三島由紀夫の噂
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 23:23:33
- 要望が多数あったので立てました。
- 2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 23:39:38
- どっからよw
- 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 00:07:34
- KGBのほうから・・・
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:30:17
- 故人だけどなにを語るんだ?
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:54:39
- http://imepita.jp/20071026/797920
http://imepita.jp/20071125/081620
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 17:48:45
- 斬る
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 13:00:37
- 自害の際のクビチョンパ写真集があるらしい。警察官が先生の首をビニール袋に入れて回収した。
- 8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:32:17
- ご子息はイケメンよ
- 9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 00:38:52
- 息子がいるの?
- 10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 02:04:44
- 娘二人だけサッ!!!
膣性交に無関心なので、義務として交接しただけだゼッ!!!
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 03:04:28
- 菊の御紋専門ですな。
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 11:32:27
- >>9
息子さん今、45歳ですよ
その上のお姉さんは48歳です
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 12:30:01
- 息子は性転換する前は娘だったらしいぞ!
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 17:20:06
- >>13
ひとつも面白くない
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 17:30:00
- 『剣と寒紅』読んだけど、読まなきゃよかったーって後悔した。
亡くなった人の秘め事を公にするのはちとずるい気がした。
でも興味があったから読んだんだけどさ。
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 21:49:56
- >>7
首じゃなくて腹切ったんだけど
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 22:32:32
- >>16おまえ知らないのか?勉強しろ!
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 22:52:51
- 【切腹自殺】●●三島由紀夫●●【肉体改造】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1152942731/
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 06:56:06
- >>7
フライデー創刊号で生首写真出てたよ。
首なし胴体写真も。
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 13:10:04
- 三島由紀夫の恋人(女性)だった人を発見
すでに老女ですけれど
凛としていました
どんな交渉があったのか
興味あるのですが
話して下さいよ
随分と昔のことですよ
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 13:55:22
- 三島が女に恋なんぞする訳が無い!!!
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:42:10
- >>20
結婚前に4年付き合っていた、10歳くらい年下の人のことかな
本当はその女性と結婚するつもりだったと、三島由紀夫の友人の著書で読んだことあるよ
- 23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:46:01
- >>15
あれはへたな脚色してあって嘘っぽかった
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:59:09
- 女性ともいろいろあったし、友人が25歳くらいで童貞という相談をうけて、
「ずいぶん物持ちのいい男だ」と馬鹿にしてたよね。
童貞の正しい捨て方を伝授したそうです。
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 15:15:35
- 美輪明宏に聞いた方が早い
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:03:33
- 東大法学部卒で大蔵省に入って、小説化になったのにコンプレックスがあるなんて
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 00:11:52
- 三島由紀夫が渡米したとき、ジェームス・ディーンの通っていたバーに行ったらしいが、それを知った小森和子に
「ゆ、ゆきおちゃま、そのジミーが座っていた椅子に座ったズボンを私にちょうだい」としつこくねだられ驚いたらしい
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 22:47:21
- さすが由紀夫ちゃんだ・・
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 10:47:38
- ジェームス・ディーンに関係なく三島由紀夫が穿いてただけでそのズボンは価値がある
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:05:16
- 実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的思想を問題視する声があがり、川端へ移行しただけ。
審査員が川端へ打診したところ、川端は三島を擁護せずにそれを承諾し、三島へも、今回は私がいただかせてもらいます、と言った。
後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:07:05
- 三島由紀夫の自刃直後、川端康成はいち早く現場に駆けた。
そして、警察の現場検証の際、中に入ることを許された川端は三島の壮絶な最期の姿を見てしまう。
あとから駆けつけた石原慎太郎は中に入らなかったが、川端が中にいることを警察から聞いた。
その後ノイローゼになっていった川端は
「ああ、ほら、そこに三島君がいる」と奇妙な言動をするようになる。
石原は、川端が三島の断たれた首を見たときの衝撃の深さを知った。
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:07:58
- 三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端康成はふらっと自宅を出て逗子の別荘のへ向かう。
そして、仕事場として使っていた逗子市の逗子マリーナマンション417号室で、ガス管をくわえて自殺しているところを発見される。遺書はなかった。
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:09:38
- ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。
小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチャクチャにしてしまふやうに思はれるのです。
生きてゐる自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。
それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り(原文のまま)にさせていただいてをります。
三島由紀夫
川端康成への書簡から
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 08:30:42
- 川端氏もそんなトラウマを持ってたなんて・・・
小説家ってやっぱり変わり者で天才じゃないとなれないんだな
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 00:46:47
- 川端康成もなにか遺書を遺せばよかったのにね
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:32:57
- 決起当日、市ヶ谷へ向かう5人を乗せた白いコロナが第二京浜から中原街道を行き、首都高速に入ったあたりで、
助手席の三島が言った。
「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが、おれたちは意外に明るいなあ」そしてそれを歌いだし、四人が和した。
古賀は「われわれに辛い気持ちを起こさせないためだ」と感じた。
(古賀被告の検察官調書より)
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:34:33
- 市ヶ谷総監室のバルコニーの演説から帰ってきた三島由紀夫の最後の呟きの言葉
「二十分間くらい話したんだな。あれでは聞こえなかったな。」
それから、益田総監に向かって
「恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。」
(二人の切腹のところは省きます)
益田総監の言葉
「きみたち、おまいりしなさい。」
そして総監は小賀に手を解かれた後に
「私にも冥福を祈らせてくれ。」
と言い、首の前に正座し瞑目合掌した。
知らず識らずに総監の目に涙が溢れてきた。
そして、黙って泣く三人にも
「もっと思い切り泣け。」
と総監は言った。
(現場にいた益田総監、古賀の公判廷での証言から)
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:50:33
- そして、後の三島裁判での益田総監の証言から
「被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
…中略…
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。」
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:51:19
- 三島由紀夫の死後に、幹部が自衛隊員に極秘で行ったアンケートでは、大部分の隊員は三島の考えに共鳴したという事実がある。
事件の翌日には、総監室前に菊の花束が隊員たちにより手向けられた。
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 14:41:01
- へ〜
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 22:58:19
- でも、日本初のノーベル文学賞は川端でよかったね。
川端は日本文学の幹線だけど、三島は途中からずれた。
まさか時代遅れの売国奴小説家大江がとるとは、ぶったまげた。
(次は大江君だと三島は言ったという噂もあるが)
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 12:04:21
- >>41
大江は三島由紀夫が予言したから箔がついてノーベル賞とれたんだよ。
ノーベル賞はもらったくせに、日本の天皇陛下からの賞を拒否した大江の売国、衰退ぶりを三島由紀夫は草場の影から嘆いているだろう。
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 12:49:33
- さあ鯨戦争に備え憲法9条改正だ。
【捕鯨問題】さあ、新政権・労働党は“公約”海軍出動の決断を下すべき時がきた…豪シドニー・モーニング紙
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196694211/
もともとは欧米がさんざん鯨を殺し、脂だけ取り、肉は海に捨て乱獲した結果、鯨が減ったのを日本のせいにし日本の食文化まで滅ぼしたずるい欧米人。
日本は昔から鯨の肉を食べ、他のあらゆる部位もすべて無駄にせず利用し、感謝しながら鯨を大切に捕ってきたのである。
そして今、鯨が増えても日本に圧力をかけ鯨を捕らせないのは、鯨の餌であるサバやアジを減らし、日本の食糧自給率を低下させる米国の日本に対する政治的な意図が裏にあるからである。
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 16:13:43
- ちょっと!「三島〜ぶち込むわよ!」スレにコピP連投してる方、此処でもやってるわ!(笑)
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 02:36:51
- こないだ山中湖にある三島由紀夫博物館行ってきたよ。
入館料300円?ぐらいで安くお得です。
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 21:45:08
- 安いね
観光がてらに行こうかな
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 08:52:22
- >>26
異常に毛深い。
これ当人にはきついもんがあるんだぜ。
あまり語られないけど。
しかも貧弱。
おまけに、並外れたチビなのに、顔の長さはG・馬場並み。ほぼ三頭身。
これで生きていけっていうのは相当酷だろ。
超のつく運動オンチが何で俄然体鍛え出したかって言うと、切腹するための技量を身につける前に、毛だらけの体も筋骨隆々になれば、見栄えがいいものになるだろうという願望からだ。
夏のクソ暑い時に、心おきなく半袖を着てみたかったんだ。
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 12:13:01
- >>47
くだらないジジイの中傷みっともねえぞ
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 17:47:44
- そうそう、確か丸山明宏とダンスした時に「あら三島さん、パッドだらけなのねw」って言われて、
ショックでボディビル始めたんじゃなかったっけ。
そんで『身体を鍛えると精神も云々』と宣うセンセイに、安部譲二が「モテたいだけじゃねぇか!」
って言ったら黙っちゃった、とか読んだことがある。
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 19:29:07
- へ〜
コンプをバネに立派な体にできたんだ
たいしたもんだ
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 22:38:55
- 石原新太郎が三島に会ったときに「思ってたよりずいぶん小さいんですねぇ」
って言ったらしいが、それも本人には相当ショックだったのかも。
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:49:56
- 慎太郎より
背の低いコンプレックスいっぱいの三島由紀夫のほうが好き。
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:54:45
- >>51
そのときから慎太郎は無礼者だったんだな
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:04:24
- おまいらオモシレエ!!
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:09:27
- 自殺する直前に美輪明宏が三島を見て
「後ろに二二六事件の犯人が憑いてるわね」って言って三島は青ざめたらしい。
それから自殺するまで美輪は三島を助けようと連絡とろうとするが
繋がらずにあの事件に至った。
のちに美輪は「二二六事件の悪霊が妨害して三島に連絡できないようにされた」と語った。
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 11:29:33
- ずいぶん美輪の都合のいい言い訳ね
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 22:47:39
- 悪霊と決めつけちゃうとこが浅学なババアだ
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 13:49:27
- 白痴とかはいえないからな
- 59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 16:39:51
- SMAPの中居くんに
貴方の前世はピカソとか言っちゃう美輪
中居が生まれた時、まだピカソは生きてたのに(笑)
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 00:21:30
- 三島由紀夫って英語の発音がイギリス訛りなんだよね
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 01:19:47
- いや、日本なまりだろw
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 09:23:03
- 三島由紀夫は英語よりドイツ語が得意
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 10:47:13
- ヒトラーについて語る三島由紀夫
ところでね、彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど彼が本当は何者だったのか誰も知っちゃいない。
ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュビッツの虐殺者、悪魔...。これがいままでのヒトラーだけど、本当はそれどころじゃない。彼の本当の恐ろしさは別のところにある。
それは彼がある途方もない秘密を知っていたことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を見通す目を持っていて、それを通じてその途方もない未来の秘密に到達しちゃった。
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 11:01:44
- だから五島君、もし君が10年後でも20年後でも、ヒトラーをやる機会があったら、そこのところをよく掘り下げてみることだ。もし君にいくらかでも追求能力があればとんでもないことが見つかるぜ。
本当の人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来...。
なにしろ「我が闘争」の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことをずばり見通して書いているくらいだから。まだ30代かそこらで、やつはそれは鋭い洞察力を持っていたことになる。
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 22:54:05
- ドイツ語もしゃべれたなんて知らなかった
- 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 23:48:57
- >>65
ドナルド・キーンがドイツで講演したときに、おじいさんが立ち上がって
「私は平岡公威くん(三島の本名)の先生だった(ドイツ語の)、平岡くんが一番だった」とキーンに言ったそうだ。
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 23:53:04
- 三島氏は実はまだ生きている
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 16:28:53
- 三島由紀夫は復活するんでしょ?
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:21:23
- ロシア革命が実は莫大な量のニューヨーク・ウォール街ユダヤ国際金融資本の援助を受けたユダヤ人共産革命家による、ロシア人民皆殺し、ロシア民族根絶やし運動だったのは、
日本の四天王延孝陸軍中将や久保田栄吉(ロシア革命の惨状を現場で見た人物)など一部先覚者はすでに大正から昭和前期に指摘し暴露している
米英の世界戦略を危惧していた三島由紀夫もおそらく知っていた
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 18:06:32
- さすが世界の三島由紀夫
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 16:22:54
- 日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてゐなければならなかった。
もっともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかったのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。
三島由紀夫
遺言状
「楯の会会員たりし諸君へ」から
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 20:54:25
- 人間が幸せだったら、別に日本が滅んだっていいよ。
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 22:08:05
- >>72
そんな寝ぼけたこと言ってられるのも日本という国に住んでいられるおかげ
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 23:27:16
- 本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。
ドナルド・キーン
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 00:39:37
- 日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。
これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。
モルデカイ・モーゼ
「日本人に謝りたい」より
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 06:12:55
- >>71
で、縦の会の人はその後何かしたの?
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 08:18:11
- 何かする必要ないじゃん
日本人として日々、誠実に生きて、社会に貢献すれば
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:02:11
- >>73
なんか、石原もそうだけど、日本、日本って宗教か、ママのオッパイに
すがりついているみてるだ。日本は国にこだわりすぎなんだよ。
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:16:59
- どっちゃにせよ。少子化は、日本の国が内部崩壊しはじめていることを意味する。
- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:44:38
- もう徴兵制度を復活するしかないな
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 13:54:27
- そんなことしたらもっと子供減ると思う。
国に未来が見えないのに、未来の実体たる子供を作っても意味がないからな。
- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 14:38:37
- 戦争になると出産数は増えるけどね
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 14:47:19
- >>78
他の国の人間のが愛国者が多い
アメリカは世界をアメリカにしようとしているだろ
他の世界の民族の自己主張に比べたら今の日本は愛国心がなさすぎ
日本人に愛国心は悪だと、洗脳教育したのは誰か考えてみる必要がある
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 16:26:36
- >>83
誰よ?
- 85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 18:32:52
- 日本人も国は愛しているよ。でも、国家としてのカッコつき「日本」は
日本人でもキライな人がたくさんいるってことじゃないかな。なんか
「日本」というものと日本がずれていて、胸が張れないんだな。
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 18:35:43
- >>84
日本人に誰かが「愛国心は悪だ」なんて教えたんじゃなくて、
ただ、「日本」の統治システムが、不透明で隠蔽されたことばかりなので、
どこか胡散臭くて、騙されているようで多くの国民は無条件に「賛成」ってすぐ手が
あげられない状態なんだと思う。
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 22:14:24
- >>86
そんなもんどこの国でも不透明だろ
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 22:20:36
- 日本は朝鮮マフィアとユダヤ資本に統治されています
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:01:08
- 先進国はもっと国民が国家をコントロール下においてるという認識が強いよ。
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:02:09
- 税金の使われ方とか取られ方とか無茶苦茶、気にするからな。外国人は。
税金を会社が天引きするなんてやってるの日本だけ。
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:05:06
- 国民と国家って別のものじゃないだろwww
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 00:10:06
- 税金のグチは他板でやれや
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 22:39:31
- なんで政治の話してんだw
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 01:13:21
- >>36->>39
三島由紀夫に同調して辞職した自衛隊の高級官僚もいるぞ
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 01:15:15
- >>36-39
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 11:27:12
- 昭和2年
芥川龍之介
「ぼんやりとした不安」という言葉を遺し、自殺。
昭和23年
太宰治
「日本の文化がさらにまた一つ堕落しそうな気配を見たのだ」
「こんな具合じゃ仕様がない。(中略)戦争時代がまだよかったなんて事になると、みじめなものだ。」
「私はこの時流にもまたついて行けない。」
という言葉を遺し、入水自殺。
昭和45年
三島由紀夫
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
という言葉を遺し、割腹自殺。
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 23:08:01
- >>96
芥川氏と太宰氏はドッベルゲンガ−になって自殺したんじゃなかったっけ?
