不安」という言葉を遺し、自殺。

昭和23年
太宰治
「日本の文化がさらにまた一つ堕落しそうな気配を見たのだ」
「こんな具合じゃ仕様がない。(中略)戦争時代がまだよかったなんて事になると、みじめなものだ。」
「私はこの時流にもまたついて行けない。」
という言葉を遺し、入水自殺。

昭和45年
三島由紀夫
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
という言葉を遺し、割腹自殺。


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 23:08:01
>>96
芥川氏と太宰氏はドッベルゲンガ−になって自殺したんじゃなかったっけ?

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 01:20:08
芥川はドッペルゲンガーを見たんだよ

三島の自決の後は
後追い自殺者がたくさんいたそうだ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 03:02:54
作家はドMな件

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 12:37:43
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。

そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 12:38:57
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 22:40:11
天才は普通の人とは違う思考回路してるね。
でもよく考えてみたらそっちのほうが普通なのかも。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 22:43:24
三島はM男

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 21:37:08
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。

エドワード・サイデンステッカー


105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 21:39:26
三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。

エドワード・サイデンステッカー


106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 13:42:13
日本は既に滅んでるから。
いまさら三島を持ち出してもしかたないのにねw

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 16:29:18
在日朝鮮人、中国人には滅んでほしい願望でそう見えるんだろうな

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 22:30:52
三島由紀夫を政治だけで語るのは浅はかだよ。
右がかった思考以外の部分の三島由紀夫を語るスレであってほしいな。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 23:56:07
右とか関係ない十分政治以外が語られてるじゃん

気に食わないとみんな政治に見えるとは変なやつ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 15:29:46
三島=右翼だってイメージが根強いってことを言いたかったんだろ

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 16:34:08
ハラキリにおいて死は消滅する。死という人間的諸条件を、ある人間の意志が、自由に否定する行為であるからだ。
ハラキリにおいては、より高き倫理価値が自己に対する超越のかたちによって、死に対する克服のかたちによって肯定されているからである。

三島にとっては死は行動として一つの強烈な現実性を持っていた。日本の偉大な伝統と、儀式とによる死。
それでも異常なことだが、西欧ではローマ人的なこの死とロマンティックな自殺とを、混同するに至っている。
西欧のロマン主義者は、決してこのような方法では自殺しなかった。どのような文明も、死を祭儀的行為として提議してはいないのである。
ある意味では日本の武士道精神がそれを提議した。

アンドレ・マルロオ


112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 20:14:51
「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの私の主観的ドキュメンタリー作品である。
そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれた。
だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が登場するが、
そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。

細江英公


113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 20:15:45
三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の責任として、きちんと後世に伝えておかなければならない。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。
であるから、私がまず強調しておきたいのは、事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、実にもって愚劣なことであるということである。

細江英公


114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 22:31:10
三島由紀夫が死ぬ前に赤いバラの花束を持ってきてくれたという何の証拠もない美輪明宏の自慢話は誇張か嘘話

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 23:54:48
>>112
へ〜〜

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 06:10:35
>>114
花屋のレシート記録は財布にないのか?

117 :可愛い奥様:2007/12/29(土) 11:38:37
>>114
楽屋に200本ぐらいのバラを抱えてやってきて、「もう来ないから」と言うので
何で?って美輪さんが聞いたら「もう、きれいだったよとか心にもない
お世辞をいいたくないからなあ」と憎まれ口をたたいてたって話は、
誇張か嘘話なの?ありそうな話だと思ったんだけど。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 17:36:29
霊感があるくせに、なぜそこで三島由紀夫が死のうとしていることに気づかなかったのかが不自然

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 17:44:16
三島っておかまだったんでしょ

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 11:16:17
>>118
霊が邪魔して、連絡が取れなかったらしいです。
>>119
いや、人間だれしも、心を許しあえると仲良くなる。
和気藹々と話をしていると深夜になる時もあるよね。

深夜に二人で過ごした。⇒それが誤解の元になる。だけかもよ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 12:33:33
>>119
おかまはおかまを好きにならないから、おかまではない

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:28:53
>>120
悪霊のせいだね

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 23:30:01
●テレビ朝日新春ドラマ『鹿鳴館』放送
影山伯爵役:田村正和、伯爵夫人の朝子役:黒木瞳
1月5日 21:00〜

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 00:00:59
>>119
おかまは女装する男

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 13:44:38
天使のふりした悪霊は美輪

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 14:15:32
(三島は)物差しやハタキのような長いものを持ってこれをこれを振り回すのがとても好きでした。……やがて危ないというので、母(三島の祖母、夏子)に没収されてしまいました。
公威はこんなときでも、決して反抗はいたさず、だまって素直に従ってくれて、かえって可哀想になりました。

平岡倭文重
(三島由紀夫の母)


127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 17:04:54
三島由紀夫
「僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。」

武田泰淳
「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。」

三島
「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。」

武田
「それはやっぱり、強気でいてもらわないと…」

三島
「そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。(略)」

私は三島さんを懸命にナダめにナダめる武田氏に、つよい共感で(感傷的にも)涙ぐみたくなる。
しかし同時に、三島さんがもの書きとしての恥部をここまで口にする激しい自己意識に心をうたれずにいられない。
それはまたそっくり三島さんの社会への批判でもある。

田久保英夫


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 17:07:32
左翼人の私も右翼人の三島の「行動」には、かなり衝撃を受けたことも事実なのであって、これを匿す気にはならないからである。
そして衝撃を受けなかった人はどんな人なのかと思ったりもするのだが、「行動」といい「芸術」といっても、所詮人間はおなじなのかも知れない。
しかも三島と私とはイデオロギーが全くちがっているのに、どこか類似性、相似性があるような気がして、それが私自身気になるのである。

三島由紀夫こそはあきらかに、永井荷風や谷崎潤一郎やあるいは川端康成の耽美主義の系譜とその路線に沿いながら、しかし明確な知性をもって、またその美的知性の故に、
その路線の最終駅に到着しながら、それをなんらかの形で社会的行動におきかえようとした努力家であり勇気ある誠実者ではなかったのだろうか。

山岸外史


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 12:23:05
今夜9時から三島由紀夫原作、鹿鳴館

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:12:38
田村まさかずがいい味出してたw

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:54:35
猿岩石の有吉が撮影スタッフに暴言騒動
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1199544665/

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 17:16:31
【新春】鹿鳴館【テレ朝開局50周年】
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1199000539/

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 01:21:07
>>128
へ〜

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 11:23:17
自決後、司法解剖したら三島の肛門内から何人か分
の精液があったというのは本当ですか?

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 12:18:53
全くの嘘です

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 14:27:23
よく三島由紀夫の死体から森田必勝の精子がうんぬんと、まことしやかな噂話が流布されたが、その場にいた当事者の証言からほぼ死因が特定されているこの事件の場合、肛門内まで調べる訳ないし、
決起前夜、楯の会のメンバーと三島の5人は、パレスホテルで総監拘束の演習や、辞世の句などを書いた後、午後4時チェックアウトし、
新橋駅の烏森口近くの料亭末げんで生死決別の宴を張り、静かに食事をしてそこを去った後、各々自宅へ戻っている。


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 14:28:44
つづき

森田必勝は新宿の下宿、小林荘に帰り、新宿西口公園近くのお茶漬け屋で夜食をとった後、
新宿の深夜バーでレジをしていた女友達を電話で呼び出し会い、下宿には午前1時半に戻っている。
三島由紀夫も、自宅へ帰り、午後10時には同じ敷地内の両親に、最後の別れのために会いに行っている。
朝は8時に起き、コップ一杯の水を飲み干した。そして、新潮社の小島さんに手渡すはずだった原稿(豊饒の海)をお手伝いさんに託し、市ヶ谷に向かうため出かけている。
これらは、店の人、友人、三島由紀夫の家族、お手伝いさん、時間に遅れた小島さんの証言により、確定していることである。


138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 00:05:09
料亭 末げんには
三島由紀夫最後の晩餐メニューというのがあるよ

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 22:26:33
趣味悪ィ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 23:44:32
http://mobile.gnavi.co.jp/search/shop.php?gShopID=g404300&gDistrict=
「わ」コースが三島由紀夫が食べたメニュー

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:41:10
たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという根拠にはなりえない。
また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。
それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。
三島氏の文学と思想を貫くもの、それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。

磯田光一

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:41:52
三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、徹底した復讐をすることであったと思われる。
イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。
この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能以外の何が心を惹いたであろうか。

磯田光一


143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:42:42
ぼくにとっていまでも驚異に思われるのは、三島というひとが、あんなに明敏かつ冷徹な批評家的、懐疑家的な眼と、あんなに度の高い情熱とを、どうして併有することができたか、ということである。
情熱家は、世のなかに少なくはないだろう。しかしあのような最期をとげ得るほどの人物が、ほかにどれだけあるか。
また冷静な合理主義者の数は、多いだろうが、死の最後の瞬間まであれほど冷徹に計算し、実行し得るひとは、稀だろうと思う。
しかも驚くべきことに三島氏はその両者をわが身に併存させていたのだった。

村松剛


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 20:26:04
三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。
罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。
しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。
楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。

呉智英


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 16:54:33
淀川長治「三島さんは首から下は北海の荒海の漁師だけれど、首から上は明治美人ですね」

三島由紀夫「それは僕の顔が馬面だと言ってるんでしょう(笑)明治美人というのは面長のことをいうんだから」

私みたいな者にでも気軽に話しかけてくださる。自由に冗談を言いあえる。数少ない本物の人間ですね。
もっともっとよい本をいっぱい書いてほしいですね。
あの人の持っている赤ちゃん精神。これが多くの人たちに三島さんが愛される最大の理由でしょうね。

淀川長治


146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 18:01:37
三島は「人斬り」(五社監督)に田中新兵衛役で出演している
史実通りに切腹自害する

主人公の岡田以蔵に勝新太郎

チョイ役だが坂本竜馬の石原裕次郎は明らかにミスキャスト

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 00:37:12
三島由紀夫は、幕臣の永井尚志の孫の孫


148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 11:23:04
介錯に使われた刀は、ご存知のように「関の孫六」でした。書店の御主人の舩坂弘さんから寄贈されたものです。
そのため、舩坂さんは警察に呼ばれたわけですが、そのときもう一度実物を見せてもらったところ、奇妙なことに柄のところが金槌でめちゃくちゃにつぶされていて、二度と抜けないようになっていたそうです。
これはいったい、何のためなのか警察でも見当がつかなかったようです。ところが、その後の調べで、倅の周到な処置であることが判りました。

平岡梓


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 11:25:36
というのは、こういうことです。倅は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許されない、ましてや森田必勝君には意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。
しかし、森田君はどうしても承知せず、結局、あんなお気の毒な結果になってしまったのです。
そして、森田君の希望により倅の介錯は彼にたのむ手筈になったものの、かねてから介錯のやり方を研究していた倅の眼から見ると、森田君の剣道の技倆はおぼつかないと見てとったのでしょう。
かんじんのとき、万一にも柄が抜けることのないよう、ああした処置をして彼に手渡したのだそうです。まことに用意周到をきわめたものです。
自分自身が割腹に使用したのは、かねて用意の鎧通しでした。

平岡梓


150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 14:51:09
床に転がる三島由紀夫の首は雄弁だった。言葉そのものであるような首だった。

その限りなく音楽的な言葉はオルゴールの音のように美しく、彼が生きた時代に投げかける呪いとなっていた。呪いにかけられた坊やはここにいる。

島田雅彦


151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 15:38:38
公威は幼少のころから日本古来のしきたり、行事というようなものがとても好きで、またこれらを大事にいたしました。
母の躾けのせいもありましたろうが、神社の前などに参りますと、どんな小さな祠でも何びとの指図も受けず、自らすすんで必ず丁寧に参拝し、お辞儀をしないで通りすぎるというようなことはありませんでした。

平岡倭文重


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 15:39:28
これは子供の時代ばかりでなく、ずっと大人になってからも続きました。
毎年の豆撒きの時など、先頭に立ち、孫達はすぐ飽きてしまって逃げ出すのですが、公威は一人になっても物凄い大きな声で、「鬼は外、福は内」とどなりながら豆を撒き、
それから家族中に各自の年より一つ多い数の豆をひろわせて十円玉と一緒に包ませ、自分みずから近所の四つ角まで持って参り、帰りには掟な従い決して振り返らないという調子で、これには親の私もついていけなかったものです。
この念には念の入った信心振りは死ぬまでやめませんでした。

平岡倭文重


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 17:03:28
いつも書いてる人お疲れ

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 11:29:15
僕は詩人だ。一皮剥けば俗人だ。もう一皮剥けば詩人だ。もう一皮剥けば俗人だ。もう一皮剥けば詩人だ。
ぼくはどこまで剥いても芯のない玉葱だ。

三島由紀夫


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 16:06:25
金閣寺は素晴らしい

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 22:38:57
保守

157 :三島由紀夫:2008/02/11(月) 20:56:52
自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。
日本を守ること。
日本を守るとはなんだ。
日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。
おまえら聞け。聞け!
静かにせい。静かにせい!
静粛に聞け!
男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ!
いいか!
いいか!

それがだ、いま、日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなければ、憲法改正というものがないんだよ。
諸君は永久にだね、ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ!


158 :三島由紀夫:2008/02/11(月) 20:58:18
諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法をだね、自らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これがある限り、諸君というものは、永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだ。
自衛隊は違憲なんだ。
貴様たちは違憲なんだ。
憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ。
どうして、そこのところに気がつかんのだ。
俺は、諸君がそれを完全に断つ日を、待ちに待っていたんだ。
諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに固まって、片足突っ込んで、本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。

憲法のために、日本の骨なしにした憲法に従ってきた、ということを知らないんだ。


159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 14:46:42
三島由紀夫「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」

伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。
保田さんは立派な日本人であり文豪です。」

三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」

当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。

伊沢甲子麿


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 14:47:50
三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。

伊沢甲子麿


161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 16:21:37
俺、三島にケツの穴ほられた。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 22:45:02
はいはい

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 20:13:27
あげ

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 23:30:40
「黒蜥蜴」の剥製にされた筋肉男の役の三島由紀夫の顔がハンサムでかっこいいよ

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 22:42:47
目がセクシー

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 11:01:22
戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及び文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。

保田与重郎

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:58:30
私が三島由紀夫氏を初めて知ったのは、彼が学習院中等部の上級生の時だった。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となってからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話していると、彼の呼吸が目に顕ったので、不思議なことに思った。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷っているのでもない。長い間不思議に思っていたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知っている者が、彼は喘息だったからではないかと云った。
私はこの齢稚い天才児を、もっと不思議の観念で見ていたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思い、やはり別の印象を残している。

保田与重郎


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:59:08
劇場への招待「朱雀家の滅亡」
・NHK教育
・2008年 2月22日(金)22:25〜翌0:55
・原作:三島由紀夫
・演出:宮田慶子
・出演:佐久間良子・窪塚俊介・中嶋しゅう・森田彩華・中山仁

169 :以下、名無しに代わってVIPがお送りします。。。:2008/02/23(土) 09:23:27
三島がホモだと聞いてVIPからすっ飛んできますた!!!

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 10:21:05
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン


171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 12:45:25
三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。
短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して彼らを裏切った天皇を激しく責める。
天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。
もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。
しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。

ドナルド・キーン


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 12:46:22
三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。
より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の経験が保管された唯一無二の宝庫である。
天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。
彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。

ドナルド・キーン


173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 02:32:23
↑くだらねぇ内容の連投キモいんだよバカ三島ヲタが!

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 10:52:36
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。
むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。
なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。

安部公房


175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:01:51
神経質そうな感じだな


176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 16:11:59
金閣寺は、この作品において美の象徴であり、しかも戦火によっていつ焼亡するかもしれないという時期、凄まじいまでの美をあらわしている存在である。
主人公は、その終末の予感に陶酔しつつ、金閣寺=美との共生にいいがたい浄福を感じている。
…敗戦の日、金閣寺と主人公の共生は断たれる。金閣寺は、あの失われた恩寵の時間を凝縮して、永遠の呪詛のような美に化生する。
主人公は美の此岸にとりのこされ、もはや何ごととも共生することができない。

橋川文三


177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 16:13:16
―この辺りには、戦中から戦後へかけての青年の絶望と孤独の姿が、比類ない正確さで描き出されており、
金閣=美を戦中の耽美的ナルシシズムにおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣の幻影が、青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。
そこから、金閣寺を焼かねばならないという決意の誕生もまた、戦後の三島の精神史にあらわれた「裏がえしの自殺」の決意にほかならないことも明らかになるであろう。
こうして、この作品は、実際の事件に仮託しながら、三島の美に対する壮大な観念的告白を集大成したような観を呈しており、美の亡びと芸術家の誕生とを、厳密な内的法則性の支配する作品の中に、みごとに定着している。
「仮面の告白」に遙かに呼応する記念碑的な作品である。

橋川文三


178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:46:10
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の後には水晶のような透明な誠があつた。

翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は飛んだ。

彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:47:06
私にはわからない。自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばないといふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になつたのだよ。

彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫


180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:47:41
「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。

マルグリット・ユルスナール


181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:48:15
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。

マルグリット・ユルスナール


182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 11:51:11
若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。
すなわち決して大衆社会へ巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。

三島由紀夫

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 11:53:01
日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。

保田與重郎


184 :三島由紀夫:2008/03/06(木) 14:19:39
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。


185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 00:27:09
カミカゼ…

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 08:00:09
由紀夫やっぱりモーホー?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:06:35
ホモっ気のない男はいない


188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 16:32:51
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三


189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 10:59:07
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。

平岡公威16歳
東文彦への書簡から

ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。
モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?)

平岡公威16歳
東文彦への書簡から

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 11:00:05
「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。
近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、
なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。
我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 11:00:43
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。
しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 11:02:00
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、
愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。
かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。
米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。

平岡公威18歳
東文彦への書簡から


193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 18:01:17
福島次郎氏の写真が見たいけどネットでも見つからないな

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 13:57:51
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に松任谷由実がいますが、
彼女は中学時代から文化人が多くたむろしていたイタリアン・レストラン「キャンティ」に毎日のように出入りしていて、そこには三島や安部公房などもいました。
ユーミンの淡い初恋が三島だったとも言われ、ユーミンの楽曲の詩の諸処に表れている、三島文学からのインスパイア(生まれ変わってもあなたを見つける)や
三島的なものへの思慕(いつでも強がるあなたが好き…)、三島へのレクイエム(ひこうき雲、卒業写真)等は一部で指摘されています。
また、価値相対主義の社会にはエロティシズムはないと極限し、反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、とという認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのはあり得ない、と主張した三島と、
恋愛対象者を絶対者として、宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とするユーミンの恋愛世界には、明らかに共通した思考がみられます。


195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:45:19
国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、
やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、
トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、――まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:45:53
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。
主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:46:50
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。

平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から


198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:59:56
僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。
僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。

保田與重郎

私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。

保田與重郎


199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 12:00:40
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。

保田與重郎


200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 13:04:45
200ゲット

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 13:23:11
三島由紀夫が中国へ抗議声明を出した文化大革命について

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動。
プロレタリア文化大革命ともいう。はじめ毛沢東指示のもと林彪が主導、劉少奇からの政権奪権が目的であり、その死後は四人組に率いられて
毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であり、
指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。
しかしその後、弾圧の対象は中国共産党員も弾圧の対象となり、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の死亡者、行方不明者の数は
数百万人とも数千万人とも言われ、事実上の自国民のホロコースト状態であったと言っても過言ではない。
またこの革命の芽はカンボジア内戦へ飛び火し、クメールルージュの自国民の大量虐殺と密接な関係がある。

当時の抗議声明文が載ってるサイト
http://dogma.at.webry.info


202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 14:16:34
三島由起夫 動画集

@http://jp.youtube.com/watch?v=JbWQNnHC5sY

Ahttp://jp.youtube.com/watch?v=BxATC1M2zCw

Bhttp://jp.youtube.com/watch?v=w8oQY9B29Eo

Chttp://jp.youtube.com/watch?v=KkIclt8TwrQ

Dhttp://jp.youtube.com/watch?v=0z6Py9p3pa0

Ehttp://jp.youtube.com/watch?v=a26BvGVo0yY

Fhttp://jp.youtube.com/watch?v=3RFMZZkIh_M

Ghttp://jp.youtube.com/watch?v=aGRlk0zctXA

Hhttp://jp.youtube.com/watch?v=fomgPXhspoQ

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 18:17:52
三島の人生と小説
どっちに興味がある?

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 15:28:15
>>203
どっちかというと、人生かな

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 16:52:59
アッー

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 16:53:00
国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり

保田與重郎
昭和45年11月某日


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 16:53:25
わがこころ
なおもすべなし
をさな貌
まなかひに顕つを
いかにかもせむ


夜半すぎて
雨はひさめに
ふりしきり
み祖の神の
すさび泣くがに

保田與重郎
昭和45年11月某日


208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 01:30:56
一流の社交家でもあった三島

11PMにも出演してる

http://jp.youtube.com/watch?v=12B9sBVofgI



209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 10:52:58
へ〜

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 02:16:22
三島由紀夫は部落民の血統だと聞いたことがあるけど
どうやら事実らしいな。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 10:15:10
>>210
そんな事実は全くありません

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 10:58:54
フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊饒の海」から作品の構想を膨らませています。
各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島からの影響が指摘されています。
また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は三島の造形であるといわれています。


213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 10:59:52
「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」とコッポラは言っていますが、
これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと重なっています。
三島も著書のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。


214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:04:49
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、
コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。
「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、と予定していたようです。
その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現はできませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。
「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も映画化したかった旨を語っていたようです。


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:08:07
ウィキペディアに「三島は非人の家系だ」
と書いてあったのを読んだ憶えがあるぞ。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:08:10
>>211 正田美智子(後の皇后)とお見合いしてるからね ありえない

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 16:06:33
>>215
書いてないよ
私が持っている本には、三島由紀夫の祖父の父親、平岡太吉は裕福な地主兼農家とあるよ
それより前も塩物屋や農家です
結婚するときに杉山家が三島の家系を調査してます

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 15:36:53
>>216
断ったの?

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 11:49:39
三島は花嫁の条件に、自分の仕事に口出ししない女性で、文学に興味のない人を希望していたらしい
美智子さんは文学に興味があり、詩を書く趣味もあったため、三島から断ったのではないかという推測者の方が多いようです
真偽はわかりませんが

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 03:21:26
ミッチーはゲイと結婚したくなかっただけサッ!


221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 03:36:25
たけしには無理な気がする

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 03:47:44
三島由紀夫の尊属に慥かに非人の血縁者が居たと
書かれていたぞ。
穢多では無かったかも知れないがな。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 17:30:10

三島由紀夫のことが嫌いな共産党工作員の作り話だよ


224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:06:30
三島由紀夫の娘の紀子さんと、皇太子の浩宮さまは学習院で同級生だったらしいよ
結婚してたら面白かったのにね

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:14:44
実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。


226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:15:44
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けた。
そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。
ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。
川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような言動をするようになってゆく。


227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:16:38
三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていた。
そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。
水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。
机には太宰治の本があったともいわれている。


228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:23:06
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。

川端康成

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 16:40:06
コピペ職人よ、
この文章どっから拾って来てるんだ?
本で出てるなら買う

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 13:24:30
>>225-227は、ドナルド・キーンや石原慎太郎のエッセイ、ネットで見た川端自殺の情報などを元にして、綴って書きました

>>228の川端の言葉は有名だから結構、さまざまな三島関連本に載っていますよ
ヘンリー・スコット・ストークスとか橋川文三とか、他にもあると思う


231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:31:18
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。

「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。

川端康成


232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:39:05
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。

三谷信

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:39:46
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信


234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 05:25:14
三島には才能のかけらもない




ケータイ小説の産みの親 Yoshi

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 16:36:08
ikuzo-?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 03:52:43
>>234
むだな抵抗

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 15:58:38
Yoshi乙

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 16:07:13
ドナルド・キーンが自死直前の三島から聞いた奇談

学習院の制服を着た少年がどうしても、と三島に面会を求めてきた。
三島は数分だけ、と約束させた上で自宅門前まで出た。
少年は三島に「先生はいつ死ぬのですか?」と問うた。
三島は驚き、言葉を返すことができなかった。

その少年とは清顕だったのだろうか。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 12:34:08
>>238
ドッペルゲンガー、過去の自分だったんじゃないかな


240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 15:33:06
いつ死ぬのですか・・・(涙
世間から、好奇な目で見られてると感じたのかな。
自分を見たのだとしたら、映像美として残したい一瞬だ。
耽美すぎる・・・

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 15:50:29
>>55
死人に口なし
女装爺の言いたい放題
なにを神秘ぶってんだよ

美輪ぐらい三島でやらずぶったくりを続けてるヤツはいない
ペ転&鷺師

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 22:59:09
学習院の高等部在学中の三島のノートに
「松ケ枝に降る春の雪」という文章が書かれていたのが見つかった。
春の雪の構想は高校生の頃から持っていたとしたら驚きだ。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 00:19:57
美輪さんは三島を好きだに100モリタポ。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:00:51
彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。

三谷信

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:01:21
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信


246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:01:50
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。

三谷信


247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:02:20
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信


248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 13:22:51
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。

「死と夜と血」

俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時

夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ

死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと

俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ

ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。


249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 13:23:28
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。


250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 15:11:35
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、
彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。

ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。


251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 12:21:44
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 17:09:17
へ〜

253 :山田の塩:2008/05/04(日) 23:28:28
日清カップヌードルが食べたいのに高くて無理

まるちゃんのレッドフォックスとグリーンたぬ公は食べ飽きたので
日清はそろそろ元の値段に戻して下さい。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 23:51:17
産湯の話はこの人か?

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 10:46:55
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。

三谷信


256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 11:17:48
ジャンジャックあげ

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 23:37:05
三島「君はとっても優秀な人間だが5%の欠点が君をダメにしているよ」
美輪「5%の、欠点って?」
三島「俺に惚れないことだ・・・」

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 12:59:08
すごいな三島
どんだけ自分をいい男だと思って高い位置においてるんだ?
文筆家としては超一流だが、容姿はそれほどでもないのにな

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 13:40:09
そういう意味じゃないでしょ

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 14:04:47
じゃ、どういう意味よ
悪いが教えてくれないかねえ

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 20:20:10
美輪のデマ

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 21:57:19
三島が美輪様に惚の字だったんだよ。
美輪様によると。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:47:39
>>260
三島由紀夫は、有名作家の自分にすぐになびかない美輪に、ほめ言葉として欠点と言ったんだと思うよ
別に自分の容姿にうぬぼれて言ったわけじゃないでしょ


264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:05:57
>>258
いや、個人的には三島は男としてはかなりいいと思うよ
今と男の価値観が違って昔は、三島や三船や加山雄三みたいなのがいいとされたんだよ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:43:31
「男として」という定義も甚だ曖昧だと思うけど
仕事が出来る+態度が確固としているという点では
いい男の部類に入るとは思うよ
だが、甘えるにしてものぼせるにしても
好きな人間を夢中にさせるにはいかんせん容姿が足らん
あれだけ美を追求した三島のこと
それくらいはよく分かっていただろうに
しかし、褒め言葉として欠点と言ったのなら
かなりややこしい人間だな



266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 11:35:36
ややこしいというより、お洒落な会話にみえるよ
作家だから、わざと反語を使ってユーモアで、気を惹こうとしたんでしょう

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 14:29:25
文章表現ならいざしらず、お世辞にもお洒落な会話ではないだろうに
聞かされた方はどうしたらいいんだ?って思うだけだよ
三島は対人関係がへたくそだったんだろうな




268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 16:18:41
三島由紀夫の、会話上手は有名です。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:07:07
有名であろうがなかろうが、少なくとも三輪の件では下手

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:23:15
>>269
田舎者には、そう見えるんだ

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:51:24
あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ。

「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。
少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。
普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。
それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。

美輪明宏

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 23:56:35
>>270
そういう紋きりの逃げは恥ずかしいな
世界中たいていの場所へ住める昨今
日本に限定して田舎も都会もない
三島の文章と心理描写と実際の態度は一流だ
しかし三輪とのその会話はいただけない
それだけだよ

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 10:37:31
あんたが下手だと思っても、美輪にとっては下手じゃないんだよ
あの会話を美輪は自慢げに、人に語っているんだしね


274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 16:19:40
三島由紀夫「空飛ぶ円盤信じますか。」

江戸川乱歩「ぼくは確証をうるまで信じない方です。心霊現象なんかでもおなじですね。」

三島「ぼくは絶対に信じる。」

芥川比呂志「この間『朝日ジュニア』からアンケートが来たけれども、人工衛星がまわっている世界だから、空飛ぶ円盤だってありそうな気がする。」

江戸川「そういう比論では信じられない。現実に確かめなくては。」

三島「ぼくは頭から信じちゃう。そして、ぼくはお化けはきっといると思うの。(笑)」

山村正夫「心霊実験も信じますか。」

三島「信じますね。」


275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 21:08:33
http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html

檄文 三島由紀夫


http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html

演説文 三島由紀夫


276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 21:02:15
三島邸って大森からだとどうやって行けばいい?

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 22:02:33
>>276
住所は大田区南馬込4丁目32ー8みたいだよ。
ところで三島邸ってまだあるの?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:31:39
人権擁護法案が通ると、在日、朝鮮総連が三島由紀夫の文化防衛論を発禁にするおそれ。

67:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:11:01
三島由紀夫も発禁だな
よろこんで在チョンとかが申請しそうだ

んじゃなくても『文化防衛論』とか事実上の発禁だし

74:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:59:26 [age]
>>67
三島由紀夫の「文化防衛論」は、絶版にされちゃうだろうね。

三島由紀夫は、朝鮮人問題(韓国人じゃないよ)の欺瞞、日本に北朝鮮学校をつくり都知事の許可を得て、反日教育をほどこす北朝鮮人の欺瞞、民族疎外を革命に利用する欺瞞と偽善について述べているからね。
昔から見抜いて警告していた三島由紀夫はすごい。


279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:33:45
人権擁護法案、外国人参政権、反対
http://tk01050.blog27.fc2.com/blog-entry-25.html

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 02:08:44
>>277
ありがとうございます

表札だけでもおがんでみたくて

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 16:24:08
三島由紀夫原作:鹿鳴館
6月6日〜29日 新橋演舞場にて公演
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/0806/index.html

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 18:26:21
三島由紀夫の子孫がDAIGOってこと?

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 14:58:48
>>282
遠い親戚なんじゃないの?

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 15:05:12
>>257
これは女を口説くときに使えそうなセリフだね

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 18:15:28
ウホッ使える

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:30:55
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より


287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:31:46
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より


288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:32:18
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より


289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:35:37
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より


290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:40:47
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より


291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:41:26
あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より


292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 18:20:45
アツイね

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 12:32:57
われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 12:33:27
われらには、死んですべてがわかった。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。
われらはすべてを言う資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 23:54:02
三島さんの文学には倫理や道徳を侵すことをテーマにした作品が多いことはよく知られています。
その一方で、楯の会の制服を私の会社に注文した時の生真面目な態度にも表れているように、現実の行動においては極めて倫理的、道徳的であったことも、三島さんをよく知る人々の間では、つとに知られていました。

辻井喬


296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 23:58:59
飲み会では三島はすぐ帰ってたらしいね

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 10:52:39
毎日規則正しく時間を決めて、夜から朝にかけて書斎で執筆してたそうです。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 11:01:59
とある銀座のバーで。

石原慎太郎「三島由紀夫を殺したのはお前だ!」

美輪明宏「そうよ、三島さんを殺したのは私よ。今度はお前を殺してやる!」

石原「何言ってんだい……ブツブツ」

石原すごすご逃げてゆく…

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 17:22:01
猪瀬直樹著『ペルソナ』に出ていたマダムX(三島と4年間恋人だった満佐子という女性)のことが書かれた本が出版されてます。

岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣)


300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:02:35
300

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 12:01:51
今日の辻井喬の回顧録は、三島由紀夫と石橋湛山の共通思想を考察しながら、
三島が戦後の手続き民主主義の欺瞞に、生命を賭けて反対したことについて触れています。
三島を領土拡大や国粋主義右翼と見るのは、意図的な誤解で、誤りだと述べています。


302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 11:13:30
■ラルク関連記事
ラルク新曲は三島由紀夫『金閣寺』の影響か
http://www.222.co.jp/NetNews/article.aspx?asn=11267


303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 23:45:43
宇多田ヒカルも三島ファン

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 11:57:44
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。

保田與重郎
「ただ一人」より

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 11:58:29
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。

福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より


306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 03:48:41
三島由紀夫がかっこよすぎる

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 12:05:11
彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

保田與重郎
「天の時雨」より

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 12:05:48
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

保田與重郎
「天の時雨」より

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 12:09:59
三島由紀夫が尊敬していた保田與重郎の三男の直日さんは、学生時代からアラブ支持の活動をしていて、パレスチナ難民へのカンパ活動、難民救済に打ち込んでいたそうです。
そして昭和42年、中東戦争でアラブ側がイスラエルに完敗した数日後に、保田直日さんは睡眠薬を飲み自らの命を断ったとのことです。
三島由紀夫がこのことを知っていたかどうかは不明ですが、保田與重郎の三島への思いは、この息子の死とも重なり、より大きな悼みになったと思われます。


310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 11:28:29
東京都知事・故青島幸男氏は三島の割腹を聞いて
「オカマのヒステリー」と揶揄し、青島自身はTVで楯の会制服を着て
横の会と称しコントを行なった。
このような氏であったが、数年後、シンガンス釈放事件について
マスコミから追求されると、マスコミ取材は居留守をつかい逃げ回った。
三島と森田の検死解剖は慶応大学医学部解剖学教室が行なった。
珍しいということで、当時、慶應大医学部学生に公開された。
三島は臍下を左から右へ13cm切り裂いていて腸が飛び出していた。
三島は舌も噛み切っており、検死解剖にあたった教授は
三島の壮絶な気概をを感じるとコメントを残している。
両氏の遺体は一時、警察の車庫内に安置されたが
車庫前に警察官達自らが献花台を設置した。
警察官が加害者の遺体に献花台を設けるのは珍しいこと。
全共闘のリーダーが献花に訪れたのは有名な話。
このリーダーはその後、自死された。


311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 14:08:24
青島なんか単なるチンカス都知事、死んでも誰も惜しまれず。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 16:34:32
三島先生が亡くなった時、僕はやむにやまれぬ気持ちで日本刀を抜いて、号泣した。

鶴田浩二


313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 15:40:46
鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」

三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」

鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」

三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」

「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より


314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 16:52:33
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。


315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 16:53:26
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、
三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。


316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 12:39:53
潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。

『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』

三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から題名をとりました。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 10:24:30
神島いきたいなあ

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 21:02:20
美輪と三島はきってもきってもきれない縁


319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 11:14:57
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」

三島由紀夫

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 17:15:57
聡子さんが門跡になった月修寺のモデル円照寺の
第10代山本静山(じょうざん)門跡は、昭和天皇の妹君・糸子内親王でした。
http://urano.org/kankou/kitayama/kitaya6.html

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 14:52:55
大東亜戦争の意義(1)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080611/p1

大東亜戦争の意義(2)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080613/p1

大東亜戦争の意義(3)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080615/p1

大東亜戦争の意義(4)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080616/p1

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 15:21:50
右翼って昔と今じゃ違うもん?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 03:46:43
共産主義が実質敗北したから右左の区別は曖昧になってる。だから右左は昔みたいに明確な線引きは出来ない少なくとも今の日本では

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 05:06:36
>>322
そもそも右翼と、すべて悪いかのごとく日本の愛国を断罪したのは先勝国と、それに便乗した共産党、朝鮮中国。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 13:32:59
割腹したあと解剖で肛門から何人分の精液が検出されたんだっけ?

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 14:00:34
>>325
それ事件直後に朝日新聞系が流したデマだと聞いたよ。いったいいつまで昔の時代のデマありがたがってんの?
>>136-137を参照。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 10:12:07
彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。

自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より


328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 10:13:07
自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。

その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より


329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/04(月) 16:41:05
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:18:53
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:20:29
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:21:23
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:52:05
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。

小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 14:02:28
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 14:03:17
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 14:06:47
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。

国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 00:13:27
麻酔で眠ったことある?
麻酔で眠っている間は無意識で夢は見ないと言われています
死という感覚は麻酔で気を失った状態が永遠に続くようなものだと誰かが言ってました

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 12:26:57
へー

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 15:13:24
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。

西尾幹二

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 16:55:41
>>26
公務員試験の席次が150番とか180番だったから大蔵にいてもまず
本省局長にはなれなかった。最初の配属先は銀行局だかの超マイナー課。
期待の新人エースなら官房秘書課、文書課或いは主計局に配属される。
だいたい大蔵で次官・局長目指すなら一桁合格じゃないと無理な訳で
退官して正解

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 02:02:42
ここのスレ主さん的に
映画「MISHIMA」はどうなの

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 10:31:14
>>26>>340
大蔵省をやめてから作家になったわけじゃなく、その前から作家だったからね。


343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 10:49:18
>>341
まだ全部ちゃんと全般的に見てません。

三島の薔薇刑をとった写真家の話だと、実際の三島とは違う描かれ方をしているらしいし、
海外の映画監督から見た三島像、ミシマという実際の三島由紀夫とは少し違うある一人の芸術家を描いた映画として見ればそれなりにいいんじゃないでしょうか。

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 22:02:08
なんだ、見てないのか
では映画「憂国」はどうですか

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 12:28:05
>>344
小説より、妻の心理描写が巧く描かれていたと思うし、切腹の迫真で怖かったよ。
あなたのミシマと憂国の感想はどうですか?

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 21:26:59
三島論
http://www.geocities.jp/captifamoureux/mishima.htm

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:04:53
三島ほしゅ

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:53:03
NHKのアーカイブで川端と三島と志賀の対談見たとき
川端は年下の三島に精神的甘えてるように映った。三島もそれを
受け入れてるような間柄に見えた。親が子供に甘えるような感じ。
三島が割腹する前に川端も自ら命を絶ってしまった。

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:56:40
>>337
麻酔で眠ったことは2度あるけど
2回ともものすごく怖くて奇妙な夢を見てうなされたよ。
麻酔が醒めかかったときだったのかな。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 15:05:04
>348
川端が自殺したのは三島切腹の約一年半後だよ。

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 13:37:48
三島由紀夫の妹は敗戦後まぎわにチフスで17歳で死んで、そのとき聖心女子学院生だったけど、
『朱雀家の滅亡』のなかで制服で出てくる璃津子について三島は「僕のノスタルジーだよ」と言ったらしい。
璃津子(ritsuko)は
妹の名前、美津子(mitsuko)の音(iuo)を表していたのかな。
もしかして、美智子皇后とお見合いしたのも、妹と同じ聖心女子学院だったからかもしれないと、ふと思った。
お見合いの前か後かは判らないけど、美智子さんの聖心女子大の卒業式も三島は見に行ってたらしい。たぶん聖心だったからだと思う。

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 17:55:25
 天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見
  岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見
************

 岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。

 同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。

 このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。
 岡潔先生曰く。
 「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、
天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」

 編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?