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 01:20:08
- 芥川はドッペルゲンガーを見たんだよ
三島の自決の後は
後追い自殺者がたくさんいたそうだ
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 03:02:54
- 作家はドMな件
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 12:37:43
- 山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。
そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。
杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 12:38:57
- ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。
杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 22:40:11
- 天才は普通の人とは違う思考回路してるね。
でもよく考えてみたらそっちのほうが普通なのかも。
- 103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 22:43:24
- 三島はM男
- 104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 21:37:08
- たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。
エドワード・サイデンステッカー
- 105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 21:39:26
- 三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。
エドワード・サイデンステッカー
- 106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 13:42:13
- 日本は既に滅んでるから。
いまさら三島を持ち出してもしかたないのにねw
- 107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 16:29:18
- 在日朝鮮人、中国人には滅んでほしい願望でそう見えるんだろうな
- 108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 22:30:52
- 三島由紀夫を政治だけで語るのは浅はかだよ。
右がかった思考以外の部分の三島由紀夫を語るスレであってほしいな。
- 109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 23:56:07
- 右とか関係ない十分政治以外が語られてるじゃん
気に食わないとみんな政治に見えるとは変なやつ
- 110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 15:29:46
- 三島=右翼だってイメージが根強いってことを言いたかったんだろ
- 111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 16:34:08
- ハラキリにおいて死は消滅する。死という人間的諸条件を、ある人間の意志が、自由に否定する行為であるからだ。
ハラキリにおいては、より高き倫理価値が自己に対する超越のかたちによって、死に対する克服のかたちによって肯定されているからである。
三島にとっては死は行動として一つの強烈な現実性を持っていた。日本の偉大な伝統と、儀式とによる死。
それでも異常なことだが、西欧ではローマ人的なこの死とロマンティックな自殺とを、混同するに至っている。
西欧のロマン主義者は、決してこのような方法では自殺しなかった。どのような文明も、死を祭儀的行為として提議してはいないのである。
ある意味では日本の武士道精神がそれを提議した。
アンドレ・マルロオ
- 112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 20:14:51
- 「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの私の主観的ドキュメンタリー作品である。
そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれた。
だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が登場するが、
そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。
細江英公
- 113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 20:15:45
- 三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の責任として、きちんと後世に伝えておかなければならない。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。
であるから、私がまず強調しておきたいのは、事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、実にもって愚劣なことであるということである。
細江英公
- 114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 22:31:10
- 三島由紀夫が死ぬ前に赤いバラの花束を持ってきてくれたという何の証拠もない美輪明宏の自慢話は誇張か嘘話
- 115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 23:54:48
- >>112
へ〜〜
- 116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 06:10:35
- >>114
花屋のレシート記録は財布にないのか?
- 117 :可愛い奥様:2007/12/29(土) 11:38:37
- >>114
楽屋に200本ぐらいのバラを抱えてやってきて、「もう来ないから」と言うので
何で?って美輪さんが聞いたら「もう、きれいだったよとか心にもない
お世辞をいいたくないからなあ」と憎まれ口をたたいてたって話は、
誇張か嘘話なの?ありそうな話だと思ったんだけど。
- 118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 17:36:29
- 霊感があるくせに、なぜそこで三島由紀夫が死のうとしていることに気づかなかったのかが不自然
- 119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 17:44:16
- 三島っておかまだったんでしょ
- 120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 11:16:17
- >>118
霊が邪魔して、連絡が取れなかったらしいです。
>>119
いや、人間だれしも、心を許しあえると仲良くなる。
和気藹々と話をしていると深夜になる時もあるよね。
深夜に二人で過ごした。⇒それが誤解の元になる。だけかもよ。
- 121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 12:33:33
- >>119
おかまはおかまを好きにならないから、おかまではない
- 122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:28:53
- >>120
悪霊のせいだね
- 123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 23:30:01
- ●テレビ朝日新春ドラマ『鹿鳴館』放送
影山伯爵役:田村正和、伯爵夫人の朝子役:黒木瞳
1月5日 21:00〜
- 124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 00:00:59
- >>119
おかまは女装する男
- 125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 13:44:38
- 天使のふりした悪霊は美輪
- 126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 14:15:32
- (三島は)物差しやハタキのような長いものを持ってこれをこれを振り回すのがとても好きでした。……やがて危ないというので、母(三島の祖母、夏子)に没収されてしまいました。
公威はこんなときでも、決して反抗はいたさず、だまって素直に従ってくれて、かえって可哀想になりました。
平岡倭文重
(三島由紀夫の母)
- 127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 17:04:54
- 三島由紀夫
「僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。」
武田泰淳
「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。」
三島
「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。」
武田
「それはやっぱり、強気でいてもらわないと…」
三島
「そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。(略)」
私は三島さんを懸命にナダめにナダめる武田氏に、つよい共感で(感傷的にも)涙ぐみたくなる。
しかし同時に、三島さんがもの書きとしての恥部をここまで口にする激しい自己意識に心をうたれずにいられない。
それはまたそっくり三島さんの社会への批判でもある。
田久保英夫
- 128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 17:07:32
- 左翼人の私も右翼人の三島の「行動」には、かなり衝撃を受けたことも事実なのであって、これを匿す気にはならないからである。
そして衝撃を受けなかった人はどんな人なのかと思ったりもするのだが、「行動」といい「芸術」といっても、所詮人間はおなじなのかも知れない。
しかも三島と私とはイデオロギーが全くちがっているのに、どこか類似性、相似性があるような気がして、それが私自身気になるのである。
三島由紀夫こそはあきらかに、永井荷風や谷崎潤一郎やあるいは川端康成の耽美主義の系譜とその路線に沿いながら、しかし明確な知性をもって、またその美的知性の故に、
その路線の最終駅に到着しながら、それをなんらかの形で社会的行動におきかえようとした努力家であり勇気ある誠実者ではなかったのだろうか。
山岸外史
- 129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 12:23:05
- 今夜9時から三島由紀夫原作、鹿鳴館
- 130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:12:38
- 田村まさかずがいい味出してたw
- 131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:54:35
- 猿岩石の有吉が撮影スタッフに暴言騒動
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1199544665/
- 132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 17:16:31
- 【新春】鹿鳴館【テレ朝開局50周年】
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1199000539/
- 133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 01:21:07
- >>128
へ〜
- 134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 11:23:17
- 自決後、司法解剖したら三島の肛門内から何人か分
の精液があったというのは本当ですか?
- 135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 12:18:53
- 全くの嘘です
- 136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 14:27:23
- よく三島由紀夫の死体から森田必勝の精子がうんぬんと、まことしやかな噂話が流布されたが、その場にいた当事者の証言からほぼ死因が特定されているこの事件の場合、肛門内まで調べる訳ないし、
決起前夜、楯の会のメンバーと三島の5人は、パレスホテルで総監拘束の演習や、辞世の句などを書いた後、午後4時チェックアウトし、
新橋駅の烏森口近くの料亭末げんで生死決別の宴を張り、静かに食事をしてそこを去った後、各々自宅へ戻っている。
- 137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 14:28:44
- つづき
森田必勝は新宿の下宿、小林荘に帰り、新宿西口公園近くのお茶漬け屋で夜食をとった後、
新宿の深夜バーでレジをしていた女友達を電話で呼び出し会い、下宿には午前1時半に戻っている。
三島由紀夫も、自宅へ帰り、午後10時には同じ敷地内の両親に、最後の別れのために会いに行っている。
朝は8時に起き、コップ一杯の水を飲み干した。そして、新潮社の小島さんに手渡すはずだった原稿(豊饒の海)をお手伝いさんに託し、市ヶ谷に向かうため出かけている。
これらは、店の人、友人、三島由紀夫の家族、お手伝いさん、時間に遅れた小島さんの証言により、確定していることである。
- 138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 00:05:09
- 料亭 末げんには
三島由紀夫最後の晩餐メニューというのがあるよ
- 139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 22:26:33
- 趣味悪ィ
- 140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 23:44:32
- http://mobile.gnavi.co.jp/search/shop.php?gShopID=g404300&gDistrict=
「わ」コースが三島由紀夫が食べたメニュー
- 141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:41:10
- たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという根拠にはなりえない。
また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。
それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。
三島氏の文学と思想を貫くもの、それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。
磯田光一
- 142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:41:52
- 三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、徹底した復讐をすることであったと思われる。
イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。
この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能以外の何が心を惹いたであろうか。
磯田光一
- 143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:42:42
- ぼくにとっていまでも驚異に思われるのは、三島というひとが、あんなに明敏かつ冷徹な批評家的、懐疑家的な眼と、あんなに度の高い情熱とを、どうして併有することができたか、ということである。
情熱家は、世のなかに少なくはないだろう。しかしあのような最期をとげ得るほどの人物が、ほかにどれだけあるか。
また冷静な合理主義者の数は、多いだろうが、死の最後の瞬間まであれほど冷徹に計算し、実行し得るひとは、稀だろうと思う。
しかも驚くべきことに三島氏はその両者をわが身に併存させていたのだった。
村松剛
- 144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 20:26:04
- 三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。
罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。
しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。
楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。
呉智英
- 145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 16:54:33
- 淀川長治「三島さんは首から下は北海の荒海の漁師だけれど、首から上は明治美人ですね」
三島由紀夫「それは僕の顔が馬面だと言ってるんでしょう(笑)明治美人というのは面長のことをいうんだから」
私みたいな者にでも気軽に話しかけてくださる。自由に冗談を言いあえる。数少ない本物の人間ですね。
もっともっとよい本をいっぱい書いてほしいですね。
あの人の持っている赤ちゃん精神。これが多くの人たちに三島さんが愛される最大の理由でしょうね。
淀川長治
- 146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 18:01:37
- 三島は「人斬り」(五社監督)に田中新兵衛役で出演している
史実通りに切腹自害する
主人公の岡田以蔵に勝新太郎
チョイ役だが坂本竜馬の石原裕次郎は明らかにミスキャスト
- 147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 00:37:12
- 三島由紀夫は、幕臣の永井尚志の孫の孫
- 148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 11:23:04
- 介錯に使われた刀は、ご存知のように「関の孫六」でした。書店の御主人の舩坂弘さんから寄贈されたものです。
そのため、舩坂さんは警察に呼ばれたわけですが、そのときもう一度実物を見せてもらったところ、奇妙なことに柄のところが金槌でめちゃくちゃにつぶされていて、二度と抜けないようになっていたそうです。
これはいったい、何のためなのか警察でも見当がつかなかったようです。ところが、その後の調べで、倅の周到な処置であることが判りました。
平岡梓
- 149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 11:25:36
- というのは、こういうことです。倅は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許されない、ましてや森田必勝君には意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。
しかし、森田君はどうしても承知せず、結局、あんなお気の毒な結果になってしまったのです。
そして、森田君の希望により倅の介錯は彼にたのむ手筈になったものの、かねてから介錯のやり方を研究していた倅の眼から見ると、森田君の剣道の技倆はおぼつかないと見てとったのでしょう。
かんじんのとき、万一にも柄が抜けることのないよう、ああした処置をして彼に手渡したのだそうです。まことに用意周到をきわめたものです。
自分自身が割腹に使用したのは、かねて用意の鎧通しでした。
平岡梓
- 150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 14:51:09
- 床に転がる三島由紀夫の首は雄弁だった。言葉そのものであるような首だった。
その限りなく音楽的な言葉はオルゴールの音のように美しく、彼が生きた時代に投げかける呪いとなっていた。呪いにかけられた坊やはここにいる。
島田雅彦
- 151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 15:38:38
- 公威は幼少のころから日本古来のしきたり、行事というようなものがとても好きで、またこれらを大事にいたしました。
母の躾けのせいもありましたろうが、神社の前などに参りますと、どんな小さな祠でも何びとの指図も受けず、自らすすんで必ず丁寧に参拝し、お辞儀をしないで通りすぎるというようなことはありませんでした。
平岡倭文重
- 152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 15:39:28
- これは子供の時代ばかりでなく、ずっと大人になってからも続きました。
毎年の豆撒きの時など、先頭に立ち、孫達はすぐ飽きてしまって逃げ出すのですが、公威は一人になっても物凄い大きな声で、「鬼は外、福は内」とどなりながら豆を撒き、
それから家族中に各自の年より一つ多い数の豆をひろわせて十円玉と一緒に包ませ、自分みずから近所の四つ角まで持って参り、帰りには掟な従い決して振り返らないという調子で、これには親の私もついていけなかったものです。
この念には念の入った信心振りは死ぬまでやめませんでした。
平岡倭文重
- 153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 17:03:28
- いつも書いてる人お疲れ
- 154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 11:29:15
- 僕は詩人だ。一皮剥けば俗人だ。もう一皮剥けば詩人だ。もう一皮剥けば俗人だ。もう一皮剥けば詩人だ。
ぼくはどこまで剥いても芯のない玉葱だ。
三島由紀夫
- 155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 16:06:25
- 金閣寺は素晴らしい
- 156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 22:38:57
- 保守
- 157 :三島由紀夫:2008/02/11(月) 20:56:52
- 自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。
日本を守ること。
日本を守るとはなんだ。
日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。
おまえら聞け。聞け!
静かにせい。静かにせい!
静粛に聞け!
男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ!
いいか!
いいか!
それがだ、いま、日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなければ、憲法改正というものがないんだよ。
諸君は永久にだね、ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ!
- 158 :三島由紀夫:2008/02/11(月) 20:58:18
- 諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法をだね、自らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これがある限り、諸君というものは、永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだ。
自衛隊は違憲なんだ。
貴様たちは違憲なんだ。
憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ。
どうして、そこのところに気がつかんのだ。
俺は、諸君がそれを完全に断つ日を、待ちに待っていたんだ。
諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに固まって、片足突っ込んで、本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。
憲法のために、日本の骨なしにした憲法に従ってきた、ということを知らないんだ。
- 159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 14:46:42
- 三島由紀夫「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」
伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。
保田さんは立派な日本人であり文豪です。」
三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」
当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。
伊沢甲子麿
- 160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 14:47:50
- 三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。
伊沢甲子麿
- 161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 16:21:37
- 俺、三島にケツの穴ほられた。
- 162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 22:45:02
- はいはい
- 163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 20:13:27
- あげ
- 164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 23:30:40
- 「黒蜥蜴」の剥製にされた筋肉男の役の三島由紀夫の顔がハンサムでかっこいいよ
- 165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 22:42:47
- 目がセクシー
- 166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 11:01:22
- 戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及び文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。
保田与重郎
- 167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:58:30
- 私が三島由紀夫氏を初めて知ったのは、彼が学習院中等部の上級生の時だった。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となってからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話していると、彼の呼吸が目に顕ったので、不思議なことに思った。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷っているのでもない。長い間不思議に思っていたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知っている者が、彼は喘息だったからではないかと云った。
私はこの齢稚い天才児を、もっと不思議の観念で見ていたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思い、やはり別の印象を残している。
保田与重郎
- 168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:59:08
- 劇場への招待「朱雀家の滅亡」
・NHK教育
・2008年 2月22日(金)22:25〜翌0:55
・原作:三島由紀夫
・演出:宮田慶子
・出演:佐久間良子・窪塚俊介・中嶋しゅう・森田彩華・中山仁
- 169 :以下、名無しに代わってVIPがお送りします。。。:2008/02/23(土) 09:23:27
- 三島がホモだと聞いてVIPからすっ飛んできますた!!!
- 170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 10:21:05
- あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。
ドナルド・キーン
- 171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 12:45:25
- 三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。
短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して彼らを裏切った天皇を激しく責める。
天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。
もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。
しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。
ドナルド・キーン
- 172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 12:46:22
- 三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。
より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の経験が保管された唯一無二の宝庫である。
天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。
彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。
ドナルド・キーン
- 173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 02:32:23
- ↑くだらねぇ内容の連投キモいんだよバカ三島ヲタが!
- 174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 10:52:36
- 自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。
むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。
なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。
安部公房
- 175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:01:51
- 神経質そうな感じだな
- 176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 16:11:59
- 金閣寺は、この作品において美の象徴であり、しかも戦火によっていつ焼亡するかもしれないという時期、凄まじいまでの美をあらわしている存在である。
主人公は、その終末の予感に陶酔しつつ、金閣寺=美との共生にいいがたい浄福を感じている。
…敗戦の日、金閣寺と主人公の共生は断たれる。金閣寺は、あの失われた恩寵の時間を凝縮して、永遠の呪詛のような美に化生する。
主人公は美の此岸にとりのこされ、もはや何ごととも共生することができない。
橋川文三
- 177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 16:13:16
- ―この辺りには、戦中から戦後へかけての青年の絶望と孤独の姿が、比類ない正確さで描き出されており、
金閣=美を戦中の耽美的ナルシシズムにおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣の幻影が、青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。
そこから、金閣寺を焼かねばならないという決意の誕生もまた、戦後の三島の精神史にあらわれた「裏がえしの自殺」の決意にほかならないことも明らかになるであろう。
こうして、この作品は、実際の事件に仮託しながら、三島の美に対する壮大な観念的告白を集大成したような観を呈しており、美の亡びと芸術家の誕生とを、厳密な内的法則性の支配する作品の中に、みごとに定着している。
「仮面の告白」に遙かに呼応する記念碑的な作品である。
橋川文三
- 178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:46:10
- たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の後には水晶のような透明な誠があつた。
翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は飛んだ。
彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫
- 179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:47:06
- 私にはわからない。自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばないといふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になつたのだよ。
彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫
- 180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:47:41
- 「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。
マルグリット・ユルスナール
- 181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:48:15
- 勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。
マルグリット・ユルスナール
- 182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 11:51:11
- 若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。
すなわち決して大衆社会へ巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。
三島由紀夫
- 183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 11:53:01
- 日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。
保田與重郎
- 184 :三島由紀夫:2008/03/06(木) 14:19:39
- 日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
- 185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 00:27:09
- カミカゼ…
- 186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 08:00:09
- 由紀夫やっぱりモーホー?
- 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:06:35
- ホモっ気のない男はいない
- 188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 16:32:51
- 私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。
橋川文三
- 189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 10:59:07
- それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。
平岡公威16歳
東文彦への書簡から
ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。
モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?)
平岡公威16歳
東文彦への書簡から
- 190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 11:00:05
- 「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。
近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、
なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。
我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。
平岡公威18歳
東文彦への書簡から
- 191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 11:00:43
- いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。
しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。
平岡公威18歳
東文彦への書簡から
- 192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 11:02:00
- 文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、
愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。
かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。
米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。
平岡公威18歳
東文彦への書簡から
- 193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 18:01:17
- 福島次郎氏の写真が見たいけどネットでも見つからないな
- 194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 13:57:51
- 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に松任谷由実がいますが、
彼女は中学時代から文化人が多くたむろしていたイタリアン・レストラン「キャンティ」に毎日のように出入りしていて、そこには三島や安部公房などもいました。
ユーミンの淡い初恋が三島だったとも言われ、ユーミンの楽曲の詩の諸処に表れている、三島文学からのインスパイア(生まれ変わってもあなたを見つける)や
三島的なものへの思慕(いつでも強がるあなたが好き…)、三島へのレクイエム(ひこうき雲、卒業写真)等は一部で指摘されています。
また、価値相対主義の社会にはエロティシズムはないと極限し、反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、とという認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのはあり得ない、と主張した三島と、
恋愛対象者を絶対者として、宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とするユーミンの恋愛世界には、明らかに共通した思考がみられます。
- 195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:45:19
- 国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、
やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、
トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、――まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から
- 196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:45:53
- 国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。
主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から
- 197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:46:50
- 今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から
- 198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 11:59:56
- 僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。
僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。
保田與重郎
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。
保田與重郎
- 199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 12:00:40
- 総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。
保田與重郎
- 200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 13:04:45
- 200ゲット
- 201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 13:23:11
- 三島由紀夫が中国へ抗議声明を出した文化大革命について
文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動。
プロレタリア文化大革命ともいう。はじめ毛沢東指示のもと林彪が主導、劉少奇からの政権奪権が目的であり、その死後は四人組に率いられて
毛沢東思想に基く独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な武力を伴う権力闘争であり、
指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者、などの知識人等が弾圧の対象となった。
しかしその後、弾圧の対象は中国共産党員も弾圧の対象となり、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の死亡者、行方不明者の数は
数百万人とも数千万人とも言われ、事実上の自国民のホロコースト状態であったと言っても過言ではない。
またこの革命の芽はカンボジア内戦へ飛び火し、クメールルージュの自国民の大量虐殺と密接な関係がある。
当時の抗議声明文が載ってるサイト
http://dogma.at.webry.info
- 202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 14:16:34
- 三島由起夫 動画集
@http://jp.youtube.com/watch?v=JbWQNnHC5sY
Ahttp://jp.youtube.com/watch?v=BxATC1M2zCw
Bhttp://jp.youtube.com/watch?v=w8oQY9B29Eo
Chttp://jp.youtube.com/watch?v=KkIclt8TwrQ
Dhttp://jp.youtube.com/watch?v=0z6Py9p3pa0
Ehttp://jp.youtube.com/watch?v=a26BvGVo0yY
Fhttp://jp.youtube.com/watch?v=3RFMZZkIh_M
Ghttp://jp.youtube.com/watch?v=aGRlk0zctXA
Hhttp://jp.youtube.com/watch?v=fomgPXhspoQ
- 203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 18:17:52
- 三島の人生と小説
どっちに興味がある?
- 204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 15:28:15
- >>203
どっちかというと、人生かな
- 205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 16:52:59
- アッー
- 206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 16:53:00
- 国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり
保田與重郎
昭和45年11月某日
- 207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 16:53:25
- わがこころ
なおもすべなし
をさな貌
まなかひに顕つを
いかにかもせむ
夜半すぎて
雨はひさめに
ふりしきり
み祖の神の
すさび泣くがに
保田與重郎
昭和45年11月某日
- 208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 01:30:56
- 一流の社交家でもあった三島
11PMにも出演してる
っhttp://jp.youtube.com/watch?v=12B9sBVofgI
- 209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 10:52:58
- へ〜
- 210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 02:16:22
- 三島由紀夫は部落民の血統だと聞いたことがあるけど
どうやら事実らしいな。
- 211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 10:15:10
- >>210
そんな事実は全くありません
- 212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 10:58:54
- フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊饒の海」から作品の構想を膨らませています。
各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島からの影響が指摘されています。
また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は三島の造形であるといわれています。
- 213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 10:59:52
- 「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」とコッポラは言っていますが、
これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと重なっています。
三島も著書のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。
- 214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:04:49
- 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、
コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。
「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、と予定していたようです。
その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現はできませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。
「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も映画化したかった旨を語っていたようです。
- 215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:08:07
- ウィキペディアに「三島は非人の家系だ」
と書いてあったのを読んだ憶えがあるぞ。
- 216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:08:10
- >>211 正田美智子(後の皇后)とお見合いしてるからね ありえない
- 217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 16:06:33
- >>215
書いてないよ
私が持っている本には、三島由紀夫の祖父の父親、平岡太吉は裕福な地主兼農家とあるよ
それより前も塩物屋や農家です
結婚するときに杉山家が三島の家系を調査してます
- 218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 15:36:53
- >>216
断ったの?
- 219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 11:49:39
- 三島は花嫁の条件に、自分の仕事に口出ししない女性で、文学に興味のない人を希望していたらしい
美智子さんは文学に興味があり、詩を書く趣味もあったため、三島から断ったのではないかという推測者の方が多いようです
真偽はわかりませんが
- 220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 03:21:26
- ミッチーはゲイと結婚したくなかっただけサッ!
- 221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 03:36:25
- たけしには無理な気がする
- 222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 03:47:44
- 三島由紀夫の尊属に慥かに非人の血縁者が居たと
書かれていたぞ。
穢多では無かったかも知れないがな。
- 223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 17:30:10
- ↑
三島由紀夫のことが嫌いな共産党工作員の作り話だよ
- 224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:06:30
- 三島由紀夫の娘の紀子さんと、皇太子の浩宮さまは学習院で同級生だったらしいよ
結婚してたら面白かったのにね
- 225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:14:44
- 実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
- 226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:15:44
- 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けた。
そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。
ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。
川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような言動をするようになってゆく。
- 227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:16:38
- 三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていた。
そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。
水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。
机には太宰治の本があったともいわれている。
- 228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:23:06
- 私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。
川端康成
- 229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 16:40:06
- コピペ職人よ、
この文章どっから拾って来てるんだ?
本で出てるなら買う
- 230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 13:24:30
- >>225-227は、ドナルド・キーンや石原慎太郎のエッセイ、ネットで見た川端自殺の情報などを元にして、綴って書きました
>>228の川端の言葉は有名だから結構、さまざまな三島関連本に載っていますよ
ヘンリー・スコット・ストークスとか橋川文三とか、他にもあると思う
- 231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:31:18
- 三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。
「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。
川端康成
- 232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:39:05
- 彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
三谷信
- 233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:39:46
- …初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。
三谷信
- 234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 05:25:14
- 三島には才能のかけらもない
ケータイ小説の産みの親 Yoshi
- 235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 16:36:08
- ikuzo-?
- 236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 03:52:43
- >>234
むだな抵抗
- 237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 15:58:38
- Yoshi乙
- 238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 16:07:13
- ドナルド・キーンが自死直前の三島から聞いた奇談
学習院の制服を着た少年がどうしても、と三島に面会を求めてきた。
三島は数分だけ、と約束させた上で自宅門前まで出た。
少年は三島に「先生はいつ死ぬのですか?」と問うた。
三島は驚き、言葉を返すことができなかった。
その少年とは清顕だったのだろうか。
- 239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 12:34:08
- >>238
ドッペルゲンガー、過去の自分だったんじゃないかな
- 240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 15:33:06
- いつ死ぬのですか・・・(涙
世間から、好奇な目で見られてると感じたのかな。
自分を見たのだとしたら、映像美として残したい一瞬だ。
耽美すぎる・・・
- 241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 15:50:29
- >>55
死人に口なし
女装爺の言いたい放題
なにを神秘ぶってんだよ
美輪ぐらい三島でやらずぶったくりを続けてるヤツはいない
ペ転&鷺師
- 242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 22:59:09
- 学習院の高等部在学中の三島のノートに
「松ケ枝に降る春の雪」という文章が書かれていたのが見つかった。
春の雪の構想は高校生の頃から持っていたとしたら驚きだ。
- 243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 00:19:57
- 美輪さんは三島を好きだに100モリタポ。
- 244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:00:51
- 彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
三谷信
- 245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:01:21
- 世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。
三谷信
- 246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:01:50
- 彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
三谷信
- 247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 11:02:20
- 彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。
三谷信
- 248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 13:22:51
- 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。
「死と夜と血」
俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時
夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ
死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと
俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ
ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。
- 249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 13:23:28
- 78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。
- 250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 15:11:35
- 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、
彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。
ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。
- 251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 12:21:44
- 三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。
- 252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 17:09:17
- へ〜
- 253 :山田の塩:2008/05/04(日) 23:28:28
- 日清カップヌードルが食べたいのに高くて無理
まるちゃんのレッドフォックスとグリーンたぬ公は食べ飽きたので
日清はそろそろ元の値段に戻して下さい。
- 254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 23:51:17
- 産湯の話はこの人か?
- 255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 10:46:55
- 彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
三谷信
- 256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 11:17:48
- ジャンジャックあげ
- 257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 23:37:05
- 三島「君はとっても優秀な人間だが5%の欠点が君をダメにしているよ」
美輪「5%の、欠点って?」
三島「俺に惚れないことだ・・・」
- 258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 12:59:08
- すごいな三島
どんだけ自分をいい男だと思って高い位置においてるんだ?
文筆家としては超一流だが、容姿はそれほどでもないのにな
- 259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 13:40:09
- そういう意味じゃないでしょ
- 260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 14:04:47
- じゃ、どういう意味よ
悪いが教えてくれないかねえ
- 261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 20:20:10
- 美輪のデマ
- 262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 21:57:19
- 三島が美輪様に惚の字だったんだよ。
美輪様によると。
- 263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:47:39
- >>260
三島由紀夫は、有名作家の自分にすぐになびかない美輪に、ほめ言葉として欠点と言ったんだと思うよ
別に自分の容姿にうぬぼれて言ったわけじゃないでしょ
- 264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:05:57
- >>258
いや、個人的には三島は男としてはかなりいいと思うよ
今と男の価値観が違って昔は、三島や三船や加山雄三みたいなのがいいとされたんだよ
- 265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:43:31
- 「男として」という定義も甚だ曖昧だと思うけど
仕事が出来る+態度が確固としているという点では
いい男の部類に入るとは思うよ
だが、甘えるにしてものぼせるにしても
好きな人間を夢中にさせるにはいかんせん容姿が足らん
あれだけ美を追求した三島のこと
それくらいはよく分かっていただろうに
しかし、褒め言葉として欠点と言ったのなら
かなりややこしい人間だな
- 266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 11:35:36
- ややこしいというより、お洒落な会話にみえるよ
作家だから、わざと反語を使ってユーモアで、気を惹こうとしたんでしょう
- 267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 14:29:25
- 文章表現ならいざしらず、お世辞にもお洒落な会話ではないだろうに
聞かされた方はどうしたらいいんだ?って思うだけだよ
三島は対人関係がへたくそだったんだろうな
- 268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 16:18:41
- 三島由紀夫の、会話上手は有名です。
- 269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:07:07
- 有名であろうがなかろうが、少なくとも三輪の件では下手
- 270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:23:15
- >>269
田舎者には、そう見えるんだ
- 271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:51:24
- あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ。
「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。
少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。
普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。
それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。
美輪明宏
- 272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 23:56:35
- >>270
そういう紋きりの逃げは恥ずかしいな
世界中たいていの場所へ住める昨今
日本に限定して田舎も都会もない
三島の文章と心理描写と実際の態度は一流だ
しかし三輪とのその会話はいただけない
それだけだよ
- 273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 10:37:31
- あんたが下手だと思っても、美輪にとっては下手じゃないんだよ
あの会話を美輪は自慢げに、人に語っているんだしね
- 274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 16:19:40
- 三島由紀夫「空飛ぶ円盤信じますか。」
江戸川乱歩「ぼくは確証をうるまで信じない方です。心霊現象なんかでもおなじですね。」
三島「ぼくは絶対に信じる。」
芥川比呂志「この間『朝日ジュニア』からアンケートが来たけれども、人工衛星がまわっている世界だから、空飛ぶ円盤だってありそうな気がする。」
江戸川「そういう比論では信じられない。現実に確かめなくては。」
三島「ぼくは頭から信じちゃう。そして、ぼくはお化けはきっといると思うの。(笑)」
山村正夫「心霊実験も信じますか。」
三島「信じますね。」
- 275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 21:08:33
- http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html
檄文 三島由紀夫
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html
演説文 三島由紀夫
- 276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 21:02:15
- 三島邸って大森からだとどうやって行けばいい?