 岡潔の答え。
「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、
不滅の真理かのように思いこんでしまっている。ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。


353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 15:41:13
三島由紀夫氏、没後三十八年『憂国忌』の御案内
============

 記
とき   11月25日 午後六時(五時半開場)
ところ  九段会館 三階「真珠の間」(地下鉄「九段下」)
記念講演 評論家 西尾幹二氏
演題   「三島由紀夫の死と私 ――限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念」

ほかに発起人の追悼挨拶があります。

代表発起人 井尻千男、入江隆則、桶谷秀昭、嘉悦康人、小室直樹、佐伯彰一、篠沢秀夫、竹本忠雄、中村彰彦、細江英公、松本徹、村松英子

(当日、一般入場者の会場分担金はおひとり千円)
 皆様のふるってのご参加をお待ちします。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 12:00:59
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2641046


緒形拳が演じる三島由紀夫の最期

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 12:57:06
今年もお墓に行きます
白菊と葉巻を持って
待っていてくださいね(^-^)

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 14:51:31
褌が似合う三島由紀夫
http://www.vipper.org/vip1005855.jpg
http://www2.vipper.org/vip1005856.jpg


357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:30:34
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:31:59
「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:32:40
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 16:51:04
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人にウィリアム・フォーサイス(バレエダンサー、振付家)がいますが、
1991年に初演された彼のバレエ『失われた委曲』(ザ・ロスト・オブ・スモール・ディテール)は、
三島の『奔馬』の次の一節をテーマに美をラディカルに呈示し、構築的であり幾何学的な構造を持っている三島的な神話世界を表しています。
「時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内側の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか」

フォーサイスは記者の「なぜ三島のテキストを引用したのか」という質問に、
「三島を読んだとき、三島の方が僕のバレエを引用しているのかと思った」と答えたそうです。

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 11:13:55
(「共産党」を「民主党」に置き換えると現代にも通用する)

『わたしにとっての共産党』三島由紀夫

日本共産党と自民党は同じだ。どちらも議会主義、憲法擁護を表看板にし、それでは何もできないことを知つてゐる。
理想を放棄してゐるんだ。また大衆社会といふ白痴美の女をねらふ二人の男にたとへられる。
二人ともメガネをかけて一見、紳士風。男性化粧品をふんだんに使つて「結婚しても決して暴力はふるひませんよ」といつてゐる。
ただ、この勝負、共産党のほうが、女の財産をねらひ、骨までしやぶらうとしてゐるだけ有利かもしれない。


362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 15:17:05
皇居参賀・日の丸小旗配布奉仕の御案内を申し上げます。

☆集合時間 1月2日 午前8時20分
☆集合場所 本部テント前(馬場先濠堤・行幸通り側)
☆晴雨に拘わらず実施致します。
☆皇居と東京駅を結ぶ行幸通りに於いて、緑色の帽子を被りながら奉仕致します。
☆参加希望者は不二歌道會(03-3401-0963)または三澤浩一(090-2622-4242)まで御一報願います。

☆開閉門ならびに御立ちの時刻は下記の通りです。
[開門―09時30分]
1回目―10時10分
2回目―11時00分
3回目―11時50分
4回目―13時00分
5回目―13時50分(以降記帳は15時30分まで)
[閉門―15時10分]

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 13:37:48
西尾幹二の三島由紀夫論
『三島由紀夫の死と私』(PHP刊、上製。1500円)発売中

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 10:44:49
川端康成氏を囲んで (三島由紀夫 伊藤整)1/3 -3/3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674134
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674204
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674343

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:31:49
▲川端康成と三島由紀夫の関係の堤堯氏の指摘

堤堯氏は雑誌『WiLL』2007年1月号の「ある編集者のオデッセイ」で、三島、川端両氏の間にノーベル賞を巡ってすさまじい確執があったことを書き記しています。

「まあ、運がいいんでしょう。拾いものみたいなものですからね」との鼎談での川端の発言は受賞を謙遜していますが、
ノーベル賞獲得への猛烈な執念を押し隠したもので、その執念を知る三島はどんな気持ちで聞いていたことでしょう。
鼎談の二日前でノーベル賞を受賞する前日の昭和43年10月16日、川端は三島に次の手紙を出しています。

「拝啓 春の海(春の雪ではなく!)奔馬 過日無上の感動にてまことに至福に存じました・・・」
鼎談の時までに、三島がこの手紙に目通ししていたのであれば、川端の雑駁な誤記を胸に深く畳んで収録に臨んでいたのです。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:32:44
受賞発表の17日候補者である三島は毎日新聞に待機して発表を待っていました。川端受賞の報を受けるとその場で祝辞の稿を書き上げます。

「川端康成氏の受賞は、日本の誇りであり、日本文学の名誉である。これにまさる慶びはない。
川端氏は日本文学のもっともあえかな、もっとも幽玄な伝統を受け継ぎつつ、一方つねにこの危うい近代化をいそいできた国の精神の危機の尖端を歩いて来られた。
その白刃渡りのような緊迫した精神史は、いつもなよやかな繊細な文体に包まれ、氏の近代の絶望は、かならず古典的な美の静謐に融かし込まれていた。
ノーベル文学賞が、氏の完璧な作品の制作と、その内面との、文学者としてのもっとも真摯な戦いに与えられたことの意義はまことに大きい。
それはひとり川端氏のみでなく、千数百年にわたる日本の文学伝統と、同時に、日本の近代文学者の苦闘に対して与えられたものと感じられるからである」

実に格調高く、日本人作家としてともに受賞をよろこんでいる気持ちが伝わってきます。
しかしタペストリーの表糸のような、明朗優美な表現とはトーンの異なる、陰影を帯びた鋭利な裏糸が縫い込まれた件りが次に現れます。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:33:36
「人間に対する真の愛情とは?
ここに氏の文学の、表面にあらわれぬ深い主題がある。
すなわち、古典的な優雅な文体の下に、氏の文学には、近代文学のもっとも先鋭な主題『そもそも人間が人間を愛することができるか?』という設問が隠れているからである」

『そもそも川端は人間を愛することができるのか?』
『常に師川端を立て、文学上はもちろん私生活の部分でも細やかな配慮の塊のような弟子三島を愛することができるのか?』と読み替えると、とても鋭利な川端への問いかけとなります。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:34:26
更にこう続きます。

「スエーデンに紹介された氏の作品は『雪国』、『千羽鶴』、『古都』の三篇の由であるが、この中に氏の近年の傑作『眠れる美女』が含まれていないのは残念である」

『眠れる美女』(昭和36年)を、これほど熱意を入れて評価する文壇人、評論家は何人いたのでしょう。三島だけではなかったでしょうか。
翌日のテレビ収録でも「『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね」と牽強付会的に、この作品名を挙げています。このしつこさは異常です。
毎日新聞の三島の祝辞を読んで川端は内心ビックリし、収録時も面を食らったことでしょう。
三島が川端への祝辞記事や鼎談での発言で、『眠れる美女』の作品名を執拗に挙げたのはなぜなのか、奇妙な観をぬぐえません。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:35:16
▲『眠れる美女』に関して

元文芸春秋編集長の堤氏は『眠れる美女』の三島代作説を肯定しています。
もし「代作」なら作品はどのように完成されたのでしょう?
三島がモチーフを提供しただけなのか、下書き的な草稿を作成したのか、川端のモチーフを元に、あるいは川端が書きかけたものを三島が完成させたのか・・・。そういう共作的なものだったのか?
川端作品を三島が「代作」した証拠はありません。その必要も事情も見当たりません。しかしそれにも拘わらず、文壇・出版界に根強く代作説は流布しています。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:47:06
▲「川端康成氏を囲んで」の会話

川端 ― (私の作品を)面白がる人は非常に面白がる。思いも懸けない小説みたいなものを読んだ気がするんじゃないんでしょうか。

三島 ― 私がこれから楽しみにしておりますのはね、川端さんの御作が、これを機会に向こうでどんどん(翻訳されて)出ると思うんですね。
たとえば『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね。
川端さんの作品で非常に構成的でしょう。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:47:53
▲最後の川端康成と三島由紀夫の手紙

昭和47年4月梓(三島の父親)は川端から、彼(川端)が自死する直前に長い手紙を受け取っています。
しかし
「その内容についてはもちろん絶対にノーコメントですが、川端さんのまったく意外な点が実によく表れていて興味をひかれました。
とまれ家宝にして永く大切に保存してゆきたいと思っています」
と封印され公になっていません。
これが「眠れる美女」の三島代作説や川端の三島への思いを明らかにしてくれる(カギとなる)可能性があります。

昭和45年7月8付で三島が富士の演習場から川端に投函した鉛筆書きの手紙がありました。
これは親族(川端の)により焼却されたそうです。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 23:14:18
憲法第九条はGHQのニューリーダー(ユダヤ人共産主義者)によって
作られた売国憲法である。憲法第九条を擁護する者は国家を解体し、日
本を共産主義へ移行させようという悪魔の夢を抱いている売国奴である。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 00:07:40
『これでいいのか日本の防衛』三島由紀夫

Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?

三島由紀夫:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。
侵略に対処するには力しかない。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 22:56:03
…例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島由紀夫)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。
事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。
いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。

小林秀雄
「感想」より

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 22:56:25
思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。

エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を投じた。
狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである。

実生活を離れて思想はない。併し、実生活に要求しない様な思想は、動物の頭に宿つてゐるだけである。

小林秀雄
「文学者の思想と実生活」より

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 15:55:48
「まさか、死ぬとは!すごいジョックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」

陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 16:03:27
「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」

自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 16:26:29
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合をかけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。

K陸曹
三島演説を振り返って

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:26:09
●北方領土で長期目標を提議した森田烈士

森田必勝氏の論文は今から丁度40年前に書かれたものです。
同論から、北方領土問題に向けられた森田氏を含めた当時の保守派民族主義学生運動のうねりを感得することができます。
森田氏は民族主義運動の学生仲間と札幌、根室などを訪問して、現地の人々と交わり復帰運動の現状を探ります。
そこから自分たちの推し進めている学生運動が北方領土問題とどう取り組めるか、どんな役割が果たせるかを自分たちの「使命感」を持って真剣に模索します。
民族主義運動として、その存在をかけて何がやれるかを熱心に追究します。
論文のタイトルにあるように、森田氏は「北方領土復帰運動」を「民族運動の起爆剤」にしようと志向しています。
森田氏は北方領土に関して、政府も漁民も立場上言えないような主張を代弁することが学生としてできないかを現地で実直に思案します。
エリート学生(当時の大学進学率は低かった)として、高踏的に復帰運動を俯瞰しようとはしません。地に脚のついた立ち位置をとろうとします。

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:27:03
現地では、まず復帰運動に関わる漁民ら住民との微妙なギャップを知らされます。
森田氏らは「全千島、南樺太奪還」のスローガンを掲げているのに対して、彼らは「国後、択捉、歯舞、色丹返還」の違いがありました。
政府と地元で行われている官製運動の形態と、それらの限界にも目を向けます。
「領土に対してもっと厳粛な気持ちになって、たとえ一片の土くれ一塊の岩石であっても、我が国の領土ならばこれを守り抜いてゆく、即ち領土に対する厳粛な継続者であるということを民族の遺言に植えつける必要があると思う。
こういうことから私は、北方問題は南方問題でも同じように言えますが、これは “民族の遺言運動だ”と言いたい」
という北海道庁領土対策本部長の言葉に森田氏は感じます。
「(北方領土問題の解決は)極めて悠長だが重要で」、「世代から世代へ、親から子へと受け継がせていかない限りこの民族の怒りの火は消えてしまう」 と森田氏は思うからです。

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:27:42
●迸る領土返還への情熱と愛国心

森田氏は「北方の島々がまだ当分還ってこないとすれば、長期的、持久戦的視野も重要だ」と指摘します。
それから40年経て北方の島々は還ってきていません。進展も見ていません。
進展はありませんが、北方領土問題でソ連やロシアとの交渉に長年あたってきた諸氏はいます。過去十数年間の交渉の実態を知る資料のひとつとして、2006年上梓された『北方領土「特命交渉」』があります。

森田氏は自問します。
私たちは何のために「北方領土復帰運動」をおこなうのだろうか、と。
「たとえ、ソ連が何十年居座ろうとも、われわれは日本民族の闘いとして、この運動を続ける」と根室市での懇談会で、ある老人の発した言葉に森田氏は揺すぶられます。
いっさいの理屈を超えたところに「北方領土復帰運動」があるという老人の発言は明快そのものです。森田氏が老人の心意を直観したのは言うまでもありません。
親子の間の愛について理屈を説いて説明する必要がないように、「日本民族」はそれを育んでくれた「日本領土」への愛しみがあります。両者が一体であることに理屈はないのです。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:28:20
何者かに民族が領土から剥がされ、その一体性が奪われたのなら、領土を奪い返して愛を回復することは当然です。
奪われた北方領土を取り戻そうとするのは日本民族の本源的な情動です。
森田氏は、「この老人の一言に、おそらく私たちすべての立場は代表される」と深く感動します。
森田氏にはこのように魂の叫びに共感する感性があります。
森田氏は1960年代後半当時の国際情勢をつぶさに分析しています。
それと北方問題を照応させ、この運動は長丁場になると的確に押さえます。
「北方領土復帰運動」を、「失われた民族心の回復と、祖国への誇りの回復」 と位置づけ、「この闘いを勝ち抜くのである」と宣します。
森田論文が発表された昭和43年(1968年)当時、民族主義学生運動という熱いうねりがありました。
この学生運動が真剣、真摯であったのはその時代の様相を反映していたのでしょう。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 21:31:25

【MAD】椎名林檎 メロウ  三島由紀夫に捧ぐ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5155149

● メロウ ●

橙色は止まらない
黄色を探して乗り込め

お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える
蔑んでくれ

僕は何処迄も真摯なのだ“至って普通さ”

いま群れ為す背中
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?

意識は希望に素直じゃあない
回避するなんて止めておけ
お前の弁護をしているマシンをぶっ壊してあげるよ
引き攣ってくれ
僕は此処でお前に云うのだ“愛しているさ”
いま赤く染めた
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?

美しい予感・目に映る全て・儚き事象

要らぬ もう 要らぬ
嗚呼・・・

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 15:39:59
2chスレに駐在する三島信者のオバサンは
三島美化のためなら平気で真偽の定かでないコピペをするからな。
しかも時にそれに混ぜて三島美化の作り話までさも真実の記事のように掲載する
から恐ろしい。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 17:00:25
私のは、ちゃんと出典書いてるし、ほとんど三島由紀夫全集からの引用です。
あんたが三島を知らないから嘘にみえるだけ。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:29:10
平成2年11月25日
「題名のない音楽会」より

ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
演奏 東京フェスティバルオーケストラ

(黛) 三島さん、あなたがこの世を去られてから、ちょうど二十年の歳月が流れました。長いようでもあり、短いようでもあります。
二十年前、あなたのあの壮烈な死の直後、私はこの「題名のない音楽会」であなたへの弔辞を捧げました。そのなかで私はこう言いました。
「三島さん、あなたが自らの死によって訴えたかったこと、それはあの檄文の最後にある言葉「我々の愛する歴史と伝統の、国日本を日本の真の姿に戻そう。生命尊重のみで魂が死んでもいいのか。」

この言葉にあなたの思いは集約されていると私は思います。最後のバルコニーの演説でも冒頭にあなたはこう言っている。
日本は経済的繁栄に現を抜かして精神的には空っぽになってしまった。君たち、それがわかるか、と。
自衛隊の存在も含めて潔癖なあなたは政治的ごまかしを許すことができなかった。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:33:17
現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。
あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:37:01
あなたがもし、政治家だったとしたら、こんな方法は絶対にとらなかったでしょう。
あなたが意図したことはだから、自衛隊に決起を促すクーデターではなかった。心ある人々の魂にぐさりと突き刺さる精神のクーデターだったのです。

(間)
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

三島さん、二十年前、あなたがあの壮烈な死を遂げられた直後、私は「題名のない音楽会」でいま言ったような弔辞を捧げました。
そして、あなたが自らの死を以て暗示してくれた精神的クーデターは近い将来、必ず起こるはずだから、どうか、あなたのこよなく愛したこのワグナーを聴きながら、幽明境を異にした天界で日本の将来を期待とともに見守っていて下さい。

このようにお願いをしました。それから二十年。日本は変わったでしょうか!
残念なことに、本当に残念なことに少しも変わってはいないのです。あなたが、死を賭して訴えた自衛隊の問題にしても未だに決着はついていません。
三島さん、あなたの名前は今でも一種のタブーです。あなたの数々の作品は芸術的には高く評価され、あなたの才能を疑う人間はいないけれど、あなたの思想は依然として危険視されています。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:41:54
いまの日本は、二十年前、あなたがいみじくも予言した通り
「私はこれからの日本に希望が持てない。このままいったら日本は無くなってしまう。そのかわりに無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るだろう。
それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれない」。
こういったあなたの言葉通りが現実なのです。本当に残念なことです。
三島さん、あなたがいなくなってからの二十年は、あなたが望んでいたような二十年ではありませんでした。また、これから先の日本が果たしてどうなるのか、誰にも予断はできません。
しかし、今までの二十年と同じくあまり期待のできない将来であることは、おぼろげながら予測できそうです。
ともあれ、いま、幽明境を異にしたあなたに私ができることといえば、あなたの好きだったこの曲を捧げることくらいでしょう。この曲がうたっている死とはかり合えるほどの重さを持った愛の尊さをあなたと一緒にかみしめましょう。
その愛の対象が果たして人間なのか、祖国なのか、民族なのか、天皇なのか、はたまた自分自身なのか、それはいま問わないことにしましょう。
三島さん、どうか安らかに眠って下さい。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
(万雷の拍手)

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:10:38
戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対ありえないからだ。
これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は一人もゐない。
…広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。
…それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。
世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:11:01
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といつた。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。
だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:11:28
いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。
日本は核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。
良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。
そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:11:54
戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。
だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が保たれたかといふと、さうは思へない。
第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さがわかつてゐても、必ず使はれたらう。
人間とは本来、さういふものである。
…将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。
…だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としてのICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、
つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ考へに達した時であらう。

三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 22:37:56
三島由紀夫 インタビュー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6218318

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 23:54:29
三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 23:55:45
この仕事を始めるに当たって三島さんは、「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちでマイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 00:21:24
こわい

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 10:48:52
あーあ、今回の独立宣言を作るという話は、どうも企画倒れに終わりそうだな。
そう思いながら、新潮学芸賞を受賞した徳岡孝夫さんの「五衰の人―三島由紀夫私記」を読んでいたら、なんと、びったりの文章が出てきた。
四半世紀も前、三島由紀夫が自決したときの「檄」の一部にこういうところがある。
「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。」
まさに、今の日本そのものじゃないか。まずこの一文を、日本の独立宣言文の冒頭に掲げるところから始めようかと思ったよ。

ビートたけし
「憲法爆破」より

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:02:23
一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。
三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。
三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:04:10
三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を依頼することはありませんでした。
三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。
三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。
三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:05:13
「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは資金の出どころが明確だったおかげだと思います。
三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。
以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、
奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。
注文後、一年ほど商品が着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 11:59:49
『週刊新潮』と『週刊文春』が偶然にも三島関連記事

 今週発売の週刊誌にいくつか三島由紀夫の記事があります。

ひとつは週刊文春の、゛皇室ジャーナリストが覗き見た三島由紀夫の生首゛という現場写真のない「家政婦は見た」風な平板な記事です。
クゥデタが進行している現場室内を一記者が覗き見ていたとは自衛隊の体たらくさが窺われます。
五人の決起部隊は人質にした益田総監が自決することを案じましたがまったく杞憂でした。
生々しい現場の様子は、ヘンリー・スコット・ストークス氏の『THE LIFE AND DEATH OF MISHIMA』のギリシャ語版193ページを見開いた左側の一葉の写真にあります。英語版、日本語版にはありません。三島氏と森田氏の首が並べられ、断ち斬られた首の断面から下も写っています。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 12:03:58
もうひとつは週刊新潮の゛「美智子さまと三島由紀夫」のお見合いは「小料理屋」で行われた゛という記事です。
毎日新聞のバンコック特派員だった徳岡孝夫氏が昭和42年インドからの帰途そこに立ち寄った三島から ゛僕は美智子さんとお見合いしたことがあるんですよ゛と聞いたそうです。
「家族一緒に歌舞伎座かどこかで芝居を見て、食事をしたんだそうです」と徳岡氏は述べています。
如何なタイトルかと思い精読していませんが徳岡氏は三島評伝『五衰の人』にバンコックでの三島について詳しく(悪所通いの件まで)書いていますが、美智子さまとのお見合いの話がその時三島から出たと書かれていたか手元にないのでわかりません。
記事のタイトルにある「小料理屋」とは銀座六丁目の小さいながらも高級官僚御用達だった割烹「井上」で、ここの女将がかつて新潮の記者に「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」と語っていたそうです。
徳岡氏の話と繋げると三島と美智子さまは歌舞伎座からこの「井上」に回ったのでしょうか。「井上」は平成五年の時点で土地と建物が塩尻市に寄付されていますからもう営業はしていません。
歌舞伎座も来年取り壊されます。
記事は「昭和45年11月25日、新宿の自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫は割腹事件を起した。美智子さまは、その報せをどのような思いで聞かれたのだろうか」と結ばれています。
お見合いに臨んだ両家の生存者は今や美智子さまだけです。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 14:01:33
 ケント・ギルバート氏を招いて「私の卒論もミシマ・ユキオだった」

 弁護士、タレントとして活躍のケント・ギルバートさんを招いて公開講座です。
 じつはケントさん、たいへんな親日家であることはご承知の通りでしょうが、卒論がミシマ・ユキオだった。そのあたりから日本文化と米国文化の違いなどを雑談もまじえて語っていただきます。
        記
とき      4月24日(金曜日) 午後六時半(六時開場)
ところ     市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」四階会議室
講師      ケント・ギルバート
演題      「私の卒論もミシマだった」(仮題)。
会費      2000円(会場分担金として)。賛助会員ならびに学生=1000円
        △
終わってから近くの居酒屋で「懇親会」があります。別途会費3000円を予定。これは希望者のみです。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 14:06:32
 ケント・ギルバート氏から篤いメッセージが届きました

 「なぜ私は三島由紀夫『春の雪』に惹かれたのか?