- 277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 22:02:33
- >>276
住所は大田区南馬込4丁目32ー8みたいだよ。
ところで三島邸ってまだあるの?
- 278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:31:39
- 人権擁護法案が通ると、在日、朝鮮総連が三島由紀夫の文化防衛論を発禁にするおそれ。
67:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:11:01
三島由紀夫も発禁だな
よろこんで在チョンとかが申請しそうだ
んじゃなくても『文化防衛論』とか事実上の発禁だし
74:吾輩は名無しである 2008/05/29(木) 16:59:26 [age]
>>67
三島由紀夫の「文化防衛論」は、絶版にされちゃうだろうね。
三島由紀夫は、朝鮮人問題(韓国人じゃないよ)の欺瞞、日本に北朝鮮学校をつくり都知事の許可を得て、反日教育をほどこす北朝鮮人の欺瞞、民族疎外を革命に利用する欺瞞と偽善について述べているからね。
昔から見抜いて警告していた三島由紀夫はすごい。
- 279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:33:45
- 人権擁護法案、外国人参政権、反対
http://tk01050.blog27.fc2.com/blog-entry-25.html
- 280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 02:08:44
- >>277
ありがとうございます
表札だけでもおがんでみたくて
- 281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 16:24:08
- 三島由紀夫原作:鹿鳴館
6月6日〜29日 新橋演舞場にて公演
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/0806/index.html
- 282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 18:26:21
- 三島由紀夫の子孫がDAIGOってこと?
- 283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 14:58:48
- >>282
遠い親戚なんじゃないの?
- 284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 15:05:12
- >>257
これは女を口説くときに使えそうなセリフだね
- 285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 18:15:28
- ウホッ使える
- 286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:30:55
- 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
- 287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:31:46
- 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
- 288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:32:18
- 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
- 289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:35:37
- 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より
- 290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:40:47
- 明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。
三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より
- 291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:41:26
- あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。
三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より
- 292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 18:20:45
- アツイね
- 293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 12:32:57
- われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、そういうことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。
三島由紀夫
「英霊の声」より
- 294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 12:33:27
- われらには、死んですべてがわかった。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。
われらはすべてを言う資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。
三島由紀夫
「英霊の声」より
- 295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 23:54:02
- 三島さんの文学には倫理や道徳を侵すことをテーマにした作品が多いことはよく知られています。
その一方で、楯の会の制服を私の会社に注文した時の生真面目な態度にも表れているように、現実の行動においては極めて倫理的、道徳的であったことも、三島さんをよく知る人々の間では、つとに知られていました。
辻井喬
- 296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 23:58:59
- 飲み会では三島はすぐ帰ってたらしいね
- 297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 10:52:39
- 毎日規則正しく時間を決めて、夜から朝にかけて書斎で執筆してたそうです。
- 298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 11:01:59
- とある銀座のバーで。
石原慎太郎「三島由紀夫を殺したのはお前だ!」
美輪明宏「そうよ、三島さんを殺したのは私よ。今度はお前を殺してやる!」
石原「何言ってんだい……ブツブツ」
石原すごすご逃げてゆく…
- 299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 17:22:01
- 猪瀬直樹著『ペルソナ』に出ていたマダムX(三島と4年間恋人だった満佐子という女性)のことが書かれた本が出版されてます。
岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣)
- 300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:02:35
- 300
- 301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 12:01:51
- 今日の辻井喬の回顧録は、三島由紀夫と石橋湛山の共通思想を考察しながら、
三島が戦後の手続き民主主義の欺瞞に、生命を賭けて反対したことについて触れています。
三島を領土拡大や国粋主義右翼と見るのは、意図的な誤解で、誤りだと述べています。
- 302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 11:13:30
- ■ラルク関連記事
ラルク新曲は三島由紀夫『金閣寺』の影響か
http://www.222.co.jp/NetNews/article.aspx?asn=11267
- 303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 23:45:43
- 宇多田ヒカルも三島ファン
- 304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 11:57:44
- すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。
保田與重郎
「ただ一人」より
- 305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 11:58:29
- あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。
福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より
- 306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 03:48:41
- 三島由紀夫がかっこよすぎる
- 307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 12:05:11
- 彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。
保田與重郎
「天の時雨」より
- 308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 12:05:48
- 三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。
保田與重郎
「天の時雨」より
- 309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 12:09:59
- 三島由紀夫が尊敬していた保田與重郎の三男の直日さんは、学生時代からアラブ支持の活動をしていて、パレスチナ難民へのカンパ活動、難民救済に打ち込んでいたそうです。
そして昭和42年、中東戦争でアラブ側がイスラエルに完敗した数日後に、保田直日さんは睡眠薬を飲み自らの命を断ったとのことです。
三島由紀夫がこのことを知っていたかどうかは不明ですが、保田與重郎の三島への思いは、この息子の死とも重なり、より大きな悼みになったと思われます。
- 310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 11:28:29
- 東京都知事・故青島幸男氏は三島の割腹を聞いて
「オカマのヒステリー」と揶揄し、青島自身はTVで楯の会制服を着て
横の会と称しコントを行なった。
このような氏であったが、数年後、シンガンス釈放事件について
マスコミから追求されると、マスコミ取材は居留守をつかい逃げ回った。
三島と森田の検死解剖は慶応大学医学部解剖学教室が行なった。
珍しいということで、当時、慶應大医学部学生に公開された。
三島は臍下を左から右へ13cm切り裂いていて腸が飛び出していた。
三島は舌も噛み切っており、検死解剖にあたった教授は
三島の壮絶な気概をを感じるとコメントを残している。
両氏の遺体は一時、警察の車庫内に安置されたが
車庫前に警察官達自らが献花台を設置した。
警察官が加害者の遺体に献花台を設けるのは珍しいこと。
全共闘のリーダーが献花に訪れたのは有名な話。
このリーダーはその後、自死された。
- 311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 14:08:24
- 青島なんか単なるチンカス都知事、死んでも誰も惜しまれず。
- 312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 16:34:32
- 三島先生が亡くなった時、僕はやむにやまれぬ気持ちで日本刀を抜いて、号泣した。
鶴田浩二
- 313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 15:40:46
- 鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」
三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」
鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」
三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」
「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より
- 314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 16:52:33
- 三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。
- 315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 16:53:26
- 三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、
三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。
- 316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 12:39:53
- 潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』です。
『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』
三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から題名をとりました。
- 317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 10:24:30
- 神島いきたいなあ
- 318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 21:02:20
- 美輪と三島はきってもきってもきれない縁
- 319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 11:14:57
- 「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」
三島由紀夫
- 320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 17:15:57
- 聡子さんが門跡になった月修寺のモデル円照寺の
第10代山本静山(じょうざん)門跡は、昭和天皇の妹君・糸子内親王でした。
http://urano.org/kankou/kitayama/kitaya6.html
- 321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 14:52:55
- 大東亜戦争の意義(1)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080611/p1
大東亜戦争の意義(2)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080613/p1
大東亜戦争の意義(3)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080615/p1
大東亜戦争の意義(4)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080616/p1
- 322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 15:21:50
- 右翼って昔と今じゃ違うもん?
- 323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 03:46:43
- 共産主義が実質敗北したから右左の区別は曖昧になってる。だから右左は昔みたいに明確な線引きは出来ない少なくとも今の日本では
- 324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 05:06:36
- >>322
そもそも右翼と、すべて悪いかのごとく日本の愛国を断罪したのは先勝国と、それに便乗した共産党、朝鮮中国。
- 325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 13:32:59
- 割腹したあと解剖で肛門から何人分の精液が検出されたんだっけ?
- 326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 14:00:34
- >>325
それ事件直後に朝日新聞系が流したデマだと聞いたよ。いったいいつまで昔の時代のデマありがたがってんの?
>>136-137を参照。
- 327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 10:12:07
- 彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。
自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。
山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より
- 328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 10:13:07
- 自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。
その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。
山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より
- 329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/04(月) 16:41:05
- 唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
- 330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:18:53
- 左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より
- 331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:20:29
- 彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。
三島由紀夫
「反革命宣言」より
- 332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:21:23
- 日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より
- 333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 10:52:05
- 近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。
小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より
- 334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 14:02:28
- 彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
- 335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 14:03:17
- ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
- 336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 14:06:47
- 東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。
国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
- 337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 00:13:27
- 麻酔で眠ったことある?
麻酔で眠っている間は無意識で夢は見ないと言われています
死という感覚は麻酔で気を失った状態が永遠に続くようなものだと誰かが言ってました
- 338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 12:26:57
- へー
- 339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 15:13:24
- 人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。
西尾幹二
- 340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 16:55:41
- >>26
公務員試験の席次が150番とか180番だったから大蔵にいてもまず
本省局長にはなれなかった。最初の配属先は銀行局だかの超マイナー課。
期待の新人エースなら官房秘書課、文書課或いは主計局に配属される。
だいたい大蔵で次官・局長目指すなら一桁合格じゃないと無理な訳で
退官して正解
- 341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 02:02:42
- ここのスレ主さん的に
映画「MISHIMA」はどうなの
- 342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 10:31:14
- >>26>>340
大蔵省をやめてから作家になったわけじゃなく、その前から作家だったからね。
- 343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 10:49:18
- >>341
まだ全部ちゃんと全般的に見てません。
三島の薔薇刑をとった写真家の話だと、実際の三島とは違う描かれ方をしているらしいし、
海外の映画監督から見た三島像、ミシマという実際の三島由紀夫とは少し違うある一人の芸術家を描いた映画として見ればそれなりにいいんじゃないでしょうか。
- 344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 22:02:08
- なんだ、見てないのか
では映画「憂国」はどうですか
- 345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 12:28:05
- >>344
小説より、妻の心理描写が巧く描かれていたと思うし、切腹の迫真で怖かったよ。
あなたのミシマと憂国の感想はどうですか?
- 346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 21:26:59
- 三島論
http://www.geocities.jp/captifamoureux/mishima.htm
- 347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:04:53
- 三島ほしゅ
- 348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:53:03
- NHKのアーカイブで川端と三島と志賀の対談見たとき
川端は年下の三島に精神的甘えてるように映った。三島もそれを
受け入れてるような間柄に見えた。親が子供に甘えるような感じ。
三島が割腹する前に川端も自ら命を絶ってしまった。
- 349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:56:40
- >>337
麻酔で眠ったことは2度あるけど
2回ともものすごく怖くて奇妙な夢を見てうなされたよ。
麻酔が醒めかかったときだったのかな。
- 350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 15:05:04
- >348
川端が自殺したのは三島切腹の約一年半後だよ。
- 351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 13:37:48
- 三島由紀夫の妹は敗戦後まぎわにチフスで17歳で死んで、そのとき聖心女子学院生だったけど、
『朱雀家の滅亡』のなかで制服で出てくる璃津子について三島は「僕のノスタルジーだよ」と言ったらしい。
璃津子(ritsuko)は
妹の名前、美津子(mitsuko)の音(iuo)を表していたのかな。
もしかして、美智子皇后とお見合いしたのも、妹と同じ聖心女子学院だったからかもしれないと、ふと思った。
お見合いの前か後かは判らないけど、美智子さんの聖心女子大の卒業式も三島は見に行ってたらしい。たぶん聖心だったからだと思う。
- 352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 17:55:25
- 天才数学者、岡潔氏の三島由紀夫論を再発見
岡潔研究会が三十八年前の『蘆牙』掲載箇所を発見
************
岡潔研究会(横山堅二代表)が復刻した『蘆牙』第三号は原号が昭和四十六年四月に奈良で発行されたもの。
同誌は当時、奈良で発行され、同市に住まわれていた天才数学者・岡潔を囲むグループが出していた。岡潔は岩下志麻、笠智衆が主演の映画『秋刀魚』のモデルでもある。
このなかで岡潔が三島由紀夫に触れた箇所がある。
岡潔先生曰く。
「三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、
天皇制が大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやってみせているし、本当に偉い人だと思います。」
編集部が「百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔の答え。
「間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも間違った個人主義、民主主義なんかを、
不滅の真理かのように思いこんでしまっている。ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。かなり影響はあったと思います」。
- 353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 15:41:13
- 三島由紀夫氏、没後三十八年『憂国忌』の御案内
============
記
とき 11月25日 午後六時(五時半開場)
ところ 九段会館 三階「真珠の間」(地下鉄「九段下」)
記念講演 評論家 西尾幹二氏
演題 「三島由紀夫の死と私 ――限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念」
ほかに発起人の追悼挨拶があります。
代表発起人 井尻千男、入江隆則、桶谷秀昭、嘉悦康人、小室直樹、佐伯彰一、篠沢秀夫、竹本忠雄、中村彰彦、細江英公、松本徹、村松英子
(当日、一般入場者の会場分担金はおひとり千円)
皆様のふるってのご参加をお待ちします。
- 354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 12:00:59
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm2641046
緒形拳が演じる三島由紀夫の最期
- 355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 12:57:06
- 今年もお墓に行きます
白菊と葉巻を持って
待っていてくださいね(^-^)
- 356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 14:51:31
- 褌が似合う三島由紀夫
http://www.vipper.org/vip1005855.jpg
http://www2.vipper.org/vip1005856.jpg
- 357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:30:34
- 「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
- 358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:31:59
- 「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
- 359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:32:40
- 現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
- 360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 16:51:04
- 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人にウィリアム・フォーサイス(バレエダンサー、振付家)がいますが、
1991年に初演された彼のバレエ『失われた委曲』(ザ・ロスト・オブ・スモール・ディテール)は、
三島の『奔馬』の次の一節をテーマに美をラディカルに呈示し、構築的であり幾何学的な構造を持っている三島的な神話世界を表しています。
「時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内側の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか」
フォーサイスは記者の「なぜ三島のテキストを引用したのか」という質問に、
「三島を読んだとき、三島の方が僕のバレエを引用しているのかと思った」と答えたそうです。
- 361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 11:13:55
- (「共産党」を「民主党」に置き換えると現代にも通用する)
↓
『わたしにとっての共産党』三島由紀夫
日本共産党と自民党は同じだ。どちらも議会主義、憲法擁護を表看板にし、それでは何もできないことを知つてゐる。
理想を放棄してゐるんだ。また大衆社会といふ白痴美の女をねらふ二人の男にたとへられる。
二人ともメガネをかけて一見、紳士風。男性化粧品をふんだんに使つて「結婚しても決して暴力はふるひませんよ」といつてゐる。
ただ、この勝負、共産党のほうが、女の財産をねらひ、骨までしやぶらうとしてゐるだけ有利かもしれない。
- 362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 15:17:05
- 皇居参賀・日の丸小旗配布奉仕の御案内を申し上げます。
☆集合時間 1月2日 午前8時20分
☆集合場所 本部テント前(馬場先濠堤・行幸通り側)
☆晴雨に拘わらず実施致します。
☆皇居と東京駅を結ぶ行幸通りに於いて、緑色の帽子を被りながら奉仕致します。
☆参加希望者は不二歌道會(03-3401-0963)または三澤浩一(090-2622-4242)まで御一報願います。
☆開閉門ならびに御立ちの時刻は下記の通りです。
[開門―09時30分]
1回目―10時10分
2回目―11時00分
3回目―11時50分
4回目―13時00分
5回目―13時50分(以降記帳は15時30分まで)
[閉門―15時10分]
- 363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 13:37:48
- 西尾幹二の三島由紀夫論
『三島由紀夫の死と私』(PHP刊、上製。1500円)発売中
- 364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 10:44:49
- 川端康成氏を囲んで (三島由紀夫 伊藤整)1/3 -3/3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674134
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674204
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674343
- 365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:31:49
- ▲川端康成と三島由紀夫の関係の堤堯氏の指摘
堤堯氏は雑誌『WiLL』2007年1月号の「ある編集者のオデッセイ」で、三島、川端両氏の間にノーベル賞を巡ってすさまじい確執があったことを書き記しています。
「まあ、運がいいんでしょう。拾いものみたいなものですからね」との鼎談での川端の発言は受賞を謙遜していますが、
ノーベル賞獲得への猛烈な執念を押し隠したもので、その執念を知る三島はどんな気持ちで聞いていたことでしょう。
鼎談の二日前でノーベル賞を受賞する前日の昭和43年10月16日、川端は三島に次の手紙を出しています。
「拝啓 春の海(春の雪ではなく!)奔馬 過日無上の感動にてまことに至福に存じました・・・」
鼎談の時までに、三島がこの手紙に目通ししていたのであれば、川端の雑駁な誤記を胸に深く畳んで収録に臨んでいたのです。
- 366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:32:44
- 受賞発表の17日候補者である三島は毎日新聞に待機して発表を待っていました。川端受賞の報を受けるとその場で祝辞の稿を書き上げます。
「川端康成氏の受賞は、日本の誇りであり、日本文学の名誉である。これにまさる慶びはない。
川端氏は日本文学のもっともあえかな、もっとも幽玄な伝統を受け継ぎつつ、一方つねにこの危うい近代化をいそいできた国の精神の危機の尖端を歩いて来られた。
その白刃渡りのような緊迫した精神史は、いつもなよやかな繊細な文体に包まれ、氏の近代の絶望は、かならず古典的な美の静謐に融かし込まれていた。
ノーベル文学賞が、氏の完璧な作品の制作と、その内面との、文学者としてのもっとも真摯な戦いに与えられたことの意義はまことに大きい。
それはひとり川端氏のみでなく、千数百年にわたる日本の文学伝統と、同時に、日本の近代文学者の苦闘に対して与えられたものと感じられるからである」
実に格調高く、日本人作家としてともに受賞をよろこんでいる気持ちが伝わってきます。
しかしタペストリーの表糸のような、明朗優美な表現とはトーンの異なる、陰影を帯びた鋭利な裏糸が縫い込まれた件りが次に現れます。
- 367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:33:36
- 「人間に対する真の愛情とは?