大学一年生のときに、教会からの指示で日本へ伝道に行くように言われ、選ぶことも断ることもできないまま日本に渡った。そこで日本語を学び、帰国後は大学で日本文学を学んだ。
モルモン教徒として厳しい戒律の中で生活していたとき、三島由紀夫の「春の雪」と出会い、自由奔放に生きる主人公の姿に感銘して三島由紀夫を読むようになった。
英訳本は知りうる限り全て、後には日本語版で可能な限り読破した。学生時代、三島に関する論文も書いた。
大学時代、最初は英訳本を読んでいたが、だんだん日本語版で読むようになった。
1975年、沖縄海洋博覧会のときにスタッフとして招聘され、再び日本の地を踏む。その頃はある程度自由に日本語を操ることができるようになっていた。
大学に戻って法律大学院(ロースクール)に通っていたが、同時に日本文学学科の日本語教師を兼任していた。
モルモン教は自死を厳しく戒めているが、それは「私の世界」での自死であり、三島由紀夫の死は、モルモン教が規定している自死をはるかに上回る死である。
教徒である私(ケント)自身、三島の死の意味を、今尚考え続けている。
三島の死を考えるとき、天皇の存在を抜きには考えられないのだろうが、「究極の価値」ということなのか、と漠然と感じている。
残念ながら「文化防衛論」をまだ読んでいないので私(ケント)にはまだ天皇の本質的意味を理解できずにいる。
三島由紀夫も、時代の戒律の中で生き続けたが、作品の中では自由に、奔放に人間模様を描いている。人の生き方、存在を、もっともっと三島から学ぶべきことがあるのではないだろうか。
英語の世界(アメリカ)で、最も知名度の高い日本文学者は間違いなく三島由紀夫である。それは、作品の完成度の高さに由来すると思う。
川端文学は、結論がはっきりとしない。遠藤文学はキリスト教を題材にしているが故の評価である。それ以外はほとんど知られていない。
川端よりも三島こそがノーベル文学賞にふさわしい作家であると思っているが、なぜ三島でなく川端だったのかについても疑問に感じている。それを解明したい。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 17:03:21
四谷三丁目近くの通称「河童池」と呼ばれる湿地帯近辺に住んでいる鉄筋屋の息子がゲイだそうです。
国立競技場のトレーニング・センターへ通っていたことがあるらしいので、
このアホ息子を見かけた人もいるかも知れませんが・・・(同競技場の水泳教室にも通っていたとか)・・・
人並みに日本国内の大学へ入れないために、仕方無くアメリカの三流大学へ
「語学研修」のようなかたちで送り出されたそうですけれど、その後はグレてしまって
たいへんなありさまだとか。
参考までに

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 23:54:07
あなたの手の傷はけっして治らないだろう
僕は信じてさえいればいいと思ってた


あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも僕の心臓の鼓動?

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる

無意味な歳月が瞬時に過ぎ
無数の人々がよろこんで命をあなたに捧げる
生き残るものは何もないのか?

自分の中にわきおこる感情を処理する術を覚えようと
自分の中に埋められた土くれに手をつっこむ

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる

足もとの土すら信じきれず
それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら
何度も同じ地点にたち戻ってしまう

あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも心の変化?

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる

デヴィッド・シルビアン&坂本龍一
「禁じられた色彩」(三島由紀夫「禁色」からインスパイア)より

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:02:26
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。
…私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。
…「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。
昭和四十五年十一月二十五日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に戻られた。
パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて散乱していた。
鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。――

増田元臣
「美しい人間の本性」より

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:04:44
三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。
私は幼年期から映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた「映画の友」という月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。
その月の私のコラムは「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは楽しげにもてなして下さった。
…数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のようなものだった。
「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで寂しいではないか――」そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。
以来私も三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。

増田元臣
「美しい人間の本性」より

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:07:24
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。
三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。
試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、
「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」と訊かれたので、
「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。
その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。

増田元臣
「美しい人間の本性」より

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:08:54
特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの時が一致して、私がお供をする形になった時のことである。
私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、
「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」
と尋ねられたので、私は、
「勿論です!」と勢い込んで即答した。
あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。
「三島由紀夫文学」については周知である。しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、容易に理解することは出来ないだろう。

増田元臣
「美しい人間の本性」より

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:12:26
なぜ三島由紀夫wwwww

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 12:55:54






兵役逃れのバカ三島由紀夫は石ぶつけられて死ねよ

兵役逃れのバカ基地害が『復古主義』『愛国』『国防』『右翼』だっておwwwwww

まずお前が兵隊に行けや、卑怯者。何でコイツを非国民扱いしないんだ?

三島は結局、下民は好きなだけ戦争で殺してもいい体制を作って貴族になりたいだけの下衆、人民弾圧思想者だ

コイツの本は燃やして、出版禁止とすべき。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 12:57:07
いいか屑ども

次スレタイに『兵役逃れ』『クソ華族』と入れろ 分かったな

人民弾圧と搾取と特権階級支配体制を目論む卑劣な非人間、先祖代々汚物のバカ三島由紀夫は性病野郎だ

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 12:59:38


こいつ、自分は特権階級者だから兵役逃れたいニダwwwwwwwって逃亡した奴じゃん





なぁ〜にが『盾の会』だよwwwwwwwwww

自衛隊兵士も、卑劣漢の臭いを嗅ぎ取って、嘲笑したらしいじゃんwww
素晴らしい


三島由紀夫はコンクリ詰めにして北朝鮮に流すべき

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 14:56:29
天皇護持ってだけで、復古主義だの貴族だのって決めつけるって、どんだけ脳足りんなんだろ。
三島の著者も作品も一つも読んでない証拠だね。きちがい反日がバカ丸出しだわ。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:03:49
>>416
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま


反戦思想者の私も三島さまを崇拝してます

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:06:11
当時、病気で兵役につけない人でも非国民呼ばわりで弾圧されたのに、
華族の倅の三島さまは兵役逃れしても何の不利益もありませんでした

戦後は国防、9条廃止、天皇護持について勇ましく語っておられます


まさに、私が尊敬する牟田口中将のような方だと感銘を受けました

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:13:16
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C



おーい 盾の会会員さん 説明してくだされ(笑)

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:55:26
三島の父親はキャリア官僚でもないし、華族でもないよ。兵役逃れじゃなくて医者の誤診。
ネットの捏造情報を盾にしてるバカな中国共産党のスパイがご苦労様でした。

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:59:54
>>420
ババアが華族だったんだろ?

ちゃんと兵役についてから大口叩きましょうね^^

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:03:57
何で三島由紀夫教祖さまは兵隊に行かないの??


おいおい、まさか偉大なる三島閣下が仮病なんてことは無いよなぁ?

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:05:47






424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:14:15
こういう荒らし見てるとますます日本は憲法改正しないといけないと思う。

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:16:48
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C



伝統(笑) 皇室(笑) 盾(笑) 決起(笑) 国体(笑)

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:27:21
熱や肺の診察は騙せないよ。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:30:59
>>424
三島スレに来て邪魔しに来るのは護憲の中国共産党スパイだからね。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:33:06
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま


反戦思想者の私も三島さまを崇拝してます

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:42:10
絶対安全な場所から軍国主義思想を唱えてる奴なんて誰が信用するんだw


戦場に行って反戦主義になった人

戦場から逃亡して軍国主義になった馬鹿

↑人間の恥・三島は過酷な戦場で戦った兵士に土下座して首釣れ

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:44:11
愛国だ国防だと大声で言いながら、『皇軍』から逃げた三島は所詮オナニー野郎。

愛国だ国防だと大声で言いながら、『皇軍』から逃げた三島は所詮オナニー野郎。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 21:33:21
三島は国防や憲法については論じてますが、愛国とは叫んでないし軍国主義でもありません。むしろ愛国という言葉は嫌いと言ってます。
三島を批判するなら、もっと三島の論文を読んでから出直してください。次元が低すぎて話になりませんよ。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:49:03
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。

小田実
「三島由紀夫との接点」から

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:49:55
思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死についてしゃべった――
そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。

小田実
「三島由紀夫との接点」から

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:50:40
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。

小田実
「三島由紀夫との接点」から

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 23:46:13
田母神塾 #02
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7063132

436 :名無しさん@お腹いっぱい:2009/06/02(火) 01:55:56
「見出された恋」読んだ方、面白かったですか?
文章が難解だって噂で聞いたんで

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 11:01:17
難解ってほどでもないですよ。
文章も優雅で、三島と満佐子さんのことが描かれていて興味深かったよ。満佐子さんにフラれた三島が気の毒でした。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 16:56:55
三島由紀夫の愚かさのほとんどがアンチ三島由紀夫板に凝縮されていますね
徴兵忌避から三島思想が実は生長の家という宗教の思想であったこと
三島の割腹自殺は現人神思想によるもので、自決することによって
天皇と三島が一体化するという図々しい思想であったこと

ついでに三島が右翼思想になったのはノーベル賞が関係している
三島が「宴のあと」でノーベル賞を逃したとき、ドナルドキーンは審査員が
三島は若いし左翼思想だろうからだめだ。といい加減なことを言って三島の作品を退けたことを
三島に告げたら、あらら熱心な憂国者になりましたとさ。
バカなんだよね。そもそも日本のノーベル賞は敗戦国にも適当に受賞を散らさないと
不公平だろってことで、日本の文壇の権威に与えられることは決まってたのに、
三島は馬鹿だからドナルドの言を信じきって過激憂国アッピール!ww
三島はノーベル賞欲しかったんだねwドナルドもそう語ってるし、ノーベル賞が三島にいってれば
三島は死ななかった語っているね

ちなみに楯の会はゲイ三島が自分好みの若者を集めた集団でまともなものじゃなかった
三島は自決する道連れが欲しかっただけなんだ

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 16:59:23
三島信者さん早く早く!火消し急がないとどんどん火が燃え移っちゃうよw

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 22:00:55
>>408-411
あの増田貴光が三島と交渉を持っていたとは知りませんでした。
出典を教えてください。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:00:14
>>438
ネットアカヒが脳内妄想ご苦労さまでした。全部前提が間違ってます。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:02:17
>>440
全集に付録されてる月報です。

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:08:40
>>442
ありがとうございます。探してみます。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:18:04
>>438
ちなみに、三島の右翼的思想は子供のときからずっとあるよ。
三島の少年時代のノートや手紙を知らない半可通が無知の恥さらしてご苦労さま。

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:21:41
> 三島は自決する道連れが欲しかっただけなんだ

これも違う。三島は最初は一人で自決するつもりだったが
森田があまりに熱心に「私も死にます」と言い張るから仕方なく森田にも自決を許可したのだ。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:22:47
>>443
全集第34巻に付録されてる月報ですよ。

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:27:03
>>446
2003年に出た『決定版 三島由紀夫全集』第34巻ですか。重ね重ね、情報ありがとうございます。

448 :名無しさん@お腹いっぱい:2009/06/03(水) 00:34:47
>>437
ありがとうございます。
早速、これから注文します。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 00:45:40
平岡威一郎は開成学園出身だが大学は東大法学部?

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 11:13:25
>>449
威一郎さんは大学へは進学しなかったんじゃないかな。
真偽は定かじゃないですが、他のスレで誰かが言ってました。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 12:36:31
開成なのに大学に行かないってかなり珍しいね。よほど成績が悪かったのか。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:08:56
若者を道連れにして人生台無しにさせて自分は格好よく割腹ですか
多くの罪なき自衛隊に切りつけて何が武士だよ。武士はそんな卑怯な真似はしません

徴兵逃れの卑怯ものにふさわしい卑怯な最後だね
本当は徴兵行きたかったのに当日になってゴホゴホ咳でていけなかったお( ^ω^)
徴兵逃れした奴は大体戦後こうやって言い逃れしたんだねw

三島は子供のころから右翼的思想だった?ぷっwww
当時はみ〜んな日記でも天皇万歳だったんだよw
三島が右翼的行動が目立ってきたのは「宴のあと」が落選して
ドナルドキーンに「三島は右翼じゃないから落選した」と聞かされてからだねwww
欲しかったみたいだねノーベル賞www残念三島無念の自決( ^ω^)

三島&三島信者「悔しいのう、ノーベル賞を涎たらして欲しがってたのがばれて、徴兵忌避もばれて、
        ライフワークの豊饒の海も結局生長の家思想で片付けられて、悔しいのう」
( ^ω^)
おっおっおっおっw火消し&負け惜しみ頑張れ!このスレもう見ないからw

三島信者「もうスレ見ないんじゃ反撃できない…勝ち逃げされた…悔しいのう、一生懸命釣ってみたけどやっぱり来ないのう、悔しいのう」

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:41:20
>>451
真偽は定かじゃないから本当に行ってないかは不明です。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:50:42
>>451
ちなみに、平岡威一郎さんは三島の映画論文を編集した本を出してるよ。
映画「春の雪」のエンドロールに名前があったかな。

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:54:42
>>452
ネットアカヒが恣意解釈のかまってバカでご苦労さまでした。毎度つまんなすぎて聞きあきたわ。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 14:36:43
南馬込の三島の家は冨田浩司氏と結婚した紀子さん一家が住んでいるので
いま威一郎さんは目黒に住んでいるらしい

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 15:12:32
三島というのは個人の筆名に過ぎないのに平岡瑤子は三島瑤子を名乗り、
平岡威一郎は三島威一郎を名乗っている。こんな奇妙な例は他にはないのではないか。

津島美知子が太宰美知子を名乗り、津島園子が太宰園子を名乗ったという話は聞いたことがない。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 11:57:42
>>457
公私と分けて「三島」にしてるんじゃないかな。


459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 19:17:29
むかし紀子さんの顔写真が写真週刊誌に載っていたが面長で三島そっくりだったね。
丸顔の瑤子さんには似なかったらしい。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 19:31:23
四方田犬彦によると、中上健次は平岡瑤子に会った後で
「まったく、三島由紀夫ともあろう男がなんであんな醜い女と結婚したんだ」と蔭で嘆いていたらしい

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 22:12:46
>>459
へ〜見たいな。

>>460
夫人の写真、何点か見るけど特に醜くはないよ。
文学風和風美人タイプじゃないけど、ハムスターや猫を可愛がる三島好みの猫顔、丸顔だね。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 22:37:23
北杜夫は独身時代、瑤子さんから「北さんはなぜ結婚なさらないの」と訊かれて
「結婚するつもりだったんですが、奥さんを見たら勇気がなくなりました」と答えた。
そのとき同席していた三島は困った顔をして、瑤子さんに「北さんは物事をズケズケ言うので有名な人だから」ととりなした。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 00:41:52
>>462
又聞きレベルや作り話じゃないなら出典ぐらい出せば?
北杜夫って、三島関連にほとんど出ない名前だから友達でもないでもない、ただの作家の知り合いでしょう。
そんなのが、たまたま客で呼ばれて言う言葉にしたらずいぶん不自然だね。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 00:53:29
>>462
それから、あやふやな作り話で三島由紀夫以外の有名人でもない人をネットで中傷するような書き込みすると、
今は訴えられて書類送検されることもあるから注意した方がいいですよ。
その程度じゃ大丈夫だろうけどさ。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 01:18:45
>>452
よく読むと、全く前後関係もめちゃめちゃだし、デタラメ解釈をここまで都合よく貼り合わせたもんだわ。
ドナルド・キーンから「極左と間違えられてノーベル賞落とされた」と聞かされたのは、三島が自衛隊活動しはじめてから、だいぶ後の話。
そのもっと前から、とっくに自衛隊に体験入隊して祖国防衛隊を作ってます。
それに「宴のあと」書いた頃の年には、まだノーベル賞の候補になってもないし、審査されてないから、
ドナルド・キーンがその時点で、何も言えるわけないしね。タイムスリップする以外は。


466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 01:25:27
>>463
へえ、「マンボウ交友録」も読んでない知ったか野郎がシタリ顔でこんなスレに出入りしてるんだ。呆れ返った酢豆腐だね。
三島が奥野健男を介して北杜夫と知り合った最初の晩、文章の仮名遣いの間違いを北からしつこく追及されて激怒し
「天才だろうが何だろうが、俺はあんな無礼な奴は絶対に認めん!」と奥野に怒鳴った話とか、自分の小説の欠点を三島から
ズバズバ指摘された北が「いや、あれを書いたときはたまたま鬱だったので」と言い訳しようとしたら三島が憤慨して
「文学には躁も鬱もない!」と電話口で怒鳴った話とか、面白い逸話がたくさん出ているから読んでみれば?
キミに人の文章をまともに読む力があれば、の話だけど。

> 友達でもないでもない

意味不明。「友達でもなんでもない」と書きたかったのかね。何をムキになって慌てているのか不可解。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 01:31:20
>>464
それから、あやふやな法知識で「訴えられて書類送検される」などと騒いでいると
逆にキミ自身の無知が露呈して笑いものにされてしまうから注意した方がいいですよ。
もう手遅れだけど。

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 02:02:16
>>466
普通そんなマイナーな作家の本なんか読んでる人いないよ。よほどの北杜夫ファンじゃない限り。
北杜夫なんて三島由紀夫を知ってから初めて存在を知ったしね。
その逸話を読んで、北杜夫ファンが女々しいつまらない逆恨みの粘着ですか?

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 02:14:29
>>467
別にそんな程度のことで笑い者にするほどのバカにこんなとこで笑われも、痛くも痒くもないよ、くだらない(笑)

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 14:29:09
>>468
> 普通そんなマイナーな作家の本なんか読んでる人いないよ。よほどの北杜夫ファンじゃない限り。

ほらほら、頭が悪くて何も言い返せないからといって「普通」とか「マイナー」とかいった曖昧で無意味な言葉の中に逃げ込んではいけないね。
お前は何を以て「普通」、何を以て「マイナー」とほざいてるんだ? こういう具体的な内容がない日本語は「ボクちゃんは頭の中が空っぽで
何も考えていない人間です」ということ以外何も表現していないに等しい。そんな人間がなぜ三島スレにいるのか不思議だね。
芥川賞作家かつベストセラー作家の北杜夫の著書を読んでいないというのはお前の無知と不勉強の証明にこそなれ開き直りの口実にはならないよ。
せめて池田得太郎ぐらいのレベルだったら一般的に「マイナー」と呼んでも異議は出ないかもしれないがね。

> 北杜夫なんて三島由紀夫を知ってから初めて存在を知ったしね。

なるほどなるほど。ことほど左様にお前は無知で愚鈍で文学的素養がないわけだ。でもお前がバカで日本語が不自由なのは
お前にきちんとした読書環境を与えてやらなかったお前の親のせいであって俺のせいじゃないんだよね。
そういう悲惨な自分語りはチラシの裏にでも書いていて欲しいね。

> その逸話を読んで、北杜夫ファンが女々しいつまらない逆恨みの粘着ですか?

ますますもって支離滅裂、ますますもって意味不明。俺は北杜夫の本「も」読んではいるが別にファンではないしファンと名乗った憶えもない。
「逆恨み」と言われても誰に逆恨みする必要があるのか判らんね。むしろ、三島文学に何の関心も理解もない一介の下賤なゴシップマニア(つまりお前のことね)が
好い気になってウンチクを披瀝していたらあべこべに不勉強をたしなめられて面目を失い、粘着逆恨みして意味不明な言い訳を並べているのが現況だね(笑)

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 14:31:18
>>469
「こんなとこで笑われも」か。痛いところを衝かれて余裕がなくなるとtypoが多くなるらしいね(笑)

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 14:37:57
おっと、一つ勘違い。>>462の逸話は『人間とマンボウ』(中公文庫)所収「表面的な思い出など─三島由紀夫氏」だった。
これは訂正する。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 16:18:54
>>470
三島の文学に何の関心もないゴシップマニアはあなたでしょう。
自分のレスを顧みたら?
そんな細かい北杜夫とのごちゃごちゃした話なんか、三島の文学とは関係ありませんからね。
私は三島の文学作品はほぼ読んでますよ。文庫本は全部持ってるし、全集もいくつか持ってます。

それから、はっきり言って私の周りでは北杜夫を知ってる人はほとんどいませんよ。
芥川賞なんかとって昔話題になってたとしても、今現在読まれでなければ知らない人が多いのは当然でしょう。


474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 23:54:51
>>473
横レススマソ。
三島の全集読んだりしたからって、必ずしもいい読者とは限らんよ。
読む人が読めば、長編ひとつでもその作家の真価がわかるし、
何編読んでもその作家の真価がわからず、ただ全作品読んだというだけで
得意顔で悪い評論文書いてる評論家ってたくさんいるから。

あと、北杜夫のことはわからないけど、現在読まれていないからって
取るに足らない作家だと決めつけるのはよくないよ。
そうやって文学は大衆化して衰退していったから

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 11:18:03
>>474
いい読者かどうかが問題にしてるんじゃなくて、三島文学に興味がないとデタラメなレッテル貼られたから、
ちゃんと三島文学作品を好きで読んでるって事実を言っただけ。
北杜夫のことも、作家の質のことまで私は言及してませんよ。
ただ現在読まれてない、って事実を述べただけです。
大衆がどうのいってるけど、昔だって芥川賞をとってそれが話題で大衆に読まれたんでしょうに。
その後、ミーハー以外の文学読みの人々に支持されていれば、多少は作品自体が何らかの形で語られて残るはずだと思いますが。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 15:20:54
>>475
そうとも限らない。最近は文学が売れないせいか、大衆に知名度の低い作品は良作であっても
どんどん廃版になってるからな。
荷風の作品や鴎外の史伝も文庫なら岩波とかで集めるしかないって感じだし。
大手出版社は売れる村上春樹とか刷りまくるのに

このままじゃ谷崎は細雪と痴人の愛、川端は雪国と伊豆の踊り子といったように、大衆に「代表作」として認識
されているものだけが残って、ほかの作品が文庫では廃版になるんじゃないかと思う
実際荷風や泉鏡花はそういう煽りを受けてるような気がする

大衆化が悪いわけじゃないけど、大衆化されて出版社が売上重視になると、
やっぱ売れない文学は煽りを受けるよ

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:20:57
>>476
文学自体が読まれてないから、あまり知られていない作家でも良作があるのは当然でしょう。
だけど、それらの作家たちは、そういうふうに文学読みの人々の間やコアなファンの間で文庫絶版を惜しまれたりして、古本や何らかの形で作品が語られてますよ。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:35:24
私は一度だけ三島由紀夫さんから葉書を頂戴したことがある。
葉書に十行足らずの簡潔な内容の便りで、私の住所がわからないため、私の著書の出版社経由で届いたのだった。
…葉書の消印は昭和三十六年五月一日。
「抒情の批判――日本的美意識の構造試論」は、当時新たに生まれたばかりだった出版社晶文社から刊行された、私のごく早い時期の著書で、
奥付によると、刊行は昭和三十六年四月二十日となっている。
つまり、三島さんはこの本が書店に並んだのとほとんど同時に、これを購入してくれていたのだった。
のみならず、三島さんは彼が発行同人(?)の一人でもあったらしい雑誌『風景』、さらに『東京新聞』書評欄でも「抒情の批判」を激賞してくれた。
それは何千部かの本がどんどん売れていくという、喜ばしい椿事を生んだ。

大岡信
「一度だけの便り」より

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:37:27
『風景』所収のものは三島さんの「日記」中、四月二十七日(木)付の一文である。
…もしこれらを読んだ時私が三島さんにそれに見合うだけの熱烈な礼状を書いていたとしたら、私のその後の人生は
多少とも変った流れになっていたかもしれない。
第一、本が書店に出まわるのとほぼ同時に銀座の本屋さんでこれを買い、〈匆々に帰宅してこれを読んだ〉と三島さんは書く。
そして〈本の副題の「日本的美意識の構造試論」の展開である「保田輿重郎ノート」といふ長文の評論を、
身も心も惹き込まれて読み、まだ会ったこともない大岡氏に、オマージュの葉書を書いた〉と三島さんはいう。
現在このような形で、自分より若い物書き、それも現代詩などというものを作っている人間に対して、熱烈というしかない
〈オマージュ〉を捧げてくれる文筆家などいるだろうか。

大岡信
「一度だけの便り」より

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:38:57
三島さんは十代のころから保田与重郎を読み、その〈謎語的文体〉に〈いつも拒絶されるやうな不快と同時に快感を味はつた〉と書く。
それは数歳年少だった私自身が感じていたものと、かなり近かった。
…三島さんが私に示された非常な好意も、戦後社会に対してどうしてもしっくりしないものを感じ続けていた精神が、
〈生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつた〉(「日記」)と、いわば晴れて堂々と
言い切る機会を得た満足感が、伴っていたのかもしれない。
残念だったことは、三島さんに直接お会いして、この時の礼を申しあげ、三島さんの戯曲についての賞賛的感想をのべる機会を、
永久に失ってしまったことである。

大岡信
「一度だけの便り」より

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 14:22:30
>>477
だから、良作文学より村上春樹とか石田衣良の方が読まれちゃってる現状が
よくないと思うんだよ
文学コアにしか読まれない、古本屋めぐりしないといけない、プレミアの値段がつく
とかそういうのって、読みもしないで書棚に珍しい本集めて悦に入ってる、俗な読書家でしょう
大衆に浸透して本当にいいものは残るっていうなら、戦後の日本人を嘆いてた三島はどうなるんだよ
大衆は所詮大衆であって、見識のあるものもいれば、ないものもいる、当てにならないものでしょ

というか、スレ違いでした、文学の未来を考える的なスレ探します

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 23:18:25
>>481
文学板でまた会いませう。

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 01:51:20
>>481
三島信者のババアは相手にしない方がいい
どうせ「文学読んでる私は知的」、「文学の中でも三島を読む私は知性溢れて感受性豊か」
「三島読んで今の日本の欠点を語れる私は頭がいい」そんな虚栄心だけで読んでんだろ
頭が悪いのに虚栄心の塊、仕事もしないニート、もう三十路も後半でお顔も醜い独身ババア。
三島の作品はそういう見栄っ張りの正味馬鹿にジャストフィットする。

現実世界じゃだぁ〜れもババアの戯言に付き合ってくれないから、
毎日毎日ネット三昧の悲しい人生なんだよそのババアは


484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 05:14:23
>>483
他人への煽りは己の自己嫌悪の裏返しにすぎない。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 05:21:36
北杜夫(笑)

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 11:20:29
>>483
それに粘着してるあなたは私よりさらに暇人でしょうね。
名無しで書いてる私を識別できるほどまで、三島ファンでもないのに、スレをずっとガン見しているわけだから。ご苦労さまです。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 15:56:19
文学の未来を語るスレはなさそうですね・・・
ヤフーのトピックにあったけど、村上春樹の新刊がやたら売れてるそうな
有名だからノルウェイの森、アフターダークっていう小説読んだけど面白くなかったな
これ文学っていうのか?って思いました正直

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 10:26:32
>>487
村上春樹は図書館でパラパラめくって拾い読みしたけど、じっくり読むほどでもなさそうだったから読んでないや。
私は日本語自体を堪能できる三島の「春の雪」「金閣寺」が好きです。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 20:45:44
>>487
春樹の売れてるはKinKi Kidsのオリコン連続1位やジャニの初登場1位と同じ操作の売れてる詐欺

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 22:35:17
村上春樹てそんなにおもしろいの?
読んだことないんだけど
三島みたいにおもしろいのかな?

491 :赤蜥蜴:2009/06/18(木) 00:23:47
>>490
三島由紀夫がラフマニノフかラヴェルだとしたら、
村上春樹はスガシカオって感じぢゃないかすら(笑)
BGM程度のそこそこ耳ざわりのいい、自分で買うほどでもない曲みたいなもんよ。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:54:48
「日本語の堪能な留学生が入ってくる」というので、室の者全員が待機していると、
「平岡です。よろしくお願いします」といって現れたのが、何と三島氏だった。
昭和四十二年四月十九日のことだった。
彼は、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校で、その春防衛大や一般大学を卒業して入校したばかりの候補生を視察した後、
我々が教育を受けている富士学校普通科上級課程に「戦術の勉強をしたい」との目的で途中から加わってきたのだった。
…誰もが三島氏の研修目的を詮索したり、文学や芸術の話を持ち出したりすることもなく、ひとりの友人として自然に接したせいか、
すぐに打ち解け、室の雰囲気は一段と明るくなり、女性談義に花を咲かせたりした。
私はこの室の室長兼班長だったが、これに加え三島氏の対番学生(学友として寝食を共にしてお世話する係)を命ぜられた。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:55:35
教場では平岡学生と私は一番後方の長机に並んで座り、教官から出される問題を一緒に考えた。
…三島氏は問題の意味するところや私が作る案の内容の細部を真剣に聞き、自分でも
「連隊長の作戦命令の方針」を起案して発表したこともあった。
彼の案は、自衛隊の専門用語や文書の形式にとらわれていない実に力強い雅びな表現で、
固定観念に固まっている我々には、はっとさせられるものがあり、教室の雰囲気を和らげてくれた。
…夜は室で談笑したり、腹筋運動にエキスパンダーを使用したトレーニングをしたり、
ある夜は自演の映画「憂国」をクラスの全員に見せてくれたり、私といっしょに洗濯をしたりした。
当時の洗濯はまだ洗濯板に固形石鹸の時代だったので、固形石鹸をシャツにつけていた三島氏の
子供っぽい仕草が今でも目に見えるようだ。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:56:34
入校後一週間ぐらい過ぎた日に、私と話がしたいというので、彼が原稿を書いたり、東京から来る客と
応対したりするために充てられていた個室で、真剣な話を三時間以上も続けた。
「私は日本男子として国防に参加する名誉ある権利を有する。従って貴方たちは私に教える責任がある」
と彼は切り出し、次々と質問してきた。
その主な質問は、「クーデター」「憲法」「治安出勤」「徴兵制度」「シビリアンコントロール」についてだった。
その真剣さに私は、彼の入隊の本当の目的は、七十年安保に向かって騒然としつつある国内情勢に鑑み、
特に防衛大出身の幹部クラスの考え方や心意気、精密度などを肌で確認することにあったのではなかろうかと思った。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:57:27
彼はその後、同じ富士学校で教育中の幹部レンジャー課程の学生として自衛隊で最も厳しい訓練を体験し、
爽やかな印象を残して去っていった。
以後、三島氏は「檄」文に表現されたような感激を自衛隊で体験していくことになる。
三島氏は民間防衛を荷う祖国防衛隊を組織する夢を抱き、四十三年春、まず厳選された学生三十名を連れて
富士教導連隊で一ヶ月間の訓練を受けることからはじめた。
自衛隊にとっては三島氏のような知識人に自衛隊を理解してもらうことは歓迎すべきことであり、さらに、将来、
国の広い分野でリーダーとして活躍するであろう大学生の体験入隊は、特に当時の状況から願ってもないことであって、
マスコミによって潰されないように配慮して受け入れたものである。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 12:05:54
しかし、全国組織を目指した祖国防衛隊の構想は、政財界の協力が得られずに挫折し、自分の力で世話のできる
少数精鋭の「縦の会」へと展開していく。
そして彼は彼なりの情勢分析により、自衛隊が治安出勤する事態が来ると信じるようになる。
「縦の会」は自衛隊の尖兵としてデモ隊に突入し、あるいは皇居に乱入する暴徒に体当たりで斬り死にする
という考えに変わっていったものと思われる。
だが、四十四年の一〇・二一反戦デーの騒乱で、自衛隊の治安出勤は起こりえないと見てとった時、ほんとうの挫折を味わい、
三島氏は自衛隊にとって象徴的な場所で、自衛官たちに心の叫びで訴え、武士の最期を遂げたのだった。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 16:08:51
私が松濤二丁目のこの商家に嫁いだのは昭和二十二年の春のことです。当時は、近隣一帯は空襲で一面焼け野原になったままでした。
…私は二十三年に長女を産み、その子を連れてよくご近所を散歩したものです。
その折、始終三島さんの家(「平岡」という表札でした)の前を通りました。
…洋館のほうの二階の窓によく三島さんをお見かけしました。
夕方になると電気スタンドが点っていて、その光の中で白いシャツを着た三島さん(白がとてもお好きだったようです)が
いつも何か書きものをなさっていました。
人に聞くと「あの人はいまに小説家になる偉い方だ」という話でしたが、当時は私は三島由紀夫という名前は知りませんでした。
東大に行っている時分に小説を書いて一躍有名になった人ということで、とにかくいつ行ってみても、
机に座って仕事をしておられたのが印象深いのです。

原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 16:11:09
私の家はタバコを商っていましたので、お父さまも三島さんもよくタバコを買いに見えました。
…息子さんの三島さんはよく「光」をお求めになりました。
もっともあの頃はまだ銘柄も少なかったうえに極端な品薄で選り好みなどできませんから、「光」がなければ
何でもお買いになりましたが。
どこかにお出かけになる前に立ち寄り、買ってすぐ一本抜き取ってお吸いになるというのが、あの方の習慣でした。
タバコを受け取るその手が細くて華奢だったのをよく覚えています。
それにしても三島さんはおしゃれでした。
戦後間もなくの頃ですから、おしゃれをしている人などあまり見かけることはなかったのですが、
三島さんはいつもピシッと決めていて一分の隙もなく、大山町あたりでさえすごく目立ちました。

原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 16:12:38
夏など、真白の詰襟、真白の半ズボン、真白のハイソックス、真白の靴という、上から下まで白ずくめのいでたち。
たまに帽子をかぶっていることもありました。サファリ帽というのでしょうか、猟の時に使うような帽子で、
外国にでもいらしたことのある方かと思っていました。
服装だけでなく、三島さんはすごく清潔感のある方でした。
手もほんとにきれいでしたし、お顔なんか毎日当たるんでしょうね、頬など青白く見えるくらいでした。
いつもポマードのいい匂いをさせていました。でも、無駄口をたたくようなことはほとんどなく、
どちらかといえば「謹厳実直」という印象を受けました。
…ご一家が住んでおられた借家も今は取り壊されてなくなり、このあたりもずいぶんさま変わりしました。

原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:53:13
三島さんの葬儀の日の少し前、実行委員会の打合わせがあった。
…式の段取り、各委員の仕事の分担、注意事項の検討、弔辞を読む方々の紹介があった。
その時、御父上が突然私を指名された。
思いもかけない発言に私は動転し、そのような大任の資格が私には無いと辞退した。
すると川端先生が例の鋭い目で、「資格のある人間はどこにも居ません。おやりなさい」と宣言された。
当日、私は緊張と悲しみに耐えながら弔辞を読んだ。
「私のこれまでの人生で、最高の喜びは、三島さん、あなたにお会い出来たことであり、
最大の悲しみは、あなたを喪って今ここにこうして立っていることです……」と。
私が三島由紀夫という名を識ったのは、昭和十九年、書店で見つけた「花ざかりの森」で、何故かすがすがしい感じがした。
戦後、雑誌『人間』で「煙草」を読んだ時、私はすぐ「花ざかりの森」を思い出した。

藤井浩明
「私の勲章」より

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:54:10
終戦前の昭和二十年一月、私は中島飛行機小泉工場へ勤労動員され、戦闘機を造っていた。
私たちの寮の隣りに東大法学部の学生たちがいた。
その中に三島さんがいて、明日をも知れぬ状況の中で、後に発表された小説「中世」を書き続けていたことを、
ずっと後で知って驚いた。
二十五歳までに戦争で死ぬものと覚悟していた私たちが、生きながらえて後に親交を結ぶとは……
不思議な運命を感ぜずにいられない。
私が初めて三島さんに対面したのは、昭和三十一年、「永すぎた春」映画化の交渉の時である。
…私は既に大映企画部にいて三島作品の映画化を夢見ていた。
緑ヶ丘の平岡邸で眷恋の人に対面した時、私は自信に満ち溢れた、それでいて折目正しいこの青年作家に圧倒された。
以来、私は三島文学の映画化に挑戦していった。
「金閣寺」(「炎上」)、「お嬢さん」「剣」「獣の戯れ」「憂国」「複雑な彼」「音楽」「鹿鳴館」。
そして、三島さん主演の「からっ風野郎」等。

藤井浩明
「私の勲章」より

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:55:39
「炎上」のシナリオ作業が難行している時、三島さんが「創作ノート」を見せて下さった。
絢爛たる文学が構築されてゆくプロセスが明解に読み取れ、目が開ける想いがした。
この映画は三島さんから最大の讃辞を頂き、以来、私は三島さんとの交友を深めていった。
時折、三島邸の書斎で話し込むことがあった。
私は天才的文章の錬金術師の仕事場へ忍び込んだような気持で、よく文学のことを質問した。
三島さんは門外漢の私に丁寧に誠実に答えて下さった。
当時のメモを繰ってみると、例えば「憂国」の製作準備をしていた年など、年間七十回も会っていた。
…「からっ風野郎」の後、日仏合作映画のため市川崑監督と私はパリへ飛んだ。
思いもかけず三島さんが空港へ見送りに来られた。
たまたま別便で発つ永田雅一大映社長がいた。社長は私を別室に呼んだ。
「お前のような若造を天下の三島が見送りに来る訳がない。それはお前が大映の社員だからだ。俺に感謝しろ」と。
ワンマン社長は大の三島ファンで、明らかに私に嫉妬しているのだ。三島さんには万人をひきつける魅力があった。

藤井浩明
「私の勲章」より

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:56:52
死の四日前、三島さんからいくら晩くても電話が欲しい旨の伝言があった。
深夜帰宅した私は電話で話した。
「憂国」がイタリアで上映され大好評だと伝えると、三島さんは大そう喜んで詳しいことを調べて欲しいと言った。
四日後に死を決意していることを知る由もない私は、連休明けに報告しますと約束した。
電話を切ってから、三島さんが「さようなら」と仰言ったことが何故か気に懸った。
いつもは快活に話してさっと切る人が……。
〈藤井氏はいついかなる場合にも、この作品に対する完全な愛着と信頼を少しでも失ふことがなかつた。
それがスタッフ全員をどれだけ力づけたかわからない〉
三島さんが「憂国 映画版」に書いて下さった文章は私の勲章である。
三十年祭の遺影の前に佇みながら、三島さんが以前、暇が出来たらポルトガルの鄙びた漁村を舞台に
映画を作ろうと話して下さったことを思い出した。
いつの日か私はその海辺で映画を撮影したいと思っている……。

藤井浩明
「私の勲章」より

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 12:49:50
主人比呂志は一九八一年の秋に逝った。
…三島さんと比呂志は、文学座時代の演劇の仕事を通じて、約十二年間のおつき合いがあった。
…後年の「黒蜥蜴」(六三年)は、三島さん脚色、演出は松浦竹夫さんで、比呂志は探偵明智小五郎、女賊は水谷八重子さんだった。
終演後、ロビーで今は亡き顔見知りの方々と談笑されていた三島さんは私を見付け近寄って来られ
「今夜の芥川さんは、六代目(尾上菊五郎)のようでしたよ」と仰言った。
帰宅後主人に伝えると「三島一流の皮肉だよ」と苦笑して云う。
その時は解らなかったが、あとで三島さんの評論集「美の襲撃」を読むと比呂志の言葉が理解できた。
三島さんが、不世出の名女形として高く評価していた六世中村歌右衛門と、六代目菊五郎についての、比較論めいた文章にぶつかる。

芥川瑠璃子
「鮮やかに甦るあの頃」より

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 12:51:33
ながい劇団関係のおつき合いともなると、さまざまな出来ごとがあり、三島さんも比呂志も文学座を離れることになった。
…三島さんは比呂志宛に、数多くの署名入りのご著書を贈ってくださり、私も時々借りては読んだ。
「美しい星」(新潮社)の読後、何やら興奮した比呂志は三島さんにお電話した。
劇化したい旨の相談だったらしいが、長電話に辟易されたのか断られた様子。
その時は迚も残念そうだったが、常々うちで三島さんのことが話題になったりするとき「三島、あれは天才だよ」は変らなかった。

芥川瑠璃子
「鮮やかに甦るあの頃」より

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 12:52:50
…後年、三島さんがお亡くなりになる一ヶ月前に、浪曼劇場で「薔薇と海賊」が再演された。
終演後に三島さんが涙を浮べ「海賊だらけになっちゃった」と呟かれたという。
同じ頃、学習院時代の先輩で「赤絵」の同人誌などで親交のあった、早逝された東氏を悼み
「東文彦作品集」(講談社)のために序文を書き、刊行の労をとられたという。
一流の皮肉や、あの有名な高笑いのかげに、「三島由紀夫十代書簡集」の頃の面影が浮ぶ。純粋な心情とあたたかさを想う。
三島さん没後、夫人の要請をうけて、主人は病躯を押して「サド侯爵夫人」を演出。
逝く二年前には「道成寺」も演出したが、「源氏供養」は念願のみで終ってしまった。
――三島さんと主人の過した、さまざまな演劇の世界、時の流れは今も消えず、折々の想念のなかに、
いまも鮮やかに甦りをつづけている。