ここに氏の文学の、表面にあらわれぬ深い主題がある。
すなわち、古典的な優雅な文体の下に、氏の文学には、近代文学のもっとも先鋭な主題『そもそも人間が人間を愛することができるか?』という設問が隠れているからである」
『そもそも川端は人間を愛することができるのか?』
『常に師川端を立て、文学上はもちろん私生活の部分でも細やかな配慮の塊のような弟子三島を愛することができるのか?』と読み替えると、とても鋭利な川端への問いかけとなります。
- 368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:34:26
- 更にこう続きます。
「スエーデンに紹介された氏の作品は『雪国』、『千羽鶴』、『古都』の三篇の由であるが、この中に氏の近年の傑作『眠れる美女』が含まれていないのは残念である」
『眠れる美女』(昭和36年)を、これほど熱意を入れて評価する文壇人、評論家は何人いたのでしょう。三島だけではなかったでしょうか。
翌日のテレビ収録でも「『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね」と牽強付会的に、この作品名を挙げています。このしつこさは異常です。
毎日新聞の三島の祝辞を読んで川端は内心ビックリし、収録時も面を食らったことでしょう。
三島が川端への祝辞記事や鼎談での発言で、『眠れる美女』の作品名を執拗に挙げたのはなぜなのか、奇妙な観をぬぐえません。
- 369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:35:16
- ▲『眠れる美女』に関して
元文芸春秋編集長の堤氏は『眠れる美女』の三島代作説を肯定しています。
もし「代作」なら作品はどのように完成されたのでしょう?
三島がモチーフを提供しただけなのか、下書き的な草稿を作成したのか、川端のモチーフを元に、あるいは川端が書きかけたものを三島が完成させたのか・・・。そういう共作的なものだったのか?
川端作品を三島が「代作」した証拠はありません。その必要も事情も見当たりません。しかしそれにも拘わらず、文壇・出版界に根強く代作説は流布しています。
- 370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:47:06
- ▲「川端康成氏を囲んで」の会話
川端 ― (私の作品を)面白がる人は非常に面白がる。思いも懸けない小説みたいなものを読んだ気がするんじゃないんでしょうか。
三島 ― 私がこれから楽しみにしておりますのはね、川端さんの御作が、これを機会に向こうでどんどん(翻訳されて)出ると思うんですね。
たとえば『眠れる美女』なんてのは傑作だと思うんですがね。
川端さんの作品で非常に構成的でしょう。
- 371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:47:53
- ▲最後の川端康成と三島由紀夫の手紙
昭和47年4月梓(三島の父親)は川端から、彼(川端)が自死する直前に長い手紙を受け取っています。
しかし
「その内容についてはもちろん絶対にノーコメントですが、川端さんのまったく意外な点が実によく表れていて興味をひかれました。
とまれ家宝にして永く大切に保存してゆきたいと思っています」
と封印され公になっていません。
これが「眠れる美女」の三島代作説や川端の三島への思いを明らかにしてくれる(カギとなる)可能性があります。
昭和45年7月8付で三島が富士の演習場から川端に投函した鉛筆書きの手紙がありました。
これは親族(川端の)により焼却されたそうです。
- 372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 23:14:18
- 憲法第九条はGHQのニューリーダー(ユダヤ人共産主義者)によって
作られた売国憲法である。憲法第九条を擁護する者は国家を解体し、日
本を共産主義へ移行させようという悪魔の夢を抱いている売国奴である。
- 373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 00:07:40
- 『これでいいのか日本の防衛』三島由紀夫
Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?
三島由紀夫:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。
侵略に対処するには力しかない。
- 374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 22:56:03
- …例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島由紀夫)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。
事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。
いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。
小林秀雄
「感想」より
- 375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 22:56:25
- 思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。
エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を投じた。
狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである。
実生活を離れて思想はない。併し、実生活に要求しない様な思想は、動物の頭に宿つてゐるだけである。
小林秀雄
「文学者の思想と実生活」より
- 376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 15:55:48
- 「まさか、死ぬとは!すごいジョックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話
- 377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 16:03:27
- 「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話
- 378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 16:26:29
- バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合をかけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。
K陸曹
三島演説を振り返って
- 379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:26:09
- ●北方領土で長期目標を提議した森田烈士
森田必勝氏の論文は今から丁度40年前に書かれたものです。
同論から、北方領土問題に向けられた森田氏を含めた当時の保守派民族主義学生運動のうねりを感得することができます。
森田氏は民族主義運動の学生仲間と札幌、根室などを訪問して、現地の人々と交わり復帰運動の現状を探ります。
そこから自分たちの推し進めている学生運動が北方領土問題とどう取り組めるか、どんな役割が果たせるかを自分たちの「使命感」を持って真剣に模索します。
民族主義運動として、その存在をかけて何がやれるかを熱心に追究します。
論文のタイトルにあるように、森田氏は「北方領土復帰運動」を「民族運動の起爆剤」にしようと志向しています。
森田氏は北方領土に関して、政府も漁民も立場上言えないような主張を代弁することが学生としてできないかを現地で実直に思案します。
エリート学生(当時の大学進学率は低かった)として、高踏的に復帰運動を俯瞰しようとはしません。地に脚のついた立ち位置をとろうとします。
- 380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:27:03
- 現地では、まず復帰運動に関わる漁民ら住民との微妙なギャップを知らされます。
森田氏らは「全千島、南樺太奪還」のスローガンを掲げているのに対して、彼らは「国後、択捉、歯舞、色丹返還」の違いがありました。
政府と地元で行われている官製運動の形態と、それらの限界にも目を向けます。
「領土に対してもっと厳粛な気持ちになって、たとえ一片の土くれ一塊の岩石であっても、我が国の領土ならばこれを守り抜いてゆく、即ち領土に対する厳粛な継続者であるということを民族の遺言に植えつける必要があると思う。
こういうことから私は、北方問題は南方問題でも同じように言えますが、これは “民族の遺言運動だ”と言いたい」
という北海道庁領土対策本部長の言葉に森田氏は感じます。
「(北方領土問題の解決は)極めて悠長だが重要で」、「世代から世代へ、親から子へと受け継がせていかない限りこの民族の怒りの火は消えてしまう」 と森田氏は思うからです。
- 381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:27:42
- ●迸る領土返還への情熱と愛国心
森田氏は「北方の島々がまだ当分還ってこないとすれば、長期的、持久戦的視野も重要だ」と指摘します。
それから40年経て北方の島々は還ってきていません。進展も見ていません。
進展はありませんが、北方領土問題でソ連やロシアとの交渉に長年あたってきた諸氏はいます。過去十数年間の交渉の実態を知る資料のひとつとして、2006年上梓された『北方領土「特命交渉」』があります。
森田氏は自問します。
私たちは何のために「北方領土復帰運動」をおこなうのだろうか、と。
「たとえ、ソ連が何十年居座ろうとも、われわれは日本民族の闘いとして、この運動を続ける」と根室市での懇談会で、ある老人の発した言葉に森田氏は揺すぶられます。
いっさいの理屈を超えたところに「北方領土復帰運動」があるという老人の発言は明快そのものです。森田氏が老人の心意を直観したのは言うまでもありません。
親子の間の愛について理屈を説いて説明する必要がないように、「日本民族」はそれを育んでくれた「日本領土」への愛しみがあります。両者が一体であることに理屈はないのです。
- 382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:28:20
- 何者かに民族が領土から剥がされ、その一体性が奪われたのなら、領土を奪い返して愛を回復することは当然です。
奪われた北方領土を取り戻そうとするのは日本民族の本源的な情動です。
森田氏は、「この老人の一言に、おそらく私たちすべての立場は代表される」と深く感動します。
森田氏にはこのように魂の叫びに共感する感性があります。
森田氏は1960年代後半当時の国際情勢をつぶさに分析しています。
それと北方問題を照応させ、この運動は長丁場になると的確に押さえます。
「北方領土復帰運動」を、「失われた民族心の回復と、祖国への誇りの回復」 と位置づけ、「この闘いを勝ち抜くのである」と宣します。
森田論文が発表された昭和43年(1968年)当時、民族主義学生運動という熱いうねりがありました。
この学生運動が真剣、真摯であったのはその時代の様相を反映していたのでしょう。
- 383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 21:31:25
-
【MAD】椎名林檎 メロウ 三島由紀夫に捧ぐ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5155149
● メロウ ●
橙色は止まらない
黄色を探して乗り込め
お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える
蔑んでくれ
僕は何処迄も真摯なのだ“至って普通さ”
いま群れ為す背中
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?
意識は希望に素直じゃあない
回避するなんて止めておけ
お前の弁護をしているマシンをぶっ壊してあげるよ
引き攣ってくれ
僕は此処でお前に云うのだ“愛しているさ”
いま赤く染めた
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?
美しい予感・目に映る全て・儚き事象
要らぬ もう 要らぬ
嗚呼・・・
- 384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 15:39:59
- 2chスレに駐在する三島信者のオバサンは
三島美化のためなら平気で真偽の定かでないコピペをするからな。
しかも時にそれに混ぜて三島美化の作り話までさも真実の記事のように掲載する
から恐ろしい。
- 385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 17:00:25
- 私のは、ちゃんと出典書いてるし、ほとんど三島由紀夫全集からの引用です。
あんたが三島を知らないから嘘にみえるだけ。
- 386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:29:10
- 平成2年11月25日
「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
演奏 東京フェスティバルオーケストラ
(黛) 三島さん、あなたがこの世を去られてから、ちょうど二十年の歳月が流れました。長いようでもあり、短いようでもあります。
二十年前、あなたのあの壮烈な死の直後、私はこの「題名のない音楽会」であなたへの弔辞を捧げました。そのなかで私はこう言いました。
「三島さん、あなたが自らの死によって訴えたかったこと、それはあの檄文の最後にある言葉「我々の愛する歴史と伝統の、国日本を日本の真の姿に戻そう。生命尊重のみで魂が死んでもいいのか。」
この言葉にあなたの思いは集約されていると私は思います。最後のバルコニーの演説でも冒頭にあなたはこう言っている。
日本は経済的繁栄に現を抜かして精神的には空っぽになってしまった。君たち、それがわかるか、と。
自衛隊の存在も含めて潔癖なあなたは政治的ごまかしを許すことができなかった。
- 387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:33:17
- 現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。
あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。
- 388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:37:01
- あなたがもし、政治家だったとしたら、こんな方法は絶対にとらなかったでしょう。
あなたが意図したことはだから、自衛隊に決起を促すクーデターではなかった。心ある人々の魂にぐさりと突き刺さる精神のクーデターだったのです。
(間)
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
三島さん、二十年前、あなたがあの壮烈な死を遂げられた直後、私は「題名のない音楽会」でいま言ったような弔辞を捧げました。
そして、あなたが自らの死を以て暗示してくれた精神的クーデターは近い将来、必ず起こるはずだから、どうか、あなたのこよなく愛したこのワグナーを聴きながら、幽明境を異にした天界で日本の将来を期待とともに見守っていて下さい。
このようにお願いをしました。それから二十年。日本は変わったでしょうか!
残念なことに、本当に残念なことに少しも変わってはいないのです。あなたが、死を賭して訴えた自衛隊の問題にしても未だに決着はついていません。
三島さん、あなたの名前は今でも一種のタブーです。あなたの数々の作品は芸術的には高く評価され、あなたの才能を疑う人間はいないけれど、あなたの思想は依然として危険視されています。
- 389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:41:54
- いまの日本は、二十年前、あなたがいみじくも予言した通り
「私はこれからの日本に希望が持てない。このままいったら日本は無くなってしまう。そのかわりに無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るだろう。
それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれない」。
こういったあなたの言葉通りが現実なのです。本当に残念なことです。
三島さん、あなたがいなくなってからの二十年は、あなたが望んでいたような二十年ではありませんでした。また、これから先の日本が果たしてどうなるのか、誰にも予断はできません。
しかし、今までの二十年と同じくあまり期待のできない将来であることは、おぼろげながら予測できそうです。
ともあれ、いま、幽明境を異にしたあなたに私ができることといえば、あなたの好きだったこの曲を捧げることくらいでしょう。この曲がうたっている死とはかり合えるほどの重さを持った愛の尊さをあなたと一緒にかみしめましょう。
その愛の対象が果たして人間なのか、祖国なのか、民族なのか、天皇なのか、はたまた自分自身なのか、それはいま問わないことにしましょう。
三島さん、どうか安らかに眠って下さい。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
(万雷の拍手)
- 390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:10:38
- 戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対ありえないからだ。
これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は一人もゐない。
…広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。
…それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。
世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:11:01
- ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といつた。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。
だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:11:28
- いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。
日本は核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。
良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。
そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 00:11:54
- 戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。
だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が保たれたかといふと、さうは思へない。
第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さがわかつてゐても、必ず使はれたらう。
人間とは本来、さういふものである。
…将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。
…だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としてのICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、
つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ考へに達した時であらう。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 22:37:56
- 三島由紀夫 インタビュー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6218318
- 395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 23:54:29
- 三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。
川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より
- 396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 23:55:45
- この仕事を始めるに当たって三島さんは、「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちでマイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。
川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より
- 397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 00:21:24
- こわい
- 398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 10:48:52
- あーあ、今回の独立宣言を作るという話は、どうも企画倒れに終わりそうだな。
そう思いながら、新潮学芸賞を受賞した徳岡孝夫さんの「五衰の人―三島由紀夫私記」を読んでいたら、なんと、びったりの文章が出てきた。
四半世紀も前、三島由紀夫が自決したときの「檄」の一部にこういうところがある。
「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。」
まさに、今の日本そのものじゃないか。まずこの一文を、日本の独立宣言文の冒頭に掲げるところから始めようかと思ったよ。
ビートたけし
「憲法爆破」より
- 399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:02:23
- 一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。
三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。
三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。
井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
- 400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:04:10
- 三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を依頼することはありませんでした。
三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。
三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。
三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。
井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
- 401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 16:05:13
- 「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは資金の出どころが明確だったおかげだと思います。
三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。
以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、
奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。
注文後、一年ほど商品が着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。
井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
- 402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 11:59:49
- 『週刊新潮』と『週刊文春』が偶然にも三島関連記事
今週発売の週刊誌にいくつか三島由紀夫の記事があります。
ひとつは週刊文春の、゛皇室ジャーナリストが覗き見た三島由紀夫の生首゛という現場写真のない「家政婦は見た」風な平板な記事です。
クゥデタが進行している現場室内を一記者が覗き見ていたとは自衛隊の体たらくさが窺われます。
五人の決起部隊は人質にした益田総監が自決することを案じましたがまったく杞憂でした。
生々しい現場の様子は、ヘンリー・スコット・ストークス氏の『THE LIFE AND DEATH OF MISHIMA』のギリシャ語版193ページを見開いた左側の一葉の写真にあります。英語版、日本語版にはありません。三島氏と森田氏の首が並べられ、断ち斬られた首の断面から下も写っています。
- 403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 12:03:58
- もうひとつは週刊新潮の゛「美智子さまと三島由紀夫」のお見合いは「小料理屋」で行われた゛という記事です。
毎日新聞のバンコック特派員だった徳岡孝夫氏が昭和42年インドからの帰途そこに立ち寄った三島から ゛僕は美智子さんとお見合いしたことがあるんですよ゛と聞いたそうです。
「家族一緒に歌舞伎座かどこかで芝居を見て、食事をしたんだそうです」と徳岡氏は述べています。
如何なタイトルかと思い精読していませんが徳岡氏は三島評伝『五衰の人』にバンコックでの三島について詳しく(悪所通いの件まで)書いていますが、美智子さまとのお見合いの話がその時三島から出たと書かれていたか手元にないのでわかりません。
記事のタイトルにある「小料理屋」とは銀座六丁目の小さいながらも高級官僚御用達だった割烹「井上」で、ここの女将がかつて新潮の記者に「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」と語っていたそうです。
徳岡氏の話と繋げると三島と美智子さまは歌舞伎座からこの「井上」に回ったのでしょうか。「井上」は平成五年の時点で土地と建物が塩尻市に寄付されていますからもう営業はしていません。
歌舞伎座も来年取り壊されます。
記事は「昭和45年11月25日、新宿の自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫は割腹事件を起した。美智子さまは、その報せをどのような思いで聞かれたのだろうか」と結ばれています。
お見合いに臨んだ両家の生存者は今や美智子さまだけです。
- 404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 14:01:33
- ケント・ギルバート氏を招いて「私の卒論もミシマ・ユキオだった」
弁護士、タレントとして活躍のケント・ギルバートさんを招いて公開講座です。
じつはケントさん、たいへんな親日家であることはご承知の通りでしょうが、卒論がミシマ・ユキオだった。そのあたりから日本文化と米国文化の違いなどを雑談もまじえて語っていただきます。
記
とき 4月24日(金曜日) 午後六時半(六時開場)
ところ 市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」四階会議室
講師 ケント・ギルバート
演題 「私の卒論もミシマだった」(仮題)。
会費 2000円(会場分担金として)。賛助会員ならびに学生=1000円
△
終わってから近くの居酒屋で「懇親会」があります。別途会費3000円を予定。これは希望者のみです。
- 405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 14:06:32
- ケント・ギルバート氏から篤いメッセージが届きました
「なぜ私は三島由紀夫『春の雪』に惹かれたのか?
大学一年生のときに、教会からの指示で日本へ伝道に行くように言われ、選ぶことも断ることもできないまま日本に渡った。そこで日本語を学び、帰国後は大学で日本文学を学んだ。
モルモン教徒として厳しい戒律の中で生活していたとき、三島由紀夫の「春の雪」と出会い、自由奔放に生きる主人公の姿に感銘して三島由紀夫を読むようになった。
英訳本は知りうる限り全て、後には日本語版で可能な限り読破した。学生時代、三島に関する論文も書いた。
大学時代、最初は英訳本を読んでいたが、だんだん日本語版で読むようになった。
1975年、沖縄海洋博覧会のときにスタッフとして招聘され、再び日本の地を踏む。その頃はある程度自由に日本語を操ることができるようになっていた。
大学に戻って法律大学院(ロースクール)に通っていたが、同時に日本文学学科の日本語教師を兼任していた。
モルモン教は自死を厳しく戒めているが、それは「私の世界」での自死であり、三島由紀夫の死は、モルモン教が規定している自死をはるかに上回る死である。
教徒である私(ケント)自身、三島の死の意味を、今尚考え続けている。
三島の死を考えるとき、天皇の存在を抜きには考えられないのだろうが、「究極の価値」ということなのか、と漠然と感じている。
残念ながら「文化防衛論」をまだ読んでいないので私(ケント)にはまだ天皇の本質的意味を理解できずにいる。
三島由紀夫も、時代の戒律の中で生き続けたが、作品の中では自由に、奔放に人間模様を描いている。人の生き方、存在を、もっともっと三島から学ぶべきことがあるのではないだろうか。
英語の世界(アメリカ)で、最も知名度の高い日本文学者は間違いなく三島由紀夫である。それは、作品の完成度の高さに由来すると思う。
川端文学は、結論がはっきりとしない。遠藤文学はキリスト教を題材にしているが故の評価である。それ以外はほとんど知られていない。
川端よりも三島こそがノーベル文学賞にふさわしい作家であると思っているが、なぜ三島でなく川端だったのかについても疑問に感じている。それを解明したい。
- 406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 17:03:21
- 四谷三丁目近くの通称「河童池」と呼ばれる湿地帯近辺に住んでいる鉄筋屋の息子がゲイだそうです。
国立競技場のトレーニング・センターへ通っていたことがあるらしいので、
このアホ息子を見かけた人もいるかも知れませんが・・・(同競技場の水泳教室にも通っていたとか)・・・
人並みに日本国内の大学へ入れないために、仕方無くアメリカの三流大学へ
「語学研修」のようなかたちで送り出されたそうですけれど、その後はグレてしまって
たいへんなありさまだとか。
参考までに
- 407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 23:54:07
- あなたの手の傷はけっして治らないだろう
僕は信じてさえいればいいと思ってた
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも僕の心臓の鼓動?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
無意味な歳月が瞬時に過ぎ
無数の人々がよろこんで命をあなたに捧げる
生き残るものは何もないのか?
自分の中にわきおこる感情を処理する術を覚えようと
自分の中に埋められた土くれに手をつっこむ
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
足もとの土すら信じきれず
それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら
何度も同じ地点にたち戻ってしまう
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも心の変化?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
デヴィッド・シルビアン&坂本龍一
「禁じられた色彩」(三島由紀夫「禁色」からインスパイア)より
- 408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:02:26
- 三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。
…私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。
…「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。
昭和四十五年十一月二十五日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に戻られた。
パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて散乱していた。
鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。――
増田元臣
「美しい人間の本性」より
- 409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:04:44
- 三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。
私は幼年期から映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた「映画の友」という月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。
その月の私のコラムは「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは楽しげにもてなして下さった。
…数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のようなものだった。
「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで寂しいではないか――」そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。
以来私も三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。
増田元臣
「美しい人間の本性」より
- 410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:07:24
- 私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。
三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。
試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、
「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」と訊かれたので、
「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。
その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。
増田元臣
「美しい人間の本性」より
- 411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:08:54
- 特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの時が一致して、私がお供をする形になった時のことである。
私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、
「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」
と尋ねられたので、私は、
「勿論です!」と勢い込んで即答した。
あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。
「三島由紀夫文学」については周知である。しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、容易に理解することは出来ないだろう。
増田元臣
「美しい人間の本性」より
- 412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:12:26
- なぜ三島由紀夫wwwww
- 413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 12:55:54
-
兵役逃れのバカ三島由紀夫は石ぶつけられて死ねよ
兵役逃れのバカ基地害が『復古主義』『愛国』『国防』『右翼』だっておwwwwww
まずお前が兵隊に行けや、卑怯者。何でコイツを非国民扱いしないんだ?
三島は結局、下民は好きなだけ戦争で殺してもいい体制を作って貴族になりたいだけの下衆、人民弾圧思想者だ
コイツの本は燃やして、出版禁止とすべき。
- 414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 12:57:07
- いいか屑ども
次スレタイに『兵役逃れ』『クソ華族』と入れろ 分かったな
人民弾圧と搾取と特権階級支配体制を目論む卑劣な非人間、先祖代々汚物のバカ三島由紀夫は性病野郎だ
- 415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 12:59:38
-
こいつ、自分は特権階級者だから兵役逃れたいニダwwwwwwwって逃亡した奴じゃん
なぁ〜にが『盾の会』だよwwwwwwwwww
自衛隊兵士も、卑劣漢の臭いを嗅ぎ取って、嘲笑したらしいじゃんwww
素晴らしい
三島由紀夫はコンクリ詰めにして北朝鮮に流すべき
- 416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 14:56:29
- 天皇護持ってだけで、復古主義だの貴族だのって決めつけるって、どんだけ脳足りんなんだろ。
三島の著者も作品も一つも読んでない証拠だね。きちがい反日がバカ丸出しだわ。
- 417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:03:49
- >>416
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
反戦思想者の私も三島さまを崇拝してます
- 418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:06:11
- 当時、病気で兵役につけない人でも非国民呼ばわりで弾圧されたのに、
華族の倅の三島さまは兵役逃れしても何の不利益もありませんでした
戦後は国防、9条廃止、天皇護持について勇ましく語っておられます
まさに、私が尊敬する牟田口中将のような方だと感銘を受けました
- 419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:13:16
- キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C
おーい 盾の会会員さん 説明してくだされ(笑)
- 420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:55:26
- 三島の父親はキャリア官僚でもないし、華族でもないよ。兵役逃れじゃなくて医者の誤診。
ネットの捏造情報を盾にしてるバカな中国共産党のスパイがご苦労様でした。
- 421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 16:59:54
- >>420
ババアが華族だったんだろ?
ちゃんと兵役についてから大口叩きましょうね^^
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C
- 422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:03:57
- 何で三島由紀夫教祖さまは兵隊に行かないの??
おいおい、まさか偉大なる三島閣下が仮病なんてことは無いよなぁ?
- 423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:05:47
- 兵
役
逃
れ
- 424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:14:15
- こういう荒らし見てるとますます日本は憲法改正しないといけないと思う。
- 425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:16:48
- キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
キャリア官僚の息子の三島由紀夫は、徴兵検査の時風邪を慢性病と誤診した軍医に黙秘してだまして兵役を逃れた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C
伝統(笑) 皇室(笑) 盾(笑) 決起(笑) 国体(笑)
- 426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:27:21
- 熱や肺の診察は騙せないよ。
- 427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:30:59
- >>424
三島スレに来て邪魔しに来るのは護憲の中国共産党スパイだからね。
- 428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:33:06
- 兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
兵役逃れという実践でもって絶対平和主義を体現なされた三島由紀夫教祖さま
反戦思想者の私も三島さまを崇拝してます
- 429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:42:10
- 絶対安全な場所から軍国主義思想を唱えてる奴なんて誰が信用するんだw
戦場に行って反戦主義になった人
戦場から逃亡して軍国主義になった馬鹿
↑人間の恥・三島は過酷な戦場で戦った兵士に土下座して首釣れ
- 430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 17:44:11
- 愛国だ国防だと大声で言いながら、『皇軍』から逃げた三島は所詮オナニー野郎。
愛国だ国防だと大声で言いながら、『皇軍』から逃げた三島は所詮オナニー野郎。
- 431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/16(土) 21:33:21
- 三島は国防や憲法については論じてますが、愛国とは叫んでないし軍国主義でもありません。むしろ愛国という言葉は嫌いと言ってます。
三島を批判するなら、もっと三島の論文を読んでから出直してください。次元が低すぎて話になりませんよ。
- 432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:49:03
- 私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。
小田実
「三島由紀夫との接点」から
- 433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:49:55
- 思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死についてしゃべった――
そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。
小田実
「三島由紀夫との接点」から
- 434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:50:40
- しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。
小田実
「三島由紀夫との接点」から
- 435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 23:46:13
- 田母神塾 #02
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7063132
- 436 :名無しさん@お腹いっぱい:2009/06/02(火) 01:55:56
- 「見出された恋」読んだ方、面白かったですか?