芥川瑠璃子
「鮮やかに甦るあの頃」より

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 15:16:20
一九七〇年の秋、私たち三島の友人は、いつになく彼と頻繁に顔を合わせた。
当時、私は、「仮面の告白」と「潮騒」の翻訳者メレディス・ウェザビーと一緒に住んでいた。
そこに、写真家の矢頭保や、時には俳優のヨシ笈田が顔を出した。みんな三島とは旧知の間柄だった。
…日本は何処かへ行ってしまった、姿が見えなくなり、消えてしまった、僕はそう思うね、という三島の言葉を私は覚えている。
まさか、探し回ってみれば、日本はまだまだいろんなところに残っているはずだよ、と私は笑みを浮かべながら応えた。
三島は真顔で首を振った。
三島が冗談を言っているのだという思いを捨てきれなかった私は、日本を救う道はあるのかね、と訊ねてみた。
「ないね。もはや救いようがない」と三島は言った。
その言葉を聞いて、三島が冗談を言っているのではなく、大真面目なのがわかった。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 15:17:56
私は、三島が、合理主義一辺倒で、精神性を蔑ろにし、ぬるま湯に漬かったような現代日本の姿に嫌悪を催すようになり、
秩序の整っていた往時を懐かしんでいるのを知っていた。
以前、私がからかって、「楯の会」を三島のボーイスカウトだと発言したとき、三島は笑っていたが、
「数少ない彼らボーイスカウトと僕は、秩序を保つ核となるんだ」と言った。
あなたが社会の秩序を決めることができるというの、と私が訊ねると、三島は厳粛な顔で頷いた。
「あなたは誇大妄想狂だ。あなたは天皇を超えた存在だとでも」と私が冗談まじりに言うと、
三島はにこりともせずに、「そうなんだ」と言った。
私が三島に最後に会ったのは、彼の死の二、三週間まえだった。
晩餐に私たち友人を「クレッセント」に招待してくれ、食事中、何回となく西郷隆盛の話題――隆盛の最後の日々や
自決の前に隆盛を処断した親友について――にもどっていった。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 15:18:47
三島が言うには、西郷は自分では革命に失敗したことを知っていた。
武士道のあるべき姿を確立しているつもりでいたが、親政府は官僚主義に屈していたのである。
次いで、三島は、西郷の行動の美しさ、すべてが失敗に帰し、望みがすべて絶たれたとき、
西郷がとった伝統に則った自決の作法の美しさについて滔々と話し始めた。
「西郷は最後の真の侍だ」と三島が言ったのを記憶している。
だが、こう言いながらも、三島本人は自分こそ最後の侍だということを自覚していた。
今にして、私にもそのことは理解できる。
たぶん、三島はしゃべりながら、西郷に憧れて自分が企てたことを私たち友人が悟る瞬間を思い描いていたのだろう。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 15:19:32
そう思うのは、小説家としての三島は、作品の登場人物の人生ばかりか、友人の人生まで操っていたような節があるからだ。
…私たちは、三島の人生で演ずる、それぞれの役を振り当てられている。
たとえば、ドナルド・キーンは、三島の人生でもっとも重要な外国の文学上のかけがえのない友人であり、
文学や翻訳の問題点について議論できる相手だった。
私はというと、キーン氏に比べてたいした役割を担ってはいない。
私は外国人の傍観者で、三島が噂話をしたり、考えをぶつけたり、胸の内を打ち明けたりする存在だった。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/13(月) 15:22:23
さらに、三島の死――彼が亡くなったという事実と自決したということ――
に対する私たちの反応においても私たちが演ずる役が決まっていたのである。
たぶん私の唯一の台詞は――「いや、違う。最後の侍は三島自身なのだ」
それが三島が私のために考えてくれた台詞かそうでないかはわからないが、三島が真の侍だったことは確かだ。
三島は、あるがままの物とそうあらねばならない物とを比較し、世間の無関心にもかかわらず、
自分でより良いと考える基準に従って生きる芯の強さを持っていた。
三島はまた、その基準に従って、侍本来のやり方で、死ぬ強さをも持ち合わせていた。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 23:25:04
ぼくがはじめて例のアポロン像のある三島邸に招待されて行ったとき、ニーチェの「悲劇の誕生」の話が出たが、
おそらく若い頃に読んだにちがいないニーチェの言葉をすらすら述べる三島の記憶力のよさに驚嘆させられた。
〈個体化は悪の根源であり、芸術とは個体化の束縛を破りうるという喜ばしい希望のことであり、
融合帰一をあらためて回復することへの予感である〉(「悲劇の誕生」)
というニーチェの言葉こそ、三島が最晩年に目指していたことそのものではなかろうか。

伊藤勝彦
「三島由紀夫の死の哲学」より

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 23:25:50
ミダス王がシレノスを追いつめ、人間にとってもっとも善いことは何であるかと問いつめたところ、
〈もっとも善いことは御身にとってまったく手が届かぬことだ。それは生まれてこないことだ。
次善のことは――すぐ死ぬことだ〉(同)。〈生よりも死が望ましい〉
というアポロン神学のテーゼ(この謎めいた言葉)をプラトンの描くソクラテスが解き明かそうとした。
「パイドン」には、〈哲学とは死の訓練である〉とあるが、
楯の会のメンバーと一緒に三島が死の訓練にはげんだという点においてプラトン的であるといってもいいだろう。

伊藤勝彦
「三島由紀夫の死の哲学」より

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 23:27:02
「対話・思想の発生――ヒューマニズムを超えて」(昭42・11番町書房)の中で、三島はぼくに対して、
〈…自分の信じていないもののために死ぬというアイロニーは、とっても魅惑的なアイロニーなんだよ。
…そして、自分が天皇陛下万歳と言って死ねば、そのアイロニーは完結するんだよ。…〉
…と語っている。たんなるイリュージョンのために人間は死ねるものではない。
三島は「人がそのために死ぬことができるような絶対者」つまり、「生命以上の価値」が
この世に存在しなければならないというゾルレン(当為)の論理に忠実であった。
…〈人がそのために死ねるもの、ある絶対的価値の存在を証明するためには、
そのために死んでみせる以外に道はない〉
このような不可解な死の哲学が三島由紀夫にとりつき、彼を自決へと直行させたのである。

伊藤勝彦
「三島由紀夫の死の哲学」より

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 11:17:59
三島由紀夫が小さな出版社の名前を付けた話はあまり知られていない。
三島には終戦の年の十月に勤労動員の疲れから腸チフスに罹って亡くなった妹がいた。
…たまたま私の家内がその妹の美津子と女学校時代の同窓だった。
母倭文重からその話を聞いた三島は
「あなたの奥さん、うちの妹と同級だったんですって……よかったらいちど遊びにいらっしゃいませんか」と言った。
そのころ家内は月刊の俳句雑誌『俳句とエッセイ』のほか、詩集や演劇関係の本を出す小さな出版社をはじめる準備をすすめていた。
後日揃って大森の新居に伺って、ロココ風の客間で歓談のとき三島は「こんどの出版社の名前は何んていうの」と聞いた。
私がいくつかの候補の中から牧神と牧羊の名前をあげたとき、三島はズバリ「牧羊社がいいね」と言った。
このとき家内の要望を容れて大判の色紙を用意し、墨痕鮮やかに「牧羊社」と揮毫をしてそのわきに三島由紀夫と署名した。
こんな縁で命名の儀式は思いがけなくトントン調子に行われた。

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 11:18:51
…書斎に通されたとき、私は書棚に並んでいる一冊の本が目にとまった。
堅牢な黒い外函の中にベージュ色のフランス装の本が繭玉のようにひっそりと収まっていた。
ルミイ・グウルモン著、ジョルジュ・エスパニヤ画の「シモーヌ」堀口大学訳の詩画集であった。
三島は「これ学生のころからの愛蔵本ですよ。いつかぼくもこんな本を作りたいね。『岬にての物語』なんか
ぴったりと思うんだがね」といたずらっぽく言って爆笑した。
…この日は夕方までお邪魔をした。庭続きに住む両親の平岡梓夫妻も招んで、瑶子夫人の手料理の歓待を受けた。
…三島は父親と同席のときはたいてい聞き役に回っていたが、この日はとくに妹美津子と家内を重ねて当時のことを
思い出していたのか心なしか寡黙にみえた。

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 11:20:47
この訪問がきっかけとなり発足間もない牧羊社で三島由紀夫の「岬にての物語」の豪華本を出すことになった。
装幀、造本について私はまえに担当した三島作品の「永すぎた春」で評判のよかった初山滋の抽象的な色感あふれる絵を
頭の中に描いていたが、三島は「ぼくもいろいろ考えたが蕗谷虹児はどうだろうか」と言った。
高畠華宵や加藤まさを風な少女像も魅力だが、蕗谷虹児の様式美の方がこの作品にふさわしいというのが三島の意見だった。
話がまとまって私は…蕗谷虹児のアトリエを訪ねた。
応接間に現れたのは繊細な画風からは想像もできない漁師のように日焼けした骨太の老画家だった。
蕗谷は三島からの名指しの依頼を喜び、アトリエの棚の上から一枚の金地の色紙をとって私に下さった。
花嫁人形の絵の脇によく知られた詩が書かれていた。
この「花嫁人形」の作詞家が蕗谷虹児だったことを、私はその時まで不覚にも知らなかった。

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 11:22:14
「岬にての物語」の主調低音に三島の若き日の失恋の思い出があった。
そんな心象風景のなかにこの歌詞がどのように映っていたのか……
三島は「花嫁人形」の作詞家が蕗谷虹児と知ってこの画家を選んだのだろうか。
それから三ヶ月がたって、彩色されたあえかな少女像と黒白の五枚の線描きの挿絵が完成した。
蕗谷はテレたように「少々、苦心したんですよ」と自信ありげに言った。
「蕗谷虹児の少女像」のなかで三島は
〈……そしてどこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像として
ふさはしいものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいてゐるにちがひない……〉
と記しているが、ここには妹の死と失恋と三島自身の青春への訣別が色濃く反映されていた。
(略敬称)

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 15:51:18
まさか三島のスレが存在するとは!

感激age

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 15:41:55
横尾(忠則)番記者として働きはじめた頃に、三島由紀夫とも親しくなった。
平凡パンチ誌で三島の悪口を書くという企画があり、他の編集者は担当したくない様子だったので、
自分が名乗りでた。すぐ三島に電話をし、「今回は三島さんの悪口を書く企画ですが…」
と正直に打ち明けて取材を申し込んだのが、三島の好感をよんだらしい。
三島は人気実力ともにトップの作家でありながら、ハリウッドスターのようなオーラを発していた。
三島はこれまで見たこともないような光り輝く“創造物”という感じであった。
パンダとかマダガスカル島の横っ飛びのベローシファカのようにいつ会っても新鮮な驚異を与えてくれた。

椎根和
「オーラな人々」より

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 15:42:58
…オーラを発する人々ということでは、やはり六〇年代後半の、三島、横尾、寺山、玉三郎、土方たちは
超弩級であった。彼らのそばにいるだけで、異世界に連れていかれそうな気分になった。
そのどこかに連れさられるという不安感が、悦楽味であった。
モノの時代に入ると、そばにいるだけで、異界へつれていってくれそうなスターはいなくなった。
…ぼくは、三島の最後の三年間を剣道の弟子として稽古をつけてもらい、一緒に学生デモ視察へ行き、
ボーリングをし、白亜の三島邸へ何度も行った。
三島は、文学の方では、大ベストセラーを何作も書き、今なら流行語大賞受賞まちがいなしの
国民的喝采をあつめた。
そういう文学的才能以外にも、新しい才能を発見する眼力があった。
横尾忠則、坂東玉三郎、美輪明宏、澁澤龍彦らは、三島の紹介によって市民権を得た、といってよい。

椎根和
「オーラな人々」より

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 15:43:03
私が三島さんに初めてお会いした、というよりは顔を見たのは学生時代、写真家・林忠彦さんの
助手をしていた昭和三十年頃だった。林さんの鞄を持って目黒のお宅に伺った。
純日本風の二階建で、有名作家の家にしてはちょっとボロ屋だなと思ったことを覚えている。
撮影は二階の書斎だったが、そのうち突然三島さんが立上がり、「屋上の狂人」をやりましょうかと、
出窓の向うの玄関の屋根瓦に足を掛けた。
「危いからいいですよ」と林さんと編集の人があわてて止めた。
「青の時代」や「仮面の告白」から受けるイメージとは全然違ってチャメっ気のある人だなあと思った。
折角なのにと残念でもあった。
帰りがけに三島さんは玄関で「歳をとった人って皆いい顔してますね。うらやましいなあ!」と突然言った。
「どういう意味かな。早く歳をとりたいということなのかな」と林さんは首をかしげていた。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 15:44:43
私は大学四年の時、林さんの助手から秋山庄太郎さんの助手に替った。
ある時秋山さんはどこかのお嬢さんのお見合写真を頼まれた。
…私たちは麻布今井町のスタジオで待機していたが「お嬢さん」は一向に現われず、連絡もつかない。
秋山さんは次の仕事が入ってしまっているので、「齋藤君、あとを頼むよ」と大慌てで出かけてしまった。
私は女性を撮るのは苦手、困ったなあと思っていると、女性が得意の助手仲間のアッチャンがやって来たので、
彼にうまく押しつけて帰ってしまった。ところがこれが逃したスクープ。
半年だか一年だか経った頃、この「お嬢さん」の家からアッチャンに結婚式を撮ってほしいとの依頼。
お相手は三島さん。お見合写真の「お嬢さん」というのは言うまでもなく杉山瑤子さんだったのだ。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 15:46:00
ある夜、「T社のSだけど、これからすぐ行くから、ちょっと写真を撮ってもらいたいんだが。
暗いけれどストロボは使えないと思う」という電話。
大急ぎで仕度して待っていると、黒塗りの車が到着した。
後部座席に乗っていたのは三島さん。「男の子が生まれたのでね」とひと言。虎の門病院に向う。
病室のガラス越しに赤ちゃんの顔を見詰める三島さんは、これまでとは違ってやさしいやさしい顔だった。
長時間の撮影中はいろいろとお喋りをする。
…「くだらない話ですけれど、先生のセイで、S社を落とされたことがあるんですよ」と冗談まじりに言うと、
三島さんは「なぜ」と問い詰めるように訊かれた。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 15:47:28
「実はS誌のグラビアのデスクが、うちに来ないかと誘ってくれたんです。ノコノコ面接に出掛けて行くと、
副社長  君、スポーツは?
私  高校の頃、器械体操やっていました。
副社長  三島さんの「仮面の告白」は読んだことある?
私  はい。
副社長  あの作品の中に、器械体操をやる人間はエゴイストだと書いてあるから、君は会社勤めには
向かないんじゃないかな。……
というわけで、あっけなくチョン」
三島さんは黙って聞いていたが、私が話し終ると例の声で豪傑笑い。
「それはよかったね、フリーで自由にできて」
何日間か撮影のために三島さんに密着したことがある。
最後日に、その頃はもう後楽園ジムになっていた旧講道館で空手の稽古を撮影した。
洋服姿の三島さんはボディビルのため上半身は立派だが、下半身は細身のズボンを好むせいもあってか、
どうしても貧弱に見えバランスが良いとはいえない。しかし、稽古着に身を包むと実に格好がいい。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 15:48:44
薄暗い道場の中で三島さんは十人近い若者の稽古を見守っていた。
「あれが森田で、こっちにあるのが古賀。その隣りが……。皆いい連中です」。
照明のせいか、気のせいか、彼等の表情はなぜか暗く見えた。
…二時間近い稽古が終り三島さんと一緒に外に出ると晴天だった。
水道橋駅に向う歩道の手前で礼を述べると、「もう終りなの?」と残念な様子。
じゃあと手を振って向う側に渡って行った。
それは三島さんが亡くなる六日前のことだったが、後になって思い返すと、楯の会の会員の名前をわざわざ
教えてくれたり、もう終りなのかと名残り惜しがってくれたり、やはり何かの思いがあったのかもしれない。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 12:27:54
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。
それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。
彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。
いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。

林房雄
「悲しみの琴」より

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 12:30:26
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。
だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。
怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。
『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。

林房雄
「悲しみの琴」より

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 15:46:00
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。
もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。
…モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。
車内に残っているのは、運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 15:47:02
ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。
…窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
…アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに確かめることができた。
切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 15:48:21
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。
…三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。
恥ずかしいがあえて洩らせば、十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 03:28:43
『三島さんは吃驚するほど小さい人でした。』 五木寛之

167pの五木が吃驚するほど小さいと感じるなら最低で15p
おそらく20pくらいは差があると思われる

三島ヨイショの思い出や噂もいいけど
やはり三島の属性で最大の物はその驚くべき背の低さだから
それに関する話も貼って下さい

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 03:43:46
しかし、茂木の最大の驚きは、三島の「おおっぴらな同性愛」だった。
茂木によれば、三島は決まったように昼間のホテルに、「公園でうろついているような種類」の
17才前後の少年を連れてきていたとのことである。三島はそれをあけひろげにしていたので、
茂木は三島にどうやってそんな少年たちに近づくのかたずねてみた。
「あの世界」には言葉なしの了解がある、というのが三島の説明だった。
三島は自分に興味があるのは求愛の過程と女性心理であり、『最終的な行為』にはまったく興味がないといった。


534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 09:51:04
>>532
三島の身長は163.3センチと解剖所見で公式記録されてます。
学生時代の身体測定の記録にも、すでに17歳当時163.1センチと学習院の毎年の身長測定記録に残されてます。
噂からあんたが捏造した作り話がどうあれ、三島が163センチ台なのは事実。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 09:57:11
>>533
そんなのは三島が、禁色を書いてたころに、わざとこれ見よがしに海外同行の新聞記者に見せた振る舞いで、古いんだよ、ネタが。
干からびたエピソードご愁傷様です。

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 10:11:36
それから引用するときは話者と出典を明記してください。
三島と会話した人物とエピソード話者が違う場合のまた聞きレベルと区別をつける意味でね。

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 10:14:18
三島の死体は首がありませんよ
殺人事件の解剖にすら現金積む人間がいるのに
頼まれて首のない死体の身長10p15p水増ししても
良心は痛みますまい

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 16:50:07
学習院の生きてたときの17歳の163センチは首は付いてますから。
残念でした。

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 16:51:15

私にとって(文学と人生双方にとって)大事なのは「文」「武」もさることながら、「作」と「商」だった。
「作」と「商」なしには、人間は生きて行けない。
ことに古来日本の「商」の中心としてあって来た大阪生まれ、育ちの私にとって重要なのは「商」だ。
私と三島との次元のちがいは、ここにおいても明瞭だろう。
しかし、今、「商」はわが日本においてあまりにはびこりすぎている。
かつて、「文」「武」において大いに三島と共感したかつての若き過激派の学生たちも
今やそのはびこりの中心にいて、したい放題のことをしているように見える。
「文」においても、今や「商」あっての「文」。
私は三島の「文」「武」に賭けた純情をなつかしく思う。

小田実
「アンケート 三島由紀夫と私」より

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 09:54:23
…「三島由紀夫」をきわめて高く評価している。
その理由は拙著『戦後的思考』(1999年)に記した通りで、規定の枚数ではちょっと書けない。
できれば読んでいただきたいが、彼こそが、昭和天皇と戦争の死者の間の「約束違反」と、
またそれと自分の関係に目を向けた、そしてモラルということの初原の感覚を失わなかった、
例外的な戦後日本人だったからである。
三島は、戦後の小説家のうち、もっとも「戦後的」な作家だったといってよい。
戦後の天皇制から、一個人として、もっとも外に出ていた。
三島一人がいたお陰で、日本の戦後は道義的に、大いなる茶番の時代となることからかろうじて免れた、
といえるのではないかと思っている。

加藤典洋
「アンケート 三島由紀夫と私」より

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/08(土) 20:47:03
三島由紀夫は南朝の血筋を担ぐと周囲の人間にいってたそうですね。

誰か貴種をみつけたんだろうか?