文章が難解だって噂で聞いたんで
- 437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 11:01:17
- 難解ってほどでもないですよ。
文章も優雅で、三島と満佐子さんのことが描かれていて興味深かったよ。満佐子さんにフラれた三島が気の毒でした。
- 438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 16:56:55
- 三島由紀夫の愚かさのほとんどがアンチ三島由紀夫板に凝縮されていますね
徴兵忌避から三島思想が実は生長の家という宗教の思想であったこと
三島の割腹自殺は現人神思想によるもので、自決することによって
天皇と三島が一体化するという図々しい思想であったこと
ついでに三島が右翼思想になったのはノーベル賞が関係している
三島が「宴のあと」でノーベル賞を逃したとき、ドナルドキーンは審査員が
三島は若いし左翼思想だろうからだめだ。といい加減なことを言って三島の作品を退けたことを
三島に告げたら、あらら熱心な憂国者になりましたとさ。
バカなんだよね。そもそも日本のノーベル賞は敗戦国にも適当に受賞を散らさないと
不公平だろってことで、日本の文壇の権威に与えられることは決まってたのに、
三島は馬鹿だからドナルドの言を信じきって過激憂国アッピール!ww
三島はノーベル賞欲しかったんだねwドナルドもそう語ってるし、ノーベル賞が三島にいってれば
三島は死ななかった語っているね
ちなみに楯の会はゲイ三島が自分好みの若者を集めた集団でまともなものじゃなかった
三島は自決する道連れが欲しかっただけなんだ
- 439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 16:59:23
- 三島信者さん早く早く!火消し急がないとどんどん火が燃え移っちゃうよw
- 440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 22:00:55
- >>408-411
あの増田貴光が三島と交渉を持っていたとは知りませんでした。
出典を教えてください。
- 441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:00:14
- >>438
ネットアカヒが脳内妄想ご苦労さまでした。全部前提が間違ってます。
- 442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:02:17
- >>440
全集に付録されてる月報です。
- 443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:08:40
- >>442
ありがとうございます。探してみます。
- 444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:18:04
- >>438
ちなみに、三島の右翼的思想は子供のときからずっとあるよ。
三島の少年時代のノートや手紙を知らない半可通が無知の恥さらしてご苦労さま。
- 445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:21:41
- > 三島は自決する道連れが欲しかっただけなんだ
これも違う。三島は最初は一人で自決するつもりだったが
森田があまりに熱心に「私も死にます」と言い張るから仕方なく森田にも自決を許可したのだ。
- 446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:22:47
- >>443
全集第34巻に付録されてる月報ですよ。
- 447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:27:03
- >>446
2003年に出た『決定版 三島由紀夫全集』第34巻ですか。重ね重ね、情報ありがとうございます。
- 448 :名無しさん@お腹いっぱい:2009/06/03(水) 00:34:47
- >>437
ありがとうございます。
早速、これから注文します。
- 449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 00:45:40
- 平岡威一郎は開成学園出身だが大学は東大法学部?
- 450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 11:13:25
- >>449
威一郎さんは大学へは進学しなかったんじゃないかな。
真偽は定かじゃないですが、他のスレで誰かが言ってました。
- 451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 12:36:31
- 開成なのに大学に行かないってかなり珍しいね。よほど成績が悪かったのか。
- 452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:08:56
- 若者を道連れにして人生台無しにさせて自分は格好よく割腹ですか
多くの罪なき自衛隊に切りつけて何が武士だよ。武士はそんな卑怯な真似はしません
徴兵逃れの卑怯ものにふさわしい卑怯な最後だね
本当は徴兵行きたかったのに当日になってゴホゴホ咳でていけなかったお( ^ω^)
徴兵逃れした奴は大体戦後こうやって言い逃れしたんだねw
三島は子供のころから右翼的思想だった?ぷっwww
当時はみ〜んな日記でも天皇万歳だったんだよw
三島が右翼的行動が目立ってきたのは「宴のあと」が落選して
ドナルドキーンに「三島は右翼じゃないから落選した」と聞かされてからだねwww
欲しかったみたいだねノーベル賞www残念三島無念の自決( ^ω^)
三島&三島信者「悔しいのう、ノーベル賞を涎たらして欲しがってたのがばれて、徴兵忌避もばれて、
ライフワークの豊饒の海も結局生長の家思想で片付けられて、悔しいのう」
( ^ω^)
おっおっおっおっw火消し&負け惜しみ頑張れ!このスレもう見ないからw
三島信者「もうスレ見ないんじゃ反撃できない…勝ち逃げされた…悔しいのう、一生懸命釣ってみたけどやっぱり来ないのう、悔しいのう」
- 453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:41:20
- >>451
真偽は定かじゃないから本当に行ってないかは不明です。
- 454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:50:42
- >>451
ちなみに、平岡威一郎さんは三島の映画論文を編集した本を出してるよ。
映画「春の雪」のエンドロールに名前があったかな。
- 455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 13:54:42
- >>452
ネットアカヒが恣意解釈のかまってバカでご苦労さまでした。毎度つまんなすぎて聞きあきたわ。
- 456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 14:36:43
- 南馬込の三島の家は冨田浩司氏と結婚した紀子さん一家が住んでいるので
いま威一郎さんは目黒に住んでいるらしい
- 457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 15:12:32
- 三島というのは個人の筆名に過ぎないのに平岡瑤子は三島瑤子を名乗り、
平岡威一郎は三島威一郎を名乗っている。こんな奇妙な例は他にはないのではないか。
津島美知子が太宰美知子を名乗り、津島園子が太宰園子を名乗ったという話は聞いたことがない。
- 458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 11:57:42
- >>457
公私と分けて「三島」にしてるんじゃないかな。
- 459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 19:17:29
- むかし紀子さんの顔写真が写真週刊誌に載っていたが面長で三島そっくりだったね。
丸顔の瑤子さんには似なかったらしい。
- 460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 19:31:23
- 四方田犬彦によると、中上健次は平岡瑤子に会った後で
「まったく、三島由紀夫ともあろう男がなんであんな醜い女と結婚したんだ」と蔭で嘆いていたらしい
- 461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 22:12:46
- >>459
へ〜見たいな。
>>460
夫人の写真、何点か見るけど特に醜くはないよ。
文学風和風美人タイプじゃないけど、ハムスターや猫を可愛がる三島好みの猫顔、丸顔だね。
- 462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 22:37:23
- 北杜夫は独身時代、瑤子さんから「北さんはなぜ結婚なさらないの」と訊かれて
「結婚するつもりだったんですが、奥さんを見たら勇気がなくなりました」と答えた。
そのとき同席していた三島は困った顔をして、瑤子さんに「北さんは物事をズケズケ言うので有名な人だから」ととりなした。
- 463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 00:41:52
- >>462
又聞きレベルや作り話じゃないなら出典ぐらい出せば?
北杜夫って、三島関連にほとんど出ない名前だから友達でもないでもない、ただの作家の知り合いでしょう。
そんなのが、たまたま客で呼ばれて言う言葉にしたらずいぶん不自然だね。
- 464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 00:53:29
- >>462
それから、あやふやな作り話で三島由紀夫以外の有名人でもない人をネットで中傷するような書き込みすると、
今は訴えられて書類送検されることもあるから注意した方がいいですよ。
その程度じゃ大丈夫だろうけどさ。
- 465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 01:18:45
- >>452
よく読むと、全く前後関係もめちゃめちゃだし、デタラメ解釈をここまで都合よく貼り合わせたもんだわ。
ドナルド・キーンから「極左と間違えられてノーベル賞落とされた」と聞かされたのは、三島が自衛隊活動しはじめてから、だいぶ後の話。
そのもっと前から、とっくに自衛隊に体験入隊して祖国防衛隊を作ってます。
それに「宴のあと」書いた頃の年には、まだノーベル賞の候補になってもないし、審査されてないから、
ドナルド・キーンがその時点で、何も言えるわけないしね。タイムスリップする以外は。
- 466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 01:25:27
- >>463
へえ、「マンボウ交友録」も読んでない知ったか野郎がシタリ顔でこんなスレに出入りしてるんだ。呆れ返った酢豆腐だね。
三島が奥野健男を介して北杜夫と知り合った最初の晩、文章の仮名遣いの間違いを北からしつこく追及されて激怒し
「天才だろうが何だろうが、俺はあんな無礼な奴は絶対に認めん!」と奥野に怒鳴った話とか、自分の小説の欠点を三島から
ズバズバ指摘された北が「いや、あれを書いたときはたまたま鬱だったので」と言い訳しようとしたら三島が憤慨して
「文学には躁も鬱もない!」と電話口で怒鳴った話とか、面白い逸話がたくさん出ているから読んでみれば?
キミに人の文章をまともに読む力があれば、の話だけど。
> 友達でもないでもない
意味不明。「友達でもなんでもない」と書きたかったのかね。何をムキになって慌てているのか不可解。
- 467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 01:31:20
- >>464
それから、あやふやな法知識で「訴えられて書類送検される」などと騒いでいると
逆にキミ自身の無知が露呈して笑いものにされてしまうから注意した方がいいですよ。
もう手遅れだけど。
- 468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 02:02:16
- >>466
普通そんなマイナーな作家の本なんか読んでる人いないよ。よほどの北杜夫ファンじゃない限り。
北杜夫なんて三島由紀夫を知ってから初めて存在を知ったしね。
その逸話を読んで、北杜夫ファンが女々しいつまらない逆恨みの粘着ですか?
- 469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 02:14:29
- >>467
別にそんな程度のことで笑い者にするほどのバカにこんなとこで笑われも、痛くも痒くもないよ、くだらない(笑)
- 470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 14:29:09
- >>468
> 普通そんなマイナーな作家の本なんか読んでる人いないよ。よほどの北杜夫ファンじゃない限り。
ほらほら、頭が悪くて何も言い返せないからといって「普通」とか「マイナー」とかいった曖昧で無意味な言葉の中に逃げ込んではいけないね。
お前は何を以て「普通」、何を以て「マイナー」とほざいてるんだ? こういう具体的な内容がない日本語は「ボクちゃんは頭の中が空っぽで
何も考えていない人間です」ということ以外何も表現していないに等しい。そんな人間がなぜ三島スレにいるのか不思議だね。
芥川賞作家かつベストセラー作家の北杜夫の著書を読んでいないというのはお前の無知と不勉強の証明にこそなれ開き直りの口実にはならないよ。
せめて池田得太郎ぐらいのレベルだったら一般的に「マイナー」と呼んでも異議は出ないかもしれないがね。
> 北杜夫なんて三島由紀夫を知ってから初めて存在を知ったしね。
なるほどなるほど。ことほど左様にお前は無知で愚鈍で文学的素養がないわけだ。でもお前がバカで日本語が不自由なのは
お前にきちんとした読書環境を与えてやらなかったお前の親のせいであって俺のせいじゃないんだよね。
そういう悲惨な自分語りはチラシの裏にでも書いていて欲しいね。
> その逸話を読んで、北杜夫ファンが女々しいつまらない逆恨みの粘着ですか?
ますますもって支離滅裂、ますますもって意味不明。俺は北杜夫の本「も」読んではいるが別にファンではないしファンと名乗った憶えもない。
「逆恨み」と言われても誰に逆恨みする必要があるのか判らんね。むしろ、三島文学に何の関心も理解もない一介の下賤なゴシップマニア(つまりお前のことね)が
好い気になってウンチクを披瀝していたらあべこべに不勉強をたしなめられて面目を失い、粘着逆恨みして意味不明な言い訳を並べているのが現況だね(笑)
- 471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 14:31:18
- >>469
「こんなとこで笑われも」か。痛いところを衝かれて余裕がなくなるとtypoが多くなるらしいね(笑)
- 472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 14:37:57
- おっと、一つ勘違い。>>462の逸話は『人間とマンボウ』(中公文庫)所収「表面的な思い出など─三島由紀夫氏」だった。
これは訂正する。
- 473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 16:18:54
- >>470
三島の文学に何の関心もないゴシップマニアはあなたでしょう。
自分のレスを顧みたら?
そんな細かい北杜夫とのごちゃごちゃした話なんか、三島の文学とは関係ありませんからね。
私は三島の文学作品はほぼ読んでますよ。文庫本は全部持ってるし、全集もいくつか持ってます。
それから、はっきり言って私の周りでは北杜夫を知ってる人はほとんどいませんよ。
芥川賞なんかとって昔話題になってたとしても、今現在読まれでなければ知らない人が多いのは当然でしょう。
- 474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 23:54:51
- >>473
横レススマソ。
三島の全集読んだりしたからって、必ずしもいい読者とは限らんよ。
読む人が読めば、長編ひとつでもその作家の真価がわかるし、
何編読んでもその作家の真価がわからず、ただ全作品読んだというだけで
得意顔で悪い評論文書いてる評論家ってたくさんいるから。
あと、北杜夫のことはわからないけど、現在読まれていないからって
取るに足らない作家だと決めつけるのはよくないよ。
そうやって文学は大衆化して衰退していったから
- 475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 11:18:03
- >>474
いい読者かどうかが問題にしてるんじゃなくて、三島文学に興味がないとデタラメなレッテル貼られたから、
ちゃんと三島文学作品を好きで読んでるって事実を言っただけ。
北杜夫のことも、作家の質のことまで私は言及してませんよ。
ただ現在読まれてない、って事実を述べただけです。
大衆がどうのいってるけど、昔だって芥川賞をとってそれが話題で大衆に読まれたんでしょうに。
その後、ミーハー以外の文学読みの人々に支持されていれば、多少は作品自体が何らかの形で語られて残るはずだと思いますが。
- 476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 15:20:54
- >>475
そうとも限らない。最近は文学が売れないせいか、大衆に知名度の低い作品は良作であっても
どんどん廃版になってるからな。
荷風の作品や鴎外の史伝も文庫なら岩波とかで集めるしかないって感じだし。
大手出版社は売れる村上春樹とか刷りまくるのに
このままじゃ谷崎は細雪と痴人の愛、川端は雪国と伊豆の踊り子といったように、大衆に「代表作」として認識
されているものだけが残って、ほかの作品が文庫では廃版になるんじゃないかと思う
実際荷風や泉鏡花はそういう煽りを受けてるような気がする
大衆化が悪いわけじゃないけど、大衆化されて出版社が売上重視になると、
やっぱ売れない文学は煽りを受けるよ
- 477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:20:57
- >>476
文学自体が読まれてないから、あまり知られていない作家でも良作があるのは当然でしょう。
だけど、それらの作家たちは、そういうふうに文学読みの人々の間やコアなファンの間で文庫絶版を惜しまれたりして、古本や何らかの形で作品が語られてますよ。
- 478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:35:24
- 私は一度だけ三島由紀夫さんから葉書を頂戴したことがある。
葉書に十行足らずの簡潔な内容の便りで、私の住所がわからないため、私の著書の出版社経由で届いたのだった。
…葉書の消印は昭和三十六年五月一日。
「抒情の批判――日本的美意識の構造試論」は、当時新たに生まれたばかりだった出版社晶文社から刊行された、私のごく早い時期の著書で、
奥付によると、刊行は昭和三十六年四月二十日となっている。
つまり、三島さんはこの本が書店に並んだのとほとんど同時に、これを購入してくれていたのだった。
のみならず、三島さんは彼が発行同人(?)の一人でもあったらしい雑誌『風景』、さらに『東京新聞』書評欄でも「抒情の批判」を激賞してくれた。
それは何千部かの本がどんどん売れていくという、喜ばしい椿事を生んだ。
大岡信
「一度だけの便り」より
- 479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:37:27
- 『風景』所収のものは三島さんの「日記」中、四月二十七日(木)付の一文である。
…もしこれらを読んだ時私が三島さんにそれに見合うだけの熱烈な礼状を書いていたとしたら、私のその後の人生は
多少とも変った流れになっていたかもしれない。
第一、本が書店に出まわるのとほぼ同時に銀座の本屋さんでこれを買い、〈匆々に帰宅してこれを読んだ〉と三島さんは書く。
そして〈本の副題の「日本的美意識の構造試論」の展開である「保田輿重郎ノート」といふ長文の評論を、
身も心も惹き込まれて読み、まだ会ったこともない大岡氏に、オマージュの葉書を書いた〉と三島さんはいう。
現在このような形で、自分より若い物書き、それも現代詩などというものを作っている人間に対して、熱烈というしかない
〈オマージュ〉を捧げてくれる文筆家などいるだろうか。
大岡信
「一度だけの便り」より
- 480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 11:38:57
- 三島さんは十代のころから保田与重郎を読み、その〈謎語的文体〉に〈いつも拒絶されるやうな不快と同時に快感を味はつた〉と書く。
それは数歳年少だった私自身が感じていたものと、かなり近かった。
…三島さんが私に示された非常な好意も、戦後社会に対してどうしてもしっくりしないものを感じ続けていた精神が、
〈生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつた〉(「日記」)と、いわば晴れて堂々と
言い切る機会を得た満足感が、伴っていたのかもしれない。
残念だったことは、三島さんに直接お会いして、この時の礼を申しあげ、三島さんの戯曲についての賞賛的感想をのべる機会を、
永久に失ってしまったことである。
大岡信
「一度だけの便り」より
- 481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 14:22:30
- >>477
だから、良作文学より村上春樹とか石田衣良の方が読まれちゃってる現状が
よくないと思うんだよ
文学コアにしか読まれない、古本屋めぐりしないといけない、プレミアの値段がつく
とかそういうのって、読みもしないで書棚に珍しい本集めて悦に入ってる、俗な読書家でしょう
大衆に浸透して本当にいいものは残るっていうなら、戦後の日本人を嘆いてた三島はどうなるんだよ
大衆は所詮大衆であって、見識のあるものもいれば、ないものもいる、当てにならないものでしょ
というか、スレ違いでした、文学の未来を考える的なスレ探します
- 482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 23:18:25
- >>481
文学板でまた会いませう。
- 483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 01:51:20
- >>481
三島信者のババアは相手にしない方がいい
どうせ「文学読んでる私は知的」、「文学の中でも三島を読む私は知性溢れて感受性豊か」
「三島読んで今の日本の欠点を語れる私は頭がいい」そんな虚栄心だけで読んでんだろ
頭が悪いのに虚栄心の塊、仕事もしないニート、もう三十路も後半でお顔も醜い独身ババア。
三島の作品はそういう見栄っ張りの正味馬鹿にジャストフィットする。
現実世界じゃだぁ〜れもババアの戯言に付き合ってくれないから、
毎日毎日ネット三昧の悲しい人生なんだよそのババアは
- 484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 05:14:23
- >>483
他人への煽りは己の自己嫌悪の裏返しにすぎない。
- 485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 05:21:36
- 北杜夫(笑)
- 486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 11:20:29
- >>483
それに粘着してるあなたは私よりさらに暇人でしょうね。
名無しで書いてる私を識別できるほどまで、三島ファンでもないのに、スレをずっとガン見しているわけだから。ご苦労さまです。
- 487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 15:56:19
- 文学の未来を語るスレはなさそうですね・・・
ヤフーのトピックにあったけど、村上春樹の新刊がやたら売れてるそうな
有名だからノルウェイの森、アフターダークっていう小説読んだけど面白くなかったな
これ文学っていうのか?って思いました正直
- 488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 10:26:32
- >>487
村上春樹は図書館でパラパラめくって拾い読みしたけど、じっくり読むほどでもなさそうだったから読んでないや。
私は日本語自体を堪能できる三島の「春の雪」「金閣寺」が好きです。
- 489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 20:45:44
- >>487
春樹の売れてるはKinKi Kidsのオリコン連続1位やジャニの初登場1位と同じ操作の売れてる詐欺
- 490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 22:35:17
- 村上春樹てそんなにおもしろいの?