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 00:53:53
>>541
それは初耳です。

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 12:18:45
三島さんのこと少し判ってきたことがある。
…イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。
あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。
でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。
あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。
アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。
…三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教の
あり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。
そこの所で、天皇というものを国際的観点から再評価したと思います。
それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。
…三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、
それだと思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです。

吉本隆明
「映画芸術」誌上、小川徹との対談より

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 12:14:26
少年の頃、父親の書棚に見つけた「美徳のよろめき」にこころが騒いだ憶えがある。
その見知らぬ言葉の配列は、油断すると血の匂いでも嗅いでしまいそうなたしか暗緑色と褐色の曲線でデザインされた
装幀以上に、こころが傷つけられたような印象がした。
そのせいか、多いとはいえない父親の蔵書にひととおり目を通したはずなのに、「美徳のよろめき」だけは、
書棚が設えてあった陽当りの悪い坪庭に面した廊下で床板の軋みを聞きながら読んだ記憶がない。
…いまでも読み返すことの多いこの作品をはじめて読んだのは、暗い意匠のほどこされた箱入りの本でではなく、
それに比べたらむしろ軽やかな印象さえする硬質なタイポグラフィで表紙が飾られた文庫本でだった。
実家を離れて東京の予備校に通いだしてからだったと思う。

売野雅勇
「言葉の音楽」より

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 12:15:34
当時、通学に一時間以上かかる私鉄電車の中で繰り返しページを開いていた文庫本が二冊あって、ひとつが
「コクトー詩集」で、もう一冊が「不道徳教育講座」だった。
…優雅さや皮肉といった、大人の秘密の匂いの予感に怯んだのが「美徳のよろめき」だとすれば、「不道徳教育講座」は
(そして、おそらく「コクトー詩集」も)、それらを享受するための練習だったのかもしれない――
それにしてもなんと贅沢な練習だろう。
「不道徳教育講座」のなかで見つけたのは、ユーモアに満ちた軽い語り口とは裏腹に、誇りや気高さといったものの
「実践の標本」であったし、俗に通じはじめた魂をふたたび無垢へと導く倫理だった。
そして、生活の細部にまで張り巡らされた美意識そのものだった。
三島由紀夫がどこかで「詩人とは新しい生き方を教えてくれる者である」といった意味のことを書いていたと思うが、
詩集のようにそれを毎日繰り返し読ませたものは、新しい生き方を発見しようとする幼くて切実な欲望だったのだろうか。

売野雅勇
「言葉の音楽」より

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 12:16:45
そのような迂回を経てふたたびたどりついた「美徳のよろめき」を、あっけないほど簡単に読めてしまったのは
――主人公の放つ匂いに恋してしまったということもあるが――、むしろ、もうひとつの愛読書だった
「コクトー詩集」のせいだったのではないかとも思う。
それを、言葉で書かれた、言葉で精確に組み立てられた音楽のように感じた。
粗野な感受性が直感した言葉は、コクトーの言葉の連なりのなかで不意に鳴りはじめる、あの聴きなれた音楽だった。
表象の宇宙的な連関を魔術にも似た不真面目さで透視させたり、世の中の価値や常識を一撃にして転覆させてしまう、
比喩や警句が、繊細な風景描写や明確な心理描写とともにそれを鳴らしていた。
詩人が秘密裏に共有するコードででもあるかのように。
なんて贅沢な小説だろうと、読み終えたばかりのページをふたたび開き、何度もため息をついたことを憶えている…。

売野雅勇
「言葉の音楽」より

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 12:17:51
…そのようにして三島作品と接してきたが、主人公たちの耳にも聴こえる音楽といえば、即座に「岬にての物語」で
海岸の断崖に近い草叢を歩きながら少年が聴いた、一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガンを思い出す。
最初に読んだときから、少年が聴いたその音を想像するよりも、聴こえない音の方に想像力が働いた。
陰画を光にかざして眼を凝らすおなじ身振りで、その失われた音に意識が集中してしまう性癖のようなものが
こころのうちにあるのだろうか、――あるいは、そのように意識を誘導する意図のもとに書かれたものなのだろうか。
それはともかく、「美徳のよろめき」を知って以来、聴こえない音楽を聴くことが、三島由紀夫の作品を読む
最大の快楽のひとつになっている。
言葉の音楽である。

売野雅勇
「言葉の音楽」より

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 15:42:28
三島さんて自分が生まれる時の記憶があるって言ってましたね。
産湯の盥の鋼の線を覚えてるとか。
生きていたらもっと面白い文章が拝見できたかも。
残念です。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 11:10:36
「おめこ」を「交接」と書くことが許されるのは三島先生だけ
「交接」を「こうぜつ」と読むのは麻生総理だけ

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 06:29:04
>>548
黒澤も赤ん坊時代の記憶があるって自伝に書いてるな。
女中が自分を背負ったまま小便したらしいw
でも赤ん坊の頃って視力はあっても情報を統括する神経がないから実はほとんど見えてないらしいね。
そういうのって後付けで記憶が作られてるんだろうな。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 10:10:03
最後の試験も済み、学生生活が実質的になにもかも終わった夏休みのある晩であった。
…何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」
と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。
けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。
彼は当時、日本の、ことに雅やかな王朝文化に心酔していた(当時といわず、或は生涯そうであったかもしれぬ)。
そしてその意味で敬虔な尊皇家であった。

今、卒業式の時の彼を思い出す。
戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。
彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。瞳涼しく進み出て、拝し、退く。
その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。
そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 10:10:59
彼の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、
人間としての器量は大きかった。思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。
それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 10:12:09
初等科一年の時、休み時間になると、半ズボン姿の我々は、籠から放たれた小鳥の様に夢中で騒ぎ回った。
…そういう餓鬼どもの中で、三島は「フクロウ、貴方は森の女王です」という作文を書いた。
彼は意識が始まった時から、すでに恐ろしい孤独の中に否応なしに閉じこもり、覚めていた。
…彼は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。
そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。
その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
あの時も、すでに彼はそれなりに成熟していたのであろう。彼と周囲との断絶、これは象徴的であり、悲劇的である。
三島は生涯の始めから、終始悲劇的に完成した孤独の日々を送ったと思う。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 20:24:39
584 :名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2009/08/28(金) 08:07:47
mp3音声2.39MB↓ここまでボロカスに腐したら長渕もスルーしないだろ
ttp://db6.voiceblog.jp/data/kajimasakai/1251250312.mp3

7分20秒あたりから↓

歌手でもいるでしょ、アレ、長渕とかいう奴・・・アレね、昔ね、飛行機でいっしょになったことあるんですよ・・・
その頃ね、まだボデービルやってない…背のちっちゃい髪長くした、もうちっちゃな子供ですよ…ひ弱な・・・
…で、もの凄い、あ、コ、コイツ虚弱児かなって思うような子供、だからボデービルを一所懸命にやって
まぁそうとう劣等感があったんだなぁ、だいたいねボデービルする人ってみんな痩せて虚弱な人ですよ・・・
それで一所懸命こう自信をつけるためにつまり穴埋め、存在不安に陥ってるから肉体をつくることによって
自分の気持ちを埋めてくんですね、だからボデービルやってる人を見たらこの人は肉体的劣等感の塊だと思えばいいんです・・・

あのぉ三島由紀夫もそうですよね、三島由紀夫は、もうこんな痩せてですね、
彼、軍、軍隊っていうかねぇ、あのぉ兵隊に行こうとしたの、とてもじゃないけど、
そのぉ合格しない、そいでもう肉体的な劣等感があってあってあってそいでボディビルを始めたわけ、、、ね、、

だからボデービルする人を、やってる人を見たらその人は本当に劣等感の塊なんですよ・・・
だからどうしてボデービルをやっちゃうかなって思っちゃう、何でかというと私は劣等感の塊ですよと、
こう張り紙して歩いてるようなもんでしょ・・・
ほいで自分で強がってね、こう、俺はさぁ、みたいな、長渕のなんか喋るの見たらわかるじゃない・・・
俺はさ、ガンガンやってさぁみたいなねそんなことばっかり言ってるわけ、だから、まぁ、身体で虚勢を張る・・・
その発言で虚勢を張るっていうことで自分の劣等感とか存在不安を塗り込めちゃうんですね・・・

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 13:38:13
亀はしあわせをよぶという。
私の手許に、甲羅に彫りの入った八ミリほどの小さな金の亀のペンダントトップがある。
これは私が十代の頃、三島さんに頂いたもの。
戦後間もなく、現在のように海外渡航が自由でなかった頃、三島さんはいち早く外国に足を運ばれた。
この亀はその時のおみやげである。
…私のアクセサリー箱の中では一番の古株、出番も多く、いわばお守りのような存在だ。
私が三島さんにお目にかかるのは、いつも我が家が「鉢の木会」のお当番の時だった。
…今では、大岡昇平、中村光夫、吉田健一、福田恆存、三島由紀夫の各氏、それに私の父の神西清はみな故人となった。
三島さんは会の中では一番若く、そのせいか口うるさい面々の恰好の揶揄の対象になることもしばしばで、
その場合三島さんの逃げ道は二つ。
まずはあの豪快な笑いで、からみつく蜘蛛の糸を振り払い、次の手はゴロッと横になって高鼾をきめこむ。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 13:40:00
元々が個性の強い人たちの集まりである。お酒の飲みっぷりも各人各様で、見飽きることがなかった。
酒宴が進むほどに、笑い声も賑やかになるのだが、三島さんのそれはいつも大きく際立っていた。
一人一人の顔にそれぞれの特徴ある笑い声が重なり、懐かしく往時を思い出す。
連歌を楽しみ、時にはお互いの仕事に対する鋭い批判も交錯し、この上なく濃密な時だった。
父の死後、「鉢の木会」が二階堂の家でひらかれたことがある。
三島さんは新婚間もなくで、座は瑤子夫人のお目出度の話題で盛り上がっていた。
襖越しに耳にした「医者に診てもらえと云ったんだ」という、三島さんのひときわ高い誇らしげな声は忘れることができない。
その時お顔は見なかったが、きっとあの大きな目が特別輝いていたことだろう。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 13:41:08
たった一度だけ、三島さんと銀座を歩いたことがあった。
私の大学卒業に際し、「鉢の木会」が腕時計をくださるということで、和光に出向いた。
三島さんはいつもどおりの笑いを振りまき、もとより知られた顔だから、集まる人々の視線が眩しく、とても気恥ずかしかった。
三島さんは、大変几帳面で礼儀正しく、細やかな心遣いをされる方だった。
父の生前は父に、亡くなってからは母に、筆、あるいは万年筆で署名された三島さんの著書が律義に届けられた。
なかには、「神西清様」と記された名刺がはさんであるものも何冊かある。書体は均整がとれていて美しい。
…装幀も凝ったものが多い。
…代表作「金閣寺」の限定版は、年数のたった今も、手にとるとふんだんに使われている金箔が指につくほど豪華で、
本箱のたくさんの三島本の中でも王将格である。
奥付には、本書は二百部を限定刊行す、その内二十部は無番号著者家蔵本、本書はそのNo.、とあってナンバーはついていない。
これをみても三島さんが、いかに父に礼を尽くして下さっていたかがわかる。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 13:42:06
季節毎の心遣いも、瑤子夫人が亡くなるまで途切れることなく続いた。稀有なことである。
瑤子夫人死去の報は、ご病気を知らなかったこともあり、私を大そう驚かせた。
夫人の通夜の晩はむし暑く、三島邸前の道路は別れの時を待つ人で埋めつくされ、月も動きをとめ、大気は重く悲しみに沈んでいた。
天空にあった細い月は夫人の魂をいざなうかのように、やがて視界から消えていった。
日ならずして、夫人を偲ぶ品が届けられた。
小箱の中には、甲羅が緑色、足が紫色の石の、美しい大きい亀のブローチ。
偶然とはいえ、この不思議な巡り合わせに私はしばし言葉もなかった。
金の亀と緑の亀。二つめの亀の出現で、三島夫妻は私の中で一つの像となった。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 16:23:31
平成十年の春、私はある方を通して、三島由紀夫の学習院の中等科・高等科時代に、同校の先輩であり、
文学上の友人であった東文彦(本名・東健)に宛てた、多くの書簡を手にすることになった。
…この書簡の中味については、すでに解説で記したのでここでくりかえさないが、十代半ばからの、
まだどこか幼さを残す、平岡公威のその手紙の筆蹟を目にしたときの強い印象は、今も鮮明によみがえる。
後年の、作家・三島由紀夫の自筆原稿の見事な文字は写真で見たことがあったし、…短編小説「蘭陵王」の原稿の
完全復元版を私は持っていたので、そのほとんど直しのない楷書体の雄渾な手蹟は、天才のあかしのように見えた。
十代の手紙は、処女作「花ざかりの森」についての昭和十六年七月二十四日付の唯一の毛筆の書簡も含めて、
これもほとんど全て形の整った丁寧な文字で記されており、信頼する先輩にむけて、自らの堅忍不抜の
文学への思いを存分に披瀝している。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 16:24:18
しかし、便箋をびっしりと埋めたその文字からは、やはり十代ならではの、初々しさと真摯さがうかがえた。
手紙の文面の、まさに天賦の才を、早熟に刻印した瞠目すべき内容とは、ときにちぐはぐとも見える、
その手蹟の生真面目さ、素朴さは、私にある哀しみのようなものを感じさせずにはおかなかった。
そうだ、この哀しみの感触こそ、自分が三島の文学のなかにずっと感じてきたものではないのか。
恋人であった園子と再会した「私」が、腕に牡丹の刺青のある半裸の男の肉体に、目をうばわれた瞬間を、
〈雷が落ちて生木が引裂かれるやうに〉と記した「仮面の告白」のラストシーン。
「真夏の死」の朝子がみせる、かつて愛児を呑み込んだ夏の海辺に戻って来て、放心したように〈何事かを待つてゐる表情〉。
金閣寺に火を放った主人公が、自分の死場所として夢みていた究境頂に入ろうとし、戸を叩くが、開かずに、
ためらわずに身を飜えして階を駈け下りる一瞬。
「三熊野詣」の藤宮先生が、熊野那智大社の境内で女の名を朱筆で記した櫛を、枝垂桜の下に埋めようとして、
爪で土を掻き出すところ。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 16:26:15
また、「英霊の声」の次のような一節。
〈だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。
何と云はうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、
陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。…〉
そして「豊饒の海」最終巻、「天人五衰」の最後で本多繁邦が、奈良の月修寺の門跡となっている聡子に会うために
車を走らせながら、その夏空の下の景色に目をやったときの感慨……。
〈……目の前に光りと感じられてゐるものは、底知れぬほどの闇の陰画なのであらうか。
さう思つたとき本多は、自分の目が又しても事物の背後へ廻らうとしてゐるのを感じた。…〉
…三島の光彩陸離たる作品群は、戦後の日本文学を四半世紀にわたってかたちづくった。
その多才と意志強固な行動力は、あの割腹死に至るまで揺らぐことはなかった。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 16:27:58
しかし、その生と文学の底には、この〈世界〉を、〈自分の手の上にそつと載せて護つておかなければ〉、
そうしなければならない宿命を負った少年の自意識の哀しみが、つねに通奏音としてあったのではないか。
自決の直前のインタビューに答えて、三島は「十代の思想」への回帰ということを、自らの口で語った。
〈ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。
(中略)十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、
ワーッと出てくるんです〉(「三島由紀夫 最後の言葉」)
私がその十代書簡の筆蹟のうえに見たものも、三島由紀夫=平岡公威のハイマート、すなわち源泉の感情であった。
その自我は、彼の帰郷の道行きであったともいえよう。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 23:28:50
吉田満は、三島由紀夫の「死」を、青春の頂点において「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、
「いかに生きるか」の課題が許されなかった世代――そのような世代のひとつの死としてとらえ直してみせた。
あの自決がさまざまな意味を「異なる解明の糸口」を示していながら、実のところ戦争に散華した仲間と同じ場所を求めての、
死の選択であり、そのような願いによる決断であったという。
これはたんなる世代論だろうか。
三島由紀夫の生と文学を、あまりに単純な世代の「死」として単純化してしまうことになるのだろうか。私はそうは思わない。

保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、
何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という個的な存在の、
その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」と重なり合い、
その死のなかに埋没することを懇望したものであったからではないか。
あの自決事件は、決して特異なものでも異常なものでもなく、あえていえば平凡な静謐さのなかにある。
そう思うとき、『豊饒の海』第一巻の冒頭で描かれた「セピア色のインキで印刷」された日露戦没の写真――
その風景を想起せずにはいられない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 23:31:17
…池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼の仮面――『仮面の告白』についての
作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」――の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。
戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。
神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、「神学問題で灼けただれている現実にも耐える」と正確に指摘した。
《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面するところがある。
そして死が避けられなくなる。
さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」)

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 23:32:47
『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、
まさに「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、
「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。
これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が
露われているのはいうまでもない。
おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。
多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、三島は自らの生と文学と、
そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。
いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 10:44:40
<お知らせ> 憂国忌は11月25日 午后六時開場、六時半開演。
会場は永田町の「星陵会館」ホールです。
シンポジウムのパネリストが内定しました
司会  富岡幸一郎(文藝評論家)
    西部 邁 (評論家)
    西村幸祐 (ジャーナリスト)
    杉原志啓 (歴史研究家)
     の各氏を予定します。

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 15:20:10
三島さんに初めて逢ったのは、一九五一年の夏だったと思う。
小さい頃から行っていた群馬県の高原の村に、吉田健一さんの山小屋もあった。
三島さんはその頃、吉田さんや大岡昇平、福田恆存、中村光夫さん達の「鉢の木会」というグループに入る事になっていて、
夏の一日、吉田さんの家で例会があり、父(岸田国士)の所に十人位で遊びにみえたのだ。
姉とわたしはお茶を運んだりしながら、ユーモア溢れる会話に聴き耳を立てていた。
何といってもイジメの対象は、他の人より一廻りは若い三島さんで、三島さんも又、からかわれるのが嬉しいように、
あの独特の笑い声を挙げていた。
皆、その夜は村のクラブに泊まって翌日帰京なさる中で、三島さんだけは二、三日帰るのを延ばすことになった。
「仕事は夜するから」といって、昼間はわたしたち、夏の遊び仲間やその友人と、目一杯遊んだ。
年長の作家たちとのお付き合いでは満たされないものを、少し年下の大学生や芸術家の卵たちと、体を使って
取り返そうとでもするように。乗馬、ボート、ダンス。

岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 15:21:41
…この村が気に入ったという三島さんは、翌年の夏も一週間ぐらい滞在した。帰りはわたしも一緒だった。
旧軽井沢のパーティーに寄ってそのお家で泊まることになっていた。
ちょっと危ないメンバーだったみたいで、一晩中、わたしの枕元で仕事をしていた三島さんを忘れない。
…その年の秋、わたしは文学座の研究生になった。文芸部に所属していた三島さんは、一年おき位に作品を提供していて、
わたしは文学座にいた十年の間に、外部出演も含めて三島作品七本、潤色と演出それぞれ一本ずつに出演した。
三島さんは稽古場にもよく顔を見せた。
舞台の出来も気になっただろうけれど、その後で若い俳優たちと遊ぶのが楽しみだったように見えたのは、
わたしの勝手な思い込みだろうか。皆、作品については十分敬意を払っていた。
でも運動神経やファッションセンスに関しては、言いたい放題だった。
自虐的な所のある三島さんが、それを喜ぶことを知っていて、一種のおもねりだったと言えるかもしれない。

岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 15:22:47
ボディビルやボクシングを始めた時も、遊びのふりをしていたような気がする。何回戦だかの試合に出た時は皆で見に行った。
かなり痛々しかったけれど、いつものように後でさんざん悪口を言ってあげた。三島さんは嬉しそうに、大きな声で笑った。
舞台の初日には女優の楽屋の化粧前にカトレアの花が届けられ、客席と楽屋を往ったり来たりするのも嬉しそうだった。
本公演ではたった一本の演出作品「サロメ」の時は、見違えるように真剣だった。
様式的な舞台を創ろうとして、俳優たちに一せいに左右へと首を廻すように指示した時、わざと反対の方を向く人が一人いて、
あんなに怒った三島さんを見たことがない。いつも血の気のない顔が、死人のように蒼白だった。

岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 15:24:22
映画「からっ風野郎」出演の時、ちょうど仕事で同じ撮影所にいたので、三島さんのセットを覗きに行った。
ビールを抜いてたくさんのコップに注ぐ所で、三島さんは何度もNGを出していた。増村保造監督の「もう一度」の声に、
三島さんはますます緊張してリズムが崩れ、ビールが足りなくなって小道具さんが酒屋に走った。
完成すると三島さんは自宅で試写会を開いた。
さんざん悪口を言われて、やっといつもの自分に戻ったようだった。セットを覗いた話はしなかった。
芥川比呂志さんはじめ、これから一緒にやって行こうと思う若手の俳優たちが、レパートリーに不満を持って、
文学座脱退のことを福田恆存さんに相談しているのは知っていた。
福田さんに誘われたわたしは「三島さんが一緒なら」と言った。
「もちろん僕から誘います。三島君に言うと直ぐ洩れるから話さないように」と念を押された。
お家に招ばれながら黙っているのは辛かったけれど、お二人は「鉢の木会」以来の親友だからと、自分に言い聞かせた。

岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 15:25:38
京都に撮影で行っていた或る朝、新聞に脱退の記事が出た。三島さんの名前はない。
帰京してすぐ三島さんのお家へ行くと、「新聞に出る前の晩に聞かされて、動けると思う?」と言われた。
福田さんにだまされたと思ったけれど、どうしようもなかった。
「『双頭の鷲』は生きられないんだよ」。福田さんと三島さんのことだ。慰めだったろうか。
「そのうち、又、一緒に何かする機会もあるから」と言われて、帝国劇場で『癩王のテラス』を上演する時、
六年ぶりに呼ばれた。王の病気が感染して、焼身自殺する妃の役だった。
御自身も文学座を脱退し、楯の会を作った三島さんは遠い人のようで、あまり話もしなかった。
初日には、やっぱりカトレアが置いてあった。
「精神が滅んでも肉体は滅びない」という逆説に満ちたこの芝居が、三島さんの最後の戯曲になった。

岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 14:28:17
戦後二回だけ復活した高等文官試験の二回目が昭和二十二年に実施された。
大蔵省の面接試験はその年の十二月に麻布二の橋の大蔵省公邸(…旧渋沢邸)で行われた。
面接の順番待ちの時、ふと隣を見ると“例の男”がいるではないか。
“例の男”とは私が当時住んでいた渋谷松濤に近い旧大向小学校前の通りでよく行き会ったことがある男だ。
黒髪豊かで白皙、頬の髯の剃り跡蒼々とし、面長で額広く眉が濃くて目がぎょろりと大きな、一度会ったら
忘れられないあの男である。
如何にも育ちがよさそうで眉目秀麗な貴公子風の顔でありながら、妙に人なつっこい魅力も漂わせていた。
彼は平岡と名乗り、「実はおやじが農林省の役人だったので、どうしてもお前も役人になれ、できれば俺が
予算でいじめられた大蔵省に入れと強く迫るので、本当は他にしたい仕事もあるのだが、父親孝行のために
大蔵省に志望してここに来ているのだ」という説明をした。

和田謙三
「平岡公威さんとの忘れ難き出会い」より

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 14:29:57
私たちは昭和二十二年十二月付で採用ときまったが、平岡さんはすでに大学を卒業していたので即事務官として
採用され(二十二年後期組)、私の方は未だ在学中だったので、卒業予定の翌年三月まで「無給嘱託」という
辞令を渡された(二十三年前期組)。
これは二十二年後期組の人から聞いた話だが、このクラスの初顔合せで各自が自己紹介した時、彼は
「こんなのっぺりした野郎でござんすが何分よろしく」と挨拶したそうである。
平岡さんは最初、銀行局国民貯蓄課に配属された(給与は一八〇〇円ベースの時で、初任給は基本給一三五〇円)。
当時の国民貯蓄課はM課長の下にH課長補佐がおり、平岡さんはH課長補佐の部下として貯蓄奨励などに関する
大臣の挨拶原稿の下書きを命ぜられていた。

和田謙三
「平岡公威さんとの忘れ難き出会い」より

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 14:32:02
大臣の挨拶文は当然ひとつの定型があり、H補佐は前例の挨拶文を平岡さんに示して、それにならって
草案をまとめるように指導したのだろう。
ところが平岡さんの作る草案は普通の官庁文書に使われたことかない美辞や修辞句に溢れた破天荒なものであった。
M課長やH補佐としては何とか折角の文才を生かしながらこれを定型的な官庁文書の鋳型にはめこむための
添削、推敲に苦労したらしい。
他方、平岡さんの方からすれば、今まで人から手を入れられたことがない自分の文章が完膚なきまでに直され、
無機質、無味乾燥な官庁文書に変形してゆくことで著しくプライドを傷つけられる面もあったようだ。
ともかく文豪三島由紀夫の文章に手を入れたのは後にも先にもこのM課長とH補佐だけということは、
旧大蔵省時代から長く語り伝えられた伝説である。

和田謙三
「平岡公威さんとの忘れ難き出会い」より

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 14:33:12
当時の大蔵省は、霞ヶ関の庁舎がGHQに接収されていたため国電四ッ谷駅のすぐ西側の四谷第三小学校の
校舎に仮住まい中であった。
渋谷に住んでいた平岡さんは私と同様、渋谷駅から代々木まで山手線に乗り、代々木で総武線に乗り換えて
四ッ谷駅下車というルートで通勤していた。
比較的早い時刻での役所からの帰途、よく一緒に空襲で未だ焼け跡だらけの渋谷の町を歩いた。
そんな時、「昨夜は殆んど徹夜だったので今日は目がかすみ、頭が朦朧として、課長から作成を指示された資料の
数字を何ヵ所も間違えて大分油をしぼられたよ」とこぼしていた。
まだ文壇に本格的にデビューする前であり、彼の作家活動を余り認識していなかった私は、
「この人、徹夜までして一体何をしているのかな」と一時は思ったりした。

和田謙三
「平岡公威さんとの忘れ難き出会い」より

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 14:34:45
私が入省して半年くらい経った昭和二十三年九月、偶々前述のM課長が私の上司となっていた時、
平岡さんが役所を辞めるのでM課長のところに挨拶にきた。
その折私の席にも立ち寄って次のような話をしてくれた。
「和田君、君には入省面接の際、おやじ孝行でこの役所を志望したといったが、実はもっと重要な理由があったのだ。
それは生活のために書く小説はとかくいじけたものになりがちなので、森鴎外(軍医)のように生活の支えは
作家とは別の職業に求めたいという考えがあったわけだ。
そしてできることなら役人生活を続けながら作家活動を続けてゆきたいと願っていたが、…役所というところは
仕事と文筆稼業を両立させがたい職場であることがよくわかった。
偶々最近僕にもやっと大きな出版社から声がかかるようになったので自分の“ヰタ・セクスアリス”のようなものを
書いてみようと思っている。
僅か八〜九ヶ月の御奉公で去ることは折角採用してもらった大蔵省には申し訳ないが、これを機会に役所を
辞めることにしたよ」と云って彼特有の大口をあけて哄笑して去っていった。

和田謙三
「平岡公威さんとの忘れ難き出会い」より

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/05(月) 23:37:17
「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。
先生(三島由紀夫)は、その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。
思想的な評論など出していましたからね。
例えば、『対話・日本人論』とか、思想的な評論関係の著作を出していましたから。
文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。
小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。
…あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大って
どんどん広がっていったわけです。
当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。
想像できないでしょうが、そうだったんです。
で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。
今見れば漫画みたいになっちゃうかもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に
危機的に感じていました。
そういう時代風潮を押さえて見ないと、あの頃の行動というのはわからないんですよ。
今の、この社会状況から見てたんじゃ」

持丸博(元楯の会初代学生長)

鈴木亜繪美
「火群のゆくへ 元楯の会会員たちの心の軌跡」

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 13:13:03
同性愛サロンについて

同性愛者をはじめとするセクシュアルマイノリティが集い、独自の観点・視点から様々な事象を語る板です。
(同性愛とは直接関係のない芸能・音楽・テレビ・映画等の娯楽、日常生活、一般時事など)
セクシュアルマイノリティ(Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender)限定の板です。

★次の行為は禁止です

* ブラウザクラッシャー・ウィルスコード等の貼付け・リンク。
* 同性愛者、その他の同性愛等に関する、差別、蔑視、挑発、誹謗中傷発言。
特定の人物や固定ハンドル、お店への叩き。
* 板違いである話題。801、ボーイズラブ、同人。実況。同性愛者になりきりで書込み。
同性愛者独自の視点で語れない内容。
* 単発質問スレッド。板を跨いだ重複スレッド。


以上の板の看板を見ればわかるように同性愛サロンは、非同性愛者、とくに腐女子と言われる人々の
書き込みをローカルルールで固く禁じている板です。
非同性愛者、腐女子の書き込み・スレ立てはそのまま板荒らし行為になります。
また、同一のスレタイ・内容のスレを多数の板へ板をまたいで乱立するのはガイドラインでもローカル
ルールでも二重に禁止されている違反行為です。
2ちゃんねるには書き込みするユーザーを制限している板もあります。
おすすめ、検索から書き込みするときには注意しましょう。

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 20:53:19
>>473
>三島の文学に何の関心もないゴシップマニアはあなたでしょう。
>自分のレスを顧みたら?
>そんな細かい北杜夫とのごちゃごちゃした話なんか、三島の文学とは関係ありませんからね。
>私は三島の文学作品はほぼ読んでますよ。文庫本は全部持ってるし、全集もいくつか持ってます。

>それから、はっきり言って私の周りでは北杜夫を知ってる人はほとんどいませんよ。
>芥川賞なんかとって昔話題になってたとしても、今現在読まれでなければ知らない人が多いのは当然でしょう。

「あとはやっぱり、過去と現在との因果関係の牢獄にはまりこんでしまわないことです。 未来の方から現在を考えて、何をすべきかを考えるべきではないでしょうか。
何歳であっても、残りの人生をよくすることを一番に考えるべきです。」
                    平野啓一郎

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 16:24:18
ある晩、事件の年の春頃でしたか、伜(三島由紀夫)は茶の間で、
「日本は変なことになりますよ。ある日突然米国は日本の頭越しに中国に接触しますよ、
日本はその谷間の底から上を見上げてわずかに話し合いを盗み聞きできるにとどまるでしょう。
わが友台湾はもはやたのむにたらずと、どこかに行ってしまうでしょう」と申しました。
これを後で伜のある先輩に話しますと自分もあなたよりずーっと早い四十三年の春に、
銀座で食事中にまったく同じ予言を聞かされたものです、と驚いておりました。

平岡梓
「伜・三島由紀夫」より

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 19:49:52
三島由紀夫の一番好きなタイプの男性は、どんな人だったのですか?

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 23:31:39
>>581
それは三島由紀夫本人にしかわからないことでしょうね。
不良の武骨な落第生に惹かれたこともあったようだし、
色白の目のパッチリした下級生の美少年に惹かれ恋していたとも、エッセイには書いてあるよ。
でもホモ傾向は一般的に言われて思われてるほど、あまりないと感じます。

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 23:35:25
>>581
こんな小論もあるので参考まで。

「男のおしやれ」三島由紀夫
男のおしやれがはやつて、男性化粧品がよく売れ、床屋でマニキュアさせる男がふえた、といふことだが、
男が柔弱になるのは泰平の世の常であつて、大正時代にもポンペアン・クリームなどといふものを頬に塗つて、
薄化粧する男が多かつたし、江戸時代の春信の浮世絵なんかを見れば、男と女がまるで見分けがつかぬやうに描かれてゐる。
…私はこんな風潮一切がまちがつてゐると考へる人間である。男は粗衣によつてはじめて男性美を発揮できる。
ボロを着せてみて、はじめて男の値打がわかる、といふのが、男のおしやれの基本だと考へてゐる。
といふのは、男の魅力はあくまで剛健素朴にあるのであつて、それを引立たせるおしやれは、
ボロであつても、華美であつても、あくまで同じ値打同じ効果をもたらさなければならぬ。
…多少我田引水だが、日本の男のもつとも美しい服装は、剣道着だと私は考へてゐる。
これこそ、素朴であつて、しかも華美を兼ねてゐる。
学生服をイカさない、といふのも、一部デザイナーの柔弱な偏見であつて、学生服がピタリと似合ふ学生でなければ、
学生の値打はない。あれも素朴にして華美なる服装である。
背広なんか犬に喰はれてしまへ。世の中にこんなにみにくい、あほらしい服はない。
商人服をありがたがつて着てゐる情ない世界的風潮よ。
タキシードも犬に喰はれてしまへ。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 09:22:58
雑誌『デリカ』の1983年12月号を読み返えした。
自分が書いた音楽記事である。
見出しに『確かなホンモノの手応えと時代の趣味』と付け、
CBSソニーからオリジナルアルバム『あの頃、
マリー・ローランサン』をリリースした加藤和彦にインタビュー。
記事から抜粋する。
僕が『音楽を好んで聴く年代層が若いせいかもしれないけど、
この頃は技術的なことは別として、
内容のレベルが低すぎるように感じますけど』と問いかけた。
加藤は『それは当たっていると思う。
僕が音楽を始めた18、9の頃は、僕達向けの音楽も雑誌もなかった。
洋服にしてもそうですよね?
大人の着方を真似してみたりとか、音楽でも無理をして聴いたり、
わからないのに三島由紀夫の本を読んだり、
背のびしたことが今になって役に立っている…』
そして『若い人に言えることは、
与えられたものをそのまま素直に受けとめる姿勢は危険だということを
少しは知ってほしい…』

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 10:39:16
【源泉の】平岡公威・三島由紀夫の詩【感情】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/poetics/1256699353/

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 11:16:58
「ミシマの作品くらいは読まなくてはね」

ビョーク
来日した際の発言

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/05(木) 14:57:51

[神立つ国から 伊藤好雄さんのホームページ]
http://www2.odn.ne.jp/~aax63750/index.html

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 10:24:37
イタリア最大の出版社の一つであるモンドダリは、二年後(投稿時2002年)に、三島由紀夫選集を出すことを
企画している。ローマ大学のマリアテレーサ・オルシ教授を編者とするこの選集の目的は、三島文学の美しさを
あらためてイタリアに紹介することにある。
その目標を達成するため、序文、解題と共に訳文の精確さが大切なポイントとして顧慮され、日本語からではなく
英語などから重訳されている作品も、今度は新しく日本語から直接翻訳される。
その中には…(中略)「鏡子の家」等も含まれる。この最後の作品は私の担当作品なので、少し考察したい。
周知のように、三島がひたすら情熱と才能を傾けて書いた「鏡子の家」は非常に評価が低かった。
予想を裏切る反応に作者は落胆したが、昭和42年にはこの小説を「自分の好きな作品」に数えている。
それにも関わらず、この作品はあまり研究の対象になっていない。評判が良くなかった理由は様々に書かれて
いるが、ここでは反論するよりも、私にとって興味深く、秀逸と思われるところをすこし分析してみたい。

マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 10:25:21
「鏡子の家」は構成が見事である。その枠組みの中に、美しく表現力豊かな文章や隠喩がちりばめられている。
冒頭に〈みんな欠伸をしてゐた〉という、短いが意味深長な一文がある。
「みんな」に含められる登場人物たちは、生との関わりに困難をきたし、倦怠感に蝕まれている。
群小人物の光子と民子は倦怠を逃れるため銀座の美容院に行って満足する。
他の主要人物たちは自分の内面世界と外界との関係に支障をきたしている。
俳優志願の収は自分の身体を明確に知覚できず、身体と存在を同一視するに至る。画家の夏雄は突然視界が
消滅する出来事に遭遇して以来、絵が描けなくなるが、内面世界をより狭くすることで再び描けるようになる。
拳闘選手の峻吉は記憶空間のない生活を構築する。鏡子は自分の内面世界についてあまり考えないようにし、
友人たちの経験、思想に満ちている「家」に住んでいる。

マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 10:27:16
しかし冒頭の「みんな」には、会社員である清一郎が意図的に挿入されていない。清一郎は一番俗世に混じって
生活している人物で、日本だけではなくニューヨークに住んでいる時も問題なく仕事環境に溶け込める。
しかしその能力は世界崩壊を固く信じることから来るものと言うべきである。
「鏡子の家」の完璧な構造では、鏡子が友人たちを追い出して自分の家を“閉める”という経緯が作品の
結びとなる。つまり小説の終わりと“家の終わり”が一致するのである。
そして冒頭と同じく、光子と民子はつまらなそうに「仕方なし」に銀座の美容院に行く。
三島の描写は暗示的で、しかも読者の目前に見えるような印象的なイメージが豊かである。
最も顕著で、優雅なイメージ操作は「鏡」をめぐるものであろう。
タイトルとなる女主人公の名前を始め、すべての人物にそれぞれ自分の「鏡」がある。

マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 10:28:22
収は本物の鏡に映るとほっとするが、鏡より肉体を強く感じさせる女性と出会った時、その人間的な鏡と
死ぬことを決意する。
夏雄は自分の絵におのれを投影する。それゆえ、絵が描けなくなった時、一旦自分を見失う。
峻吉は力を自分の鏡とする。しかし喧嘩で手を怪我して拳闘ができなくなると、自分の鏡である力を右翼の
青年団に入って使う。
鏡子は自分を皆の鏡であると思いながら、他人を自身の鏡として使う。最後に娘と互いに映しあう鏡遊びで、
どちらが娘かどちらが母か、どちらが女らしい魅力と欲情をよりそなえているかわからなくなる。
ちょうど金閣寺が素晴らしく金色に輝く姿を鏡湖池に映すように、「鏡子の家」の人物たちは自らを
映す物なしでは生きられないのである。ひょっとしたら、作者も小説に自分を映したのかとも思われる。
登場人物に三島自身の投影が認められるかどうかは別として、隠喩やイメージが豊富で、とても面白く読める
作品である。

マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 10:29:57
個性的であざやかな表現が多いので、翻訳する側はそれをうつし変える困難を何とか切り抜けなければ
ならないが、作者の力量や熱意がページごとに感じられる。
古典文学を翻訳するとき、イタリアの読者に伝えにくい雰囲気、理解しがたい習慣等がある。
しかし「鏡子の家」の場合、そのような難しさはなくて、例えばサルトル、モラヴィアを読んだ者には
感じやすい倦怠感もあり、場面がニューヨークになっているページもあるし、それほど遠い文化が感じられる
ところはないと言える。
ただ、完璧に文体の美しさを伝えることはやはり容易ではない。しかし、それは読者より翻訳者の問題であろう。
原文の美しさに感服しつつ、同レベルの文体の文章を作ろうと格闘中の私には、何故今まで「鏡子の家」が
訳されなかったのか不思議に思われる一方、その任を受けたことを幸いに思い、この作業がたいへん有意義な
経験となることが確信されるのである。

マティルデ・マストランジェロ
「『鏡子の家』イタリア語初訳」より

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 11:34:59
わたしの考えでは、一九六六年に書かれた「英霊の声」は、日本の戦後にとってたぶんもっとも重要な作品の
一つである。この作品には、作者の分身と目される語り手「私」とやはり作者の分身である霊媒の盲目の美少年が
登場し、帰神(かむがかり)の会で後者の語る死者の声を前者が聞くが、霊媒者となり、二・二六事件と特攻隊の
死者の声を口寄せする青年は、降霊が終わると落命する。見るとその顔はすっかり面変わりしている。
後に明らかにされる三島自身の証言では、青年は死んで昭和天皇の顔になるのである。
この作品で三島が言うのは、自分のために死んでくれと臣下を戦場に送っておきながら、その後、自分は
神ではないというのは、(逆説的ながら)「人間として」倫理にもとることで、昭和天皇は、断じて糾弾される
べきだということ、しかし、その糾弾の主体は、もはやどこにもいないということである。
戦争の死者を裏切ったまま、戦前とは宗旨替えした世界に身を置き、そこで生活を営んでいる点、彼も同罪である。
糾弾者自身の死とひきかえにしかその糾弾はなされない。
そういう直感が、この作品の終わりをこのようなものにしている。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 11:36:32
ところで、わたしは、日本の戦後に三島のような人間がいてくれたことを日本の戦後のために喜ぶ。
わたしがこう言ったとしてどれだけの人が同意してくれるかわからないが、彼がいるといないとでは、
日本の戦後の意味は、大違いである。
その考え方には、誰もが、もしどのような先入観からも自由なら、こう考えるだろうというような普遍的な
みちすじが示されている。
三島は、日本の戦後のローカルな論理、いわばその「内面」に染まらず、普遍的な人間の考え方を示すことで、
はじめて日本の戦後の言語空間がいかに背理にみちたものであるかを、告知している。
これは、旧ドイツにおけるアンセルム・キーファーなどとほぼ比較可能なあり方であり、もし三島がいなければ、
日本の戦後は、一場の茶番劇になり終わるところだった。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 11:37:17
たしかに彼の作品は、化粧タイルのような人工的な文体を駆使して書かれている。…でも、そのことが、
三島の小説を世界の文脈で見た場合の、「世界の戦後」性にたえる制作物にしている。
(中略)
三島は戦前、レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」に夢中になる。でもそのラディゲの作がすでに
第一次世界大戦の戦後文学だった。そのもっとも深い理解者は、あのジャン・コクトーである。
その心理小説に心理がなく心理の剥製があること、しかしそのことこそがその第一次世界大戦の戦後文学で
めざされていること、そしてそのようなものとして、それが三島の戦前と戦後の指標たり続けること。
つまり、人工性はここでは、世界性、現代性の明らかな指標なのである。
「世界の戦後」とは第一次世界大戦の戦後のことであり、「日本の戦後」とは第二次世界大戦の戦後のことである。
この二つは同じではない。簡単に言うなら、前者の戦後で、人と世界は壊れ、後者の戦後で、人と世界は
自分を修復している。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 11:39:00
サルトルの「嘔吐」は第一次世界大戦の戦後文学であって、そこで彼は人が壊れたこと、そこからの回復には
アヴァンチュール(芸術と犯罪)による特権的瞬間しかないことを述べている。
しかしその彼が、第二次世界大戦の戦後になると、アンガジュマンによる人間の回復を唱える。
三島は、戦前のサルトルに似ている。わたし達は、ここでは、そこに二つの戦後の重層(ズレ)があることに
自覚的であるべき、「遅れてきた青年」なのである。
〈ラディゲから影響を受けてゐた時代はほとんど終戦後まで続いてゐた。さうして戦争がすんで、日本にも
ラディゲの味はつたやうな無秩序が来たといふ思ひは、私をますますラディゲの熱狂的な崇拝者にさせた。
事実、今になつて考へると、日本の今次大戦後の無秩序状態は、ヨーロッパにおける第二次大戦後の無秩序状態
よりも第一次大戦後の無秩序状態に似てゐたと思はれる。(「わが魅せられたるもの」一九五六年)〉
こういう洞察がなぜ当時、三島にだけ可能だったか。
そういうことをわたしとしてはいま、改めて、考えてみたいと思っている。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

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