読んだことないんだけど
三島みたいにおもしろいのかな?
- 491 :赤蜥蜴:2009/06/18(木) 00:23:47
- >>490
三島由紀夫がラフマニノフかラヴェルだとしたら、
村上春樹はスガシカオって感じぢゃないかすら(笑)
BGM程度のそこそこ耳ざわりのいい、自分で買うほどでもない曲みたいなもんよ。
- 492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:54:48
- 「日本語の堪能な留学生が入ってくる」というので、室の者全員が待機していると、
「平岡です。よろしくお願いします」といって現れたのが、何と三島氏だった。
昭和四十二年四月十九日のことだった。
彼は、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校で、その春防衛大や一般大学を卒業して入校したばかりの候補生を視察した後、
我々が教育を受けている富士学校普通科上級課程に「戦術の勉強をしたい」との目的で途中から加わってきたのだった。
…誰もが三島氏の研修目的を詮索したり、文学や芸術の話を持ち出したりすることもなく、ひとりの友人として自然に接したせいか、
すぐに打ち解け、室の雰囲気は一段と明るくなり、女性談義に花を咲かせたりした。
私はこの室の室長兼班長だったが、これに加え三島氏の対番学生(学友として寝食を共にしてお世話する係)を命ぜられた。
菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
- 493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:55:35
- 教場では平岡学生と私は一番後方の長机に並んで座り、教官から出される問題を一緒に考えた。
…三島氏は問題の意味するところや私が作る案の内容の細部を真剣に聞き、自分でも
「連隊長の作戦命令の方針」を起案して発表したこともあった。
彼の案は、自衛隊の専門用語や文書の形式にとらわれていない実に力強い雅びな表現で、
固定観念に固まっている我々には、はっとさせられるものがあり、教室の雰囲気を和らげてくれた。
…夜は室で談笑したり、腹筋運動にエキスパンダーを使用したトレーニングをしたり、
ある夜は自演の映画「憂国」をクラスの全員に見せてくれたり、私といっしょに洗濯をしたりした。
当時の洗濯はまだ洗濯板に固形石鹸の時代だったので、固形石鹸をシャツにつけていた三島氏の
子供っぽい仕草が今でも目に見えるようだ。
菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
- 494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:56:34
- 入校後一週間ぐらい過ぎた日に、私と話がしたいというので、彼が原稿を書いたり、東京から来る客と
応対したりするために充てられていた個室で、真剣な話を三時間以上も続けた。
「私は日本男子として国防に参加する名誉ある権利を有する。従って貴方たちは私に教える責任がある」
と彼は切り出し、次々と質問してきた。
その主な質問は、「クーデター」「憲法」「治安出勤」「徴兵制度」「シビリアンコントロール」についてだった。
その真剣さに私は、彼の入隊の本当の目的は、七十年安保に向かって騒然としつつある国内情勢に鑑み、
特に防衛大出身の幹部クラスの考え方や心意気、精密度などを肌で確認することにあったのではなかろうかと思った。
菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
- 495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:57:27
- 彼はその後、同じ富士学校で教育中の幹部レンジャー課程の学生として自衛隊で最も厳しい訓練を体験し、
爽やかな印象を残して去っていった。
以後、三島氏は「檄」文に表現されたような感激を自衛隊で体験していくことになる。
三島氏は民間防衛を荷う祖国防衛隊を組織する夢を抱き、四十三年春、まず厳選された学生三十名を連れて
富士教導連隊で一ヶ月間の訓練を受けることからはじめた。
自衛隊にとっては三島氏のような知識人に自衛隊を理解してもらうことは歓迎すべきことであり、さらに、将来、
国の広い分野でリーダーとして活躍するであろう大学生の体験入隊は、特に当時の状況から願ってもないことであって、
マスコミによって潰されないように配慮して受け入れたものである。
菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
- 496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 12:05:54
- しかし、全国組織を目指した祖国防衛隊の構想は、政財界の協力が得られずに挫折し、自分の力で世話のできる
少数精鋭の「縦の会」へと展開していく。
そして彼は彼なりの情勢分析により、自衛隊が治安出勤する事態が来ると信じるようになる。
「縦の会」は自衛隊の尖兵としてデモ隊に突入し、あるいは皇居に乱入する暴徒に体当たりで斬り死にする
という考えに変わっていったものと思われる。
だが、四十四年の一〇・二一反戦デーの騒乱で、自衛隊の治安出勤は起こりえないと見てとった時、ほんとうの挫折を味わい、
三島氏は自衛隊にとって象徴的な場所で、自衛官たちに心の叫びで訴え、武士の最期を遂げたのだった。
菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
- 497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 16:08:51
- 私が松濤二丁目のこの商家に嫁いだのは昭和二十二年の春のことです。当時は、近隣一帯は空襲で一面焼け野原になったままでした。
…私は二十三年に長女を産み、その子を連れてよくご近所を散歩したものです。
その折、始終三島さんの家(「平岡」という表札でした)の前を通りました。
…洋館のほうの二階の窓によく三島さんをお見かけしました。
夕方になると電気スタンドが点っていて、その光の中で白いシャツを着た三島さん(白がとてもお好きだったようです)が
いつも何か書きものをなさっていました。
人に聞くと「あの人はいまに小説家になる偉い方だ」という話でしたが、当時は私は三島由紀夫という名前は知りませんでした。
東大に行っている時分に小説を書いて一躍有名になった人ということで、とにかくいつ行ってみても、
机に座って仕事をしておられたのが印象深いのです。
原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より
- 498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 16:11:09
- 私の家はタバコを商っていましたので、お父さまも三島さんもよくタバコを買いに見えました。
…息子さんの三島さんはよく「光」をお求めになりました。
もっともあの頃はまだ銘柄も少なかったうえに極端な品薄で選り好みなどできませんから、「光」がなければ
何でもお買いになりましたが。
どこかにお出かけになる前に立ち寄り、買ってすぐ一本抜き取ってお吸いになるというのが、あの方の習慣でした。
タバコを受け取るその手が細くて華奢だったのをよく覚えています。
それにしても三島さんはおしゃれでした。
戦後間もなくの頃ですから、おしゃれをしている人などあまり見かけることはなかったのですが、
三島さんはいつもピシッと決めていて一分の隙もなく、大山町あたりでさえすごく目立ちました。
原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より
- 499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 16:12:38
- 夏など、真白の詰襟、真白の半ズボン、真白のハイソックス、真白の靴という、上から下まで白ずくめのいでたち。
たまに帽子をかぶっていることもありました。サファリ帽というのでしょうか、猟の時に使うような帽子で、
外国にでもいらしたことのある方かと思っていました。
服装だけでなく、三島さんはすごく清潔感のある方でした。
手もほんとにきれいでしたし、お顔なんか毎日当たるんでしょうね、頬など青白く見えるくらいでした。
いつもポマードのいい匂いをさせていました。でも、無駄口をたたくようなことはほとんどなく、
どちらかといえば「謹厳実直」という印象を受けました。
…ご一家が住んでおられた借家も今は取り壊されてなくなり、このあたりもずいぶんさま変わりしました。
原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より
- 500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:53:13
- 三島さんの葬儀の日の少し前、実行委員会の打合わせがあった。
…式の段取り、各委員の仕事の分担、注意事項の検討、弔辞を読む方々の紹介があった。
その時、御父上が突然私を指名された。
思いもかけない発言に私は動転し、そのような大任の資格が私には無いと辞退した。
すると川端先生が例の鋭い目で、「資格のある人間はどこにも居ません。おやりなさい」と宣言された。
当日、私は緊張と悲しみに耐えながら弔辞を読んだ。
「私のこれまでの人生で、最高の喜びは、三島さん、あなたにお会い出来たことであり、
最大の悲しみは、あなたを喪って今ここにこうして立っていることです……」と。
私が三島由紀夫という名を識ったのは、昭和十九年、書店で見つけた「花ざかりの森」で、何故かすがすがしい感じがした。
戦後、雑誌『人間』で「煙草」を読んだ時、私はすぐ「花ざかりの森」を思い出した。
藤井浩明
「私の勲章」より
- 501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:54:10
- 終戦前の昭和二十年一月、私は中島飛行機小泉工場へ勤労動員され、戦闘機を造っていた。
私たちの寮の隣りに東大法学部の学生たちがいた。
その中に三島さんがいて、明日をも知れぬ状況の中で、後に発表された小説「中世」を書き続けていたことを、
ずっと後で知って驚いた。
二十五歳までに戦争で死ぬものと覚悟していた私たちが、生きながらえて後に親交を結ぶとは……
不思議な運命を感ぜずにいられない。
私が初めて三島さんに対面したのは、昭和三十一年、「永すぎた春」映画化の交渉の時である。
…私は既に大映企画部にいて三島作品の映画化を夢見ていた。
緑ヶ丘の平岡邸で眷恋の人に対面した時、私は自信に満ち溢れた、それでいて折目正しいこの青年作家に圧倒された。
以来、私は三島文学の映画化に挑戦していった。
「金閣寺」(「炎上」)、「お嬢さん」「剣」「獣の戯れ」「憂国」「複雑な彼」「音楽」「鹿鳴館」。
そして、三島さん主演の「からっ風野郎」等。
藤井浩明
「私の勲章」より
- 502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:55:39
- 「炎上」のシナリオ作業が難行している時、三島さんが「創作ノート」を見せて下さった。
絢爛たる文学が構築されてゆくプロセスが明解に読み取れ、目が開ける想いがした。
この映画は三島さんから最大の讃辞を頂き、以来、私は三島さんとの交友を深めていった。
時折、三島邸の書斎で話し込むことがあった。
私は天才的文章の錬金術師の仕事場へ忍び込んだような気持で、よく文学のことを質問した。
三島さんは門外漢の私に丁寧に誠実に答えて下さった。
当時のメモを繰ってみると、例えば「憂国」の製作準備をしていた年など、年間七十回も会っていた。
…「からっ風野郎」の後、日仏合作映画のため市川崑監督と私はパリへ飛んだ。
思いもかけず三島さんが空港へ見送りに来られた。
たまたま別便で発つ永田雅一大映社長がいた。社長は私を別室に呼んだ。
「お前のような若造を天下の三島が見送りに来る訳がない。それはお前が大映の社員だからだ。俺に感謝しろ」と。
ワンマン社長は大の三島ファンで、明らかに私に嫉妬しているのだ。三島さんには万人をひきつける魅力があった。
藤井浩明
「私の勲章」より
- 503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:56:52
- 死の四日前、三島さんからいくら晩くても電話が欲しい旨の伝言があった。
深夜帰宅した私は電話で話した。
「憂国」がイタリアで上映され大好評だと伝えると、三島さんは大そう喜んで詳しいことを調べて欲しいと言った。
四日後に死を決意していることを知る由もない私は、連休明けに報告しますと約束した。
電話を切ってから、三島さんが「さようなら」と仰言ったことが何故か気に懸った。
いつもは快活に話してさっと切る人が……。
〈藤井氏はいついかなる場合にも、この作品に対する完全な愛着と信頼を少しでも失ふことがなかつた。
それがスタッフ全員をどれだけ力づけたかわからない〉
三島さんが「憂国 映画版」に書いて下さった文章は私の勲章である。
三十年祭の遺影の前に佇みながら、三島さんが以前、暇が出来たらポルトガルの鄙びた漁村を舞台に
映画を作ろうと話して下さったことを思い出した。
いつの日か私はその海辺で映画を撮影したいと思っている……。
藤井浩明
「私の勲章」より
